「ティファさん。飛空艇のことなのですが、おそらく明日の夜には………」

 

シエラさんが私に声をかけたのは、クラウドとの電話が切れてからすぐのことだった。

 

私は彼女を振り返る。シエラさんは私の表情を見て、話を続けるのをやめた。

 

「シエラさん。私……」

 

私の話を聞き終えたシエラさんは、黙って大きく頷く。

 

「そうしてください。それが一番です」

「ごめんなさい……せっかく、」

「いいのよ、あの人は放っておいても一人でも飛びますから。何も気にしないで」

 

そして柔らかく微笑んでくれた。優しい優しい、笑顔だった。

 

「……会いに行ってください。あなた自身で」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

会いたいという気持ちは、どうしてこんなにも強く人を動かすことができるんだろう。

 

 

 

私がロケット村を出たのは、クラウドから電話をもらった翌日のお昼過ぎ。

 

向かう先、待ち合わせ場所はニブルヘイム。私の、私たちのもう二度と元の姿に戻ることのないかつての故郷。だけど二人が始まったという意味でも、二人を繋ぎ止めてくれたという意味でも、決して捨てることはできない過去の地。

 

「…ふう」

 

険しい山道を歩く。空を見上げれば、光が差し込む気配すらしない曇天。地形の問題でこの山にお日様の光があたることなんて滅多にない。広いはずの空は大抵いつも分厚く真っ黒な雲に覆われていて、吹く風も決して心地いいものではない。相変わらず雑草一つ生えていないし、いかに過酷で冷徹な環境なのかを思い知らされる。

 

一人旅をしようと決めたとき、自分の中で最初に「除外」したのがこのニブルヘイムだった。

 

復元されてしまった故郷に立ち、思い出すのはいつも燃え盛る炎と動かなくなった人々。悲しみや苦しみ、怒り……どれをとっても一人で抱えるにはあまりにも痛々しい記憶。優しい記憶や楽しい記憶も散りばめられているはずなのに、犠牲になったものが多すぎたせいで、あたたかい記憶に辿り着くまでの壁はあまりにも厚かった。私一人では、辿り着くことのできないものとなってしまっていた。

 

「……」

 

ロケット村側からニブル山を登るのは、ひょっとするとはじめてかもしれない。

 

この山に関する記憶はいつだってニブルヘイム側のふもとから始まる。これまでいろんな気持ちを抱えて登ってきた。悲しい気持ち、寂しい気持ち、不安な気持ち……怒りの気持ち。生まれたときから村を出るまでずっとそばにあったはずの山なのに、仲良くなれるような気がしなかった。家から窓越しに見上げた山はいつだって冷たくて、私を呼んでいるような、あるいは忌み嫌っているような目で見つめられている気分になった。

 

(……まだ、長いなあ)

 

決して知らない道ではないから迷うことはないけれど、だからといって楽ではない登山。好き好んでこの山を登る人はそうそういないと思う。上空にある今にも雨が降ってきそうな雲もそうだし、神羅が残した一番大きな闇が、いまも眠っている場所でもあるから。

 

 

 

だけどそれでも、それをわかっていても、私はこの山を越えたいと思った。自分の足で越えなくちゃいけないと思った。

 

たった数週間、されど数週間。長くも短いこの旅の中で、いろんな人たちが色々な方法で教えてくれた、自分の足で歩くということの意味。できているようで、できていなかったこと。できていないと思っていたけれど、ちゃんとできていたこと。

 

 

 

クラウドから電話をもらって、クラウドの声を聞いているうちに……私はただ彼に会いたいと思った。ううん、ずっと会いたいと思っていたことが素直に心の外に溢れ出た。その気持ちはいつの間にかとても強くなっていて、見ないふり、気づかないふりができるものではなくなっていた。

 

 

 

電話が切れて息をついたとき、この旅の中でみんながずっと私にかけ続けてくれた言葉が思い浮かんだ。

 

好きにしたらいいんだと。自分の行きたいと思う方に進めばいいんだと。

それが時に人に迷惑をかけてしまうようなわがままであっても。自己中心的なことであったとしても。

 

『ティファ』

 

クラウドに会いたいという……そばにいたいと言う、それ以上でもそれ以下でもない、純粋な想いを大事にしていいんだと。

 

 

 

 

 

 

「……っ、」

 

びゅう、と風がふく。ちゃんと踏ん張っていないと揺れて飛ばされてしまいそうな冷たい風。

 

上がったり下がったり、山の洞窟の中を通りながらしばらく道なりを進んでいくうちに急に開ける視界。どうやら歩き続けるうちに山の頂上にたどり着いていたようで、洞窟を抜けた先、見下ろした山々に自分のいる場所の標高の高さを思い知らされ、思わず身震いする。

