一向に止む気配のない雨の中、ティファを負ぶって歩いた。決して緩やかではない山道も、ティファを早く屋根のある場所に連れていけるのなら、何一つ苦にならなかった。
背中に感じる体温がまだあたたかいことを確かめながら、ひたすらに足を進める。雨に当たって冷たいに決まっているのに、ティファはそれを言わず代わりに笑って呟いた。背中があたたかくて、安心して眠ってしまいそうだと。
冗談を言ってくれるティファを想いながら、俺は小さく返事をした。
まだ眠ってはいけないと。まだここは、眠る場所ではないからと。
(……ついた)
ティファを見つけてから下山するまで、一時間もかからなかった。
だが、頭上にあったはずの日は歩く間にあっという間に落ち、相変わらず人の気配のないニブルヘイムはすでに夜の闇に包まれている。どこか、早く。どこでもいいから暖をとれる場所を探して決めなければならない。ふり続ける雨は音を立て、その勢いは増す一方だった。
この村にティファを長居させたくなかったが、今は仕方がない。冷たくなっていくティファの体温をあたためなければいけないし、これ以上冷たい思いをさせるわけにはいかないから。
「クラウド」
ティファが名前を呼んだのは、俺が……どの家を選ぶべきかと辺りを見渡しているときだった。
「……私の家にしよう」
頭だけ振り返ってティファを見る。ティファはかつての自分の家を指さしていた。
「…火を焚けるところがあるの。同じように復元されてたら、使い方もわかると思う……」
「……ティファ」
いいのか、と聞き返すのは野暮だった。ティファはまっすぐティファの家を見つめていた。
「……私ならだいじょうぶだよ、クラウド」
その美しい目に、迷いはなかった。
「クラウドが一緒だから」
「……」
音を立てて開いた玄関の扉。家の中は誰かがいる気配もなく静まりかえっている。
少し前に仕事でニブルヘイムの近くを通ったとき、誰か住み着いていないか確認したことがあったが、既にこの村には誰もおらず、神羅の崩壊とともに放棄されているようだった。
念の為警戒を解くことなく、水を滴らせながら真っ暗闇の家の中に足を踏み入れる。すると、一緒に辺りを見渡していたティファが口を開いた。
「…クラウド」
「?」
「あっち……台所の方に行ってもらってもいい?」
ティファの誘導に素直に頷き、足を進める。いつもそうだが、この村の家に入るときひどく不思議な心地がした。知っているのに知らない家。知らないのに、感覚と記憶が覚えてしまっている家。その奇妙な感覚が強いのは……ここがティファの家だからだろうか。
「……そう、ここ」
案内してもらったのは、台所の先にある薪をくべることのできそうな暖炉だった。
ティファをそこに下ろすと、彼女はかじかむ手をさすりながら手慣れた手つきで火を起こす準備を始める。その震える背中を見つめてから、何か羽織れるものはないかと家の中を見渡す。
(……あった)
律儀に再現されている、食卓を囲むためのテーブルと椅子。今はただ無心でそこにかけられているブランケットを手にとり、小さなティファの背中にかける。一生懸命火を起こそうとしていたティファはすぐに気づき、俺を振り返った。
「ありがと……クラウド」
「…いけそうか?」
「うん、なんとかなりそう」
「よかった。……ティファ、このまま少し火を任せていいか。一応、二階に変なやつがいないか見てくる」
「うん……わかった。お願い」
「……。…それと」
「…?」
「…いやだろうが、上だけでも服を脱いだほうがいい。風邪をひく。後で俺もそうするから」
「あ……そ、そうだね。そうしよう」
俺とティファの仲で、今更脱ぐことを躊躇する必要もないかもしれないが……何となく憚られる頼み事。だけど、全身ずぶ濡れのまま毛布を羽織り火に当たっても効果がないのは、目に見えていた。
暗闇の中、ティファは何度もうなずく。俺はそれを見てからティファに背を向け二階へ歩く。
時刻はようやく、ティファと待ち合わせをしていた7時になる頃だった。
二階から戻ったときにはもう、ティファによって火は焚かれていた。
「あ……クラウド」
渡した毛布にくるまって小さくなっていたティファが、俺を振り返り微笑む。
「おかえり。大丈夫だった……?」
「ああ。……ありがとう、火、ついたんだな」
「うん。…やったことなかったんだけど、パパがやってるのよく見てたから……」
「……そうか」
切なげに呟くティファ。本当はこんなところにいたくないはずなのに、一言もそれを口にしない強さに胸が痛む。
「…クラウド」
「?」
「その……はやく服脱いだほうがいいよ、寒いでしょ」
「あ、ああ」
自分の体もかなり冷えきっていることを、ティファに言われて思い出す。彼女を気遣うあまり自身に気を配れない、いつもどおりの自分に苦笑する。
ちらと暖炉のそばに目をやると、ティファは既に服を脱ぎ乾きやすいよう器用に干しているようだった。俺もそれに倣って、水気をたっぷり含んだ上着を脱ぐ。上半身裸になって、同じようにティファの服の隣にそれをかければ、彼女は胸元を隠しながらブランケットを広げてくれた。
「……はい」
「……。ごめん、一瞬剥がすぞ」
「うん……」
ティファからブランケットの裾を受け取り、ゆっくり彼女から剥がす。久しぶりにこの目で見る、あらわになった真っ白な背中はどうしたって魅惑的で……息を飲まずにはいられなかった。
(……)
変な気を起こしてしまう前に、小さく一人頭を振る。今それどころじゃないことぐらい頭はわかっていた。
ティファを包んでいたブランケットの代わりになるように、ティファの後ろに座り、そのまま背中から腕の中に抱きしめる。ティファから受け取ったブランケットは自分の背中にかけて、できる限り一緒に彼女を包んでやれるようにする。
すっかり冷たくなっていたティファと俺の肌が重なる。ティファは最初ぴくりと反応したが、互いの体温が馴染んできてからゆっくり、俺にもたれかかって背中を預けてくれた。
「………、…ふう…」
安心してくれたのか、穏やかなため息つくティファ。それを聞いて俺もようやく息をつく。
暖炉の火がようやく、パチパチと音を立て安定し始める。できるだけ早くあたたまって欲しくてティファの細い両腕をさすれば、ティファは柔らかく笑ってくれた。
「ありがと……クラウド」
「……まだ寒いよな。ごめんな」
「…どうしてクラウドが謝るの?」
「…なんとなく」
「ふふ……クラウドが包んでくれてるから大丈夫だよ」
「…うん。……変な気を起こさないよう頑張る」
「あはは、うん、頑張ってください」
ゆっくり時間をかけて馴染んでいく、ティファの柔らかい肌と俺の肌。いわゆる「変な気」を抜きにしたって、久しぶりに肌を重ねた安心感は、想像していたものよりずっと大きく……あたたかい。
ずっとずっと、会いたかった人がここにいる。毎日考え続けていた人が今俺の腕の中にいる。俺の腕の中で力を抜いて、体を預けてくれている。……ティファが生きてここにいる。
自然とこもる、ティファを抱きしめる腕の力。目の前の、俺よりもずっと華奢な肩にキスをすれば、ティファは笑ってくれた。
「……。…思い出した」
ただ一点炎を見つめそう呟く人は、想像上のどのティファよりも綺麗だった。
「……ん?」
「…昔ね、子どものとき……寒い日はここに暖を取りに来てたの」
「…昔も?」
「そう。おうちに帰ったら、真っ先にここに飛んできて火に当たってた。……大体それはいつも夕方で、そこの台所でママがご飯を作ってて……危ないから離れなさいって、いつも怒られるんだ」
「……」
「だけどね……ここに座ってたら、ママが料理してる後ろ姿が見えるし、ごはんのいい香りがするし……好きだったの。何度怒られても、ここにきちゃってたの」
「……いい思い出だ」
「うん。……不思議。まさかこんなこと思い出す日が来るなんて……」
「…ティファ」
「……たぶん、クラウドのおかげだね。今すごく、安心できてるから…」
ティファが不思議だという理由は、俺にもわかるような気がした。
この場所が、何より炎というものが俺たちに思い出させる記憶は、幸せとは程遠い過去。あったはずの幸せや営みを全て無に返してしまったあの日のこと。あの日の感触、臭い、光景。もしティファにとってのあの絶望が……今こうして一緒にいることで和らいでいるのなら、それ以上のことはない。
「…クラウド」
「ん……?」
「……クラウド」
「…どうした?」
「……。…名前呼びたくなっちゃって」
「……久しぶりだからな」
「うん……。……昨日も聞いたけど、元気にしてた?」
「…今、ティファに会えて、ようやく元気になれた」
「ふふ……。…私も」
「……」
「…私も、多分そう。クラウドに会ってようやく、いつもの自分になれたというか」
ティファは少しだけこちらを振り返り、微笑む。それに微笑み返せばまたほっとしたように前を向いた。