 

だけど何より一瞬で私の心を恐怖で包み込んだのは、目の前に真っ直ぐ続く……山を越えるための、吊り橋だった。

 

(……)

 

ゆっくり近づいて下を覗き込み、ごくりと息を呑む。いとも簡単にフラッシュバックする記憶。たくさんの種類のトラウマ。

 

この橋から落ちるときの感覚を私は知っている。ものすごいスピードで遠くなっていく空の冷たさを、私は知っている。あのときの感覚ほど、優しさや温かさと無縁のものはない。このまま自分は死んでしまうんだと頭が理解するあの瞬間。手を伸ばしても、叫んでも、何もかもが手遅れなのがわかる絶望感。

 

私はいままで何度、この橋を渡ろうとしてきただろう。何度、この山を越えようとしてきただろう。

 

ときに先に進むために。ときに何かを確かめるために。そしてときに……遠い場所に行ってしまった愛しい人に、会いにいくために。だけど仲間みんなと一緒だったときを除いて、私は一度たりともこの橋を渡りきれたことはなかった。いつもこの橋は私の道を閉ざした。ふるい落とすように私を拒んだ。

 

まるで、こっちにくるなと言うように。私にはまだ早いと、いうように。

 

「……」

 

しばらく橋の下を見つめてじっとしていた私を、寒さを感じる追い風が後ろから囃し立てるように吹き付ける。

 

そのときにふと肌に感じた、冷たいという感覚。それが雨だと気づくまで時間は必要なかった。

思わず天を仰ぐ。やっぱり気のせいなんかじゃない雨粒は、ぽつぽつと私の顔に体に当たりその存在を知らせた。

 

(……急がないと)

 

ただでさえ足元が不安定なのに、雨が降ったらますます先へ進みにくくなる。

今度ばかりは誰も助けてくれない。いつも助けてくれたクラウドは今、ここにいない。

私一人で渡らなくちゃいけない。自分の足でここまで来たんだから、自分の足で最後まで進まないといけない。

 

「……よし」

 

ますます強くなっていく風に焦らされるのを感じながら、手すりとなるロープをぎゅっと握りしめた。知らない間に震えている足を動かして、一歩ずつ吊り橋の上に踏み出す。できるかぎり下を見ないように意識して前を向いて歩く。

 

何度修理され繋ぎなおされても、不安定なままの長い長い吊り橋は、私が足を進めるたびにうめくような嫌な音を出す。ただでさえ、雨風に吹かれて揺れが止まらないのに、私を歓迎してくれないその音は、さらに気持ちを不安にさせる。

 

「……」

 

はじめてここを走ったとき、私の中には恐怖なんてなかった。ママを失ってもう失うものがないと思っていたのか、ママがいると信じていた山の先にいくことを、怖いことだと思っていなかったのか。

 

ぐらりと視界が揺れ、真っ逆さまに地上に落ち……やがて意識を取り戻したとき、大人たちは口々に言った。「あんなところに一人で行ってはいけない」。「一人きりで行動してはいけない」。お前はまだ子どもだから。お前は女の子なんだから。

 

そしてパパは付け加えた。「クラウドには近づいてはいけない」。私が危ない目にあったのはクラウドのせいだから。クラウドのそばにいると、危ないことしか起きないから。

 

 

 

してはいけないことが、たくさんあった。踏み出してはいけないことを、私はたくさん抱えていた。

それは子どもだったから。それは私がパパの娘だったから。それは私が女の子だったから。それは私が、弱かったから。

 

だけどきっと今は違う。自分で自分の正しいと思う道がわかる。

 

どれだけ人に間違っていると言われても。どれだけの障害に道を塞がれたとしても。何度見失っても、何度目がくらんでも。

私はちゃんとわかっているから。自分で選んでこれたから。自分が本当に欲しいものが。本当にそばにいたいと思う人が。

 

全てを否定されたって、そばにいたいと思える人が。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…っ、!」

 

橋の中腹に来た頃、一瞬の出来事だった。ガクン、と急に視界が下がったのは。

 

バキという木の割れる音とともに、突き刺さるような衝撃が自分の膝を襲う。慌てて足元を見たとき目に入ったのは、私が一歩を踏み込んだ小さな木の板が割れ、真っ逆さまに峡谷に落ちていくところだった。

 

(…!)