「…クラウド。私……一人旅、してみてよかった」
「……」
「家族のこと、クラウドのこと……自分のこと、たくさん考えられた。今も、過去も……これからのことも」
「……」
「…でもね。たくさん考えて考えて、最後に思ったのは……クラウドのところに帰りたいってことだけだった」
「……ティファ」
「うまく言えないんだけど……わかってるって思ってたことが、ようやく本当の意味でわかったというか」
「…うん」
「……ああ、帰りたいって。…心の底からそう思えることが、ありがたくて、嬉しくて」
温まっていくティファの体温を感じながら、目を閉じる。ティファのくれる言葉や想い一つ一つを、喜びとして体の中に取り入れる。ティファと離れ、ティファを待っていた数週間、心に積もっていた不安が、砂が風に流れるように消えていく。
帰りたいと思えるような人間になれと言った、バレットの言葉を思い出す。
今のままでいいと言った、子どもたちのことを思い出す。
「……。俺も」
「……」
「…ティファが家を出てから、考えてた。もしもティファが……この旅の中で、今の場所よりもいたいと思える場所や、家族よりも……俺よりも一緒にいたいという人を見つけたら、俺はティファを応援してやれるだろうかって」
「……」
「ティファの望むことなら、なんでも叶えてやりたいと思っていた。ティファの幸せのためなら、俺はいくらでも自分を犠牲にできると思ってた。でも……これだけはだめだった。ティファを離すことだけはできそうになかった。想像しただけで心が耐えられなくて」
「……クラウド」
「…どうやら俺は、俺が思っている以上にティファのことが好きらしい」
「……」
「わがままで自分勝手なのはもうわかってる。それでも……ティファと一緒にいたい。俺にはティファが必要だ。たとえティファが……俺を必要でなくなったとしても」
やわらかい首筋に顔を埋め、すがるような声で話をする。許して、許してと心の中の自分がティファに願う。真に変わることのない想いを。時に醜い化け物のようにもなってしまう、膨れ上がった愛情を。
ティファは俺の言葉を聞いたあと、こちらの重さなんて何も気にならないというように笑ってくれた。
「嬉しい。……奇跡だね」
「…?」
「私が、一番いっしょにいたい人がクラウドで……クラウドが一緒にいたいって思っている人が私なら……それって、ものすごい奇跡なんだね」
「……ティファ」
「なんか改めて、感動しちゃうなあ」
「…うん。……うん、ティファ」
ティファを抱く腕に力を込める。どうしたって本当に大切なことはいつも言葉にできないから、それを感じて欲しくて、ありったけの想いとともにティファを包み込む。
ティファの言う奇跡の意味を、俺は誰よりも知っている気がした。探し続けた人が、求め続けた人が、自分の命よりも大切だと思わせてくれる人が今ここにいる意味を……誰よりも。
「……ティファ」
「…ん?」
「……。ティファ……」
「…うん、クラウド……」
名前を呼ぶ。ティファがそれに応えてくれるように、腕の中でこちらを振り返る。
視線が絡む。互いが思っていることが、求めていることが一緒だと確認してから……どちらからともなく唇を重ねる。
「……、ん……」
ずっと待ち望んでいたティファを味わうように、ゆっくり啄みを繰り返す。ティファをきちんと感じたくて目は閉じる。
二人で力を抜いて、ただ今に溺れる。このまま永遠になっても構わないとさえ思う、至福とも呼べるひとときの中に躊躇なく自分を投げ入れる。
どれぐらいティファを感じていただろう。キスが中断されたのは、パキ、と焚き火が音を立ててその炎を絶やしたときだった。
「あ……火が」
真っ暗になった部屋の中、ティファが命を失った焚き火に目をやる。
「……まだ寒いか?」
そのティファの頬に手を添えて、もう一度こちらを向いてもらいながら……俺は真っ直ぐ彼女に尋ねた。
ティファは少し考えたあと、小さく頷く。それから体ごと振り返り、意図を持って俺の首にまっしろな腕を絡める。
「…、……うん……寒い」
「……」
「……だから、あたためて」
こちら見上げるティファの目は、美しく潤んでいた。
その目を逸らすことなく、俺を見つめてくれていた。
「抱いて……クラウド」
ティファの許しを皮切りにもう一度、返事をする代わりに唇を重ねる。
俺たちに、これ以上の言葉はいらなかった。欲しいものは全部、ここにあった。