 

自分が足を踏み外したことに気づいて、慌てて足を引っ込める。ジンジンと痛みが続く脚に目をやると、割れた木の破片でひっかいてしまったらしく、すうと一本傷が入ってしまっていた。

 

「痛……」

 

その傷から流れる鮮やかな血の色に、久しぶりに見る真っ赤なその色に思わず息をのむ。視線を逸らせない。しゃがみ込んだままの腰は持ち上がらない。恐怖に呑み込まれる前に立ち上がらないと動けなくなるのがわかっているのに、怖い記憶はすでに私の足を掴んでしまっていて、離さない。

 

(どうしよう、)

 

一生懸命に保っていた勇気がいとも簡単に崩れていく。死に似た闇がこちらこちらと下から私を呼ぶ。

 

少しずつ少しずつ、雨が強くなっていく。時間は経過していく。動かなくちゃ。動けなくなる前に。動かなくちゃ。固まってしまう前に。動かなくちゃ。呑み込まれる前に。

 

(……こわい)

 

動かな、くちゃ。

 

(………たすけて、)

 

 

 

 

 

「ティファ!!」

 

私の名前を呼ぶ大きな声が聞こえたのは、ぎゅと目をつむり真っ暗闇に震えていたときだった。聞き間違えることなんてないその声は、いともたやすく私を光に連れ戻した。

 

反射的に顔を上げる。まっすぐに、進みたいと思っていた方を……橋の先を見る。

そこには、心の底でずっと待ち望んでいた、彼の姿があった。

 

「……クラウド」

 

きっとクラウドには聞こえないような小さな声で名前を呼び返す。

そのとき、私を下へ引っ張ろうとしていたすべての恐怖から解放されたような感覚があった。

 

「ティファ大丈夫か!」

「クラウド、」

「動かずに待ってろ! すぐに行く」

 

クラウドはそう私に伝えると、躊躇なく橋へと足を踏み入れた。一歩一歩確かめながら進むのが限界だった私と違って、迷うことなく足を進める。

 

クラウドの存在をはやくこの手で確かめたくて、私も手を伸ばす。腰を抜かしてしまったのか、すっかり立ち上がる気力を失った脚を引きずって、汚れるのも構わずクラウドの方へと進もうとする。はやく、はやく触れたい。クラウドを感じたい。それだけを頼りにここまで進んできたから。それだけを目的に、私は橋を渡ろうとしていたのだから。

 

「…っ、クラウド」

「……ティファ!」

 

あと少し、あと少し。

 

一生懸命に伸ばした指先が触れる。私をつかまえてくれたクラウドに思い切り腕を引っ張られる。クラウドはそのまま身をかがめ、強い強い力で抱き寄せてくれた。

 

「…っ」

「よかった、………無事だった」

 

まさか、こんなところで感じられると思っていなかった温もりに、安心感に、思わず涙が出そうになる。それをぐっと堪えて広い背中を抱きしめ返したら、クラウドはより強く抱きしめてくれた。

 

(…クラウドだ)

 

クラウドが、きてくれたんだ。

 

「…クラウド、」

「ああ……もう大丈夫だ、ティファ」

「どうしてわかったの……?」

「…ロケット村にいるって言ってただろ。だから、山を降りてくるんじゃないかと思った。しかも雨が振ってきたから……ごめん、下で待ってられなくて」

「ううん……いいの。ありがとう」

「…とりあえず、橋を渡ろう。おぶされるか」

「う、うん」

 

おそるおそる背を向けてくれるクラウドに寄りかかる。不安定な足場であるにもかかわらず、クラウドは私を軽々と私を背負った。目が合うとまるで安心させてくれようとしているかのように、この場に似合わない穏やかな笑みをくれた。

 

「しっかり掴まってろ」

 

言われた通りクラウドの首に腕を絡め、苦しくない程度に掴まる。

 

クラウドが歩くと同時にぐらぐら揺れる体。下を見る勇気がなくてぎゅっと目を瞑る。まだ、怖い。一人でできると思っていたあの気持ちは、木の足場と一緒に下に落ちてしまってもう見えない。現にもう一人で渡りきることができないということを、私は自分で証明してしまっていたから。

 

(……)

 

「……クラウド」

「?」

「やっぱり私ひとりじゃ、山も越えられないや……」

 

なんだか情けなくって、大切に運んでくれるクラウドに苦笑いしながら小さな声で呟く。

 

クラウドは私の言葉を聞いてしばらく黙っていたけど……足を止めないまま、穏やかに返事をしてくれた。ただまっすぐに前を見て。

 

「……ティファ、いいんだ」

「……?」

「…ティファが一人で山を越えられないのは……一人で越える必要がないからだ」

 

(……クラウド)

 

「……、……うん」

「……」

「…ありがとう……」

 

ためらいなく伝えられた、真っ直ぐな言葉を噛み締めて、私はクラウドの背中でゆっくり力を手放す。肌に当たる冷たい雨が、二人の体温のおかげであたたかくなっていくのを感じながら、安心してすべてをクラウドに預ける。

 

 

 

夕刻。太陽は沈みかけていた。

だけどもう何も、怖くはなかった。