ミディールに新しくできたという宿屋は、部屋がふたつだけの小さなところだった。
先のライフストリームの暴走後、することがなくなってしまったという老夫婦が老後の楽しみだと言ってはじめたものらしく、二人はひとりでやってきた私にとても親切に接してくれた。
「……ふう」
一人、与えてもらった二階の部屋に入り、扉を閉じる。何も音がしない部屋の中、扉の閉まる音だけが響いた。
慣れないことだらけでさすがに疲れを感じ、荷物を適当な場所に置いてベッドにそのまま倒れ込む。たくさん歩いた。旅をしている間はどうってことなかったはずなのに、やっぱりしばらく長距離を移動することがなかったから、体がびっくりしているのがわかる。
(……)
ふかふかのベッドに突っ伏した顔。いままぶたを閉じれば、間違いなくこのまま眠りの中に落ちてしまう。せめてシャワーだけは浴びないといけないと、必死に突然襲ってくる睡魔と戦う。
家にいるときは、子どもたちのご飯の準備をしなきゃいけなかったり、お店の準備をしなくちゃいけなかったりで、こうして一人で一息つく時間がなかなかない。
好きな時間にシャワーを浴びて、好きな時間に眠って、好きな時間に起きる。普段の生活に疲れているわけではないけれど……誰のことも気にせず、その気になれば寝落ちることだってできる今の状況を、なんだか特別に感じる。
「……」
ごろんと体を転がして横になる。今日一日のことをうつらうつらと振り返る。
(…元気そうでよかった)
突然訪問してきた私を、あの頃と変わらない様子で迎えてくれた二人を思う。二人は言った。また戻っておいでと。心配してくれた。まるで家族のように。
だからこそ、さっき別れ際に看護師さんに言われた言葉が私の心にじんわりと残っていた。
『あなたを一番大事にしてね』
(……)
最初言われたとき、どういうことかわからなくて、きょとんとしてしまったけれど……彼女は私から話を聞いた上で、心配してくれたんだろう。私が突然一人で現れたことも、エッジという不安定な街に住んでいることも……私がクラウドと一緒に暮らしているということも。
あのとき、幸せという言葉とは程遠い場所にいた私が、今本当にその幸せの中にいるのか、気にしてくれたんだと思う。……だけど。
「……」
(…自分を大事に、って)
どういう意味なんだろう。彼女はどうして今、そんな言葉をくれたんだろう。
自分を大事にするっていったいどういうこと? 私は今、私を大事にできてないのかな。
(……)
考えすぎたら重い気持ちになってしまいそうで、ひとり頭を横に振る。
寝よう。そう思って仰向けになり天井を見上げると、年輪の、不思議な模様を残す木目と目があった。
(……)
子どものころ、夜中この模様を見るのが怖かったことを、ぼんやりと思い出す。なにかの目の形にも見えたそれを恐れて、よくママとパパの眠る部屋に助けを求めに行ったっけ。
今はもうない両親。二度と戻れはしない故郷。
(……まただ)
ひとりで外に出てから不思議と、ニブルヘイムのことをよく思い出してしまう。夢でも見ない限り、一日の間にこんなに故郷のことを繰り返し思い出すことなんてなかったのに。一人きりの時間というのは、こうも人を思い出や記憶へと引っ張ってしまうものなんだろうか。
(…クラウドも、あのときこうやって、過去を思い出してたのかな)
あのとき。電話で話すことすらできなかった、あのとき。
本当は、クラウドが家出をするもっと前から気づいていた。クラウドの心がどこか遠くに向いていたことを。私に相談できない何かで苦しんでいたことも。だけどあのとき私は認めるのが怖かった。私じゃクラウドを救うことができないかもしれないと……クラウドを守れない自分が、ここにいる意味があるのかと、自問自答してしまうことが怖かった。
ずるずると、音もなく忍び寄る暗い気持ちから逃げるようにまぶたを閉じた、そのとき。
「…!」
無音だった部屋に、急に鳴り響くバイブ音。それが、普段あまり使うことのない自分の携帯だと気付くのに時間はかからなかった。
荷物のどこかにしまっておいたはずだと思いながら、部屋にあった時計で時刻を確認する。
22時。こんな時間にかけてくるのは……きっと。
(…、やっぱり)
慌てて携帯を探り出す。手に取ったその画面に予想通りに表示された、見慣れたお店の名前。躊躇うことなく電話に出る。何かあったんだろうか。そもそも誰がかけてきてる?
「もしもし?」
バレット? それとも……。
『…あ! ティファ』
「マリン?」
電話に出たのは、この時間もう布団の中に入っているはずのマリンだった。
「どうしたの? まだ起きてたんだね」
『ごめんね、お電話しちゃって……』
「ううん、いいんだよ。何かあった?」
聞くだけで安心する愛おしい声に、ひとりほっと息をはく。電話の向こうのマリンは、周りに声が聞こえないようにしているのかひそひそ声だった。
『あのね、何もないんだけどね……。あのね、ティファにおやすみって言いたくて』
あまりにかわいい電話の理由にひとり頬を緩める。
そうだよね、ごめんね。寂しいよね。声には出さないけれど、あたたかい気持ちと申し訳ない気持ちが交差する。
「…それで電話くれたの? ありがとう、マリン」
『うん。……あのね、とーちゃんにあんまり電話かけちゃだめだって言われてるんだけど……かけちゃった』
「バレットに?」
『うん、ティファのじゃましちゃだめだぞって』
「そっか……バレットそんなこと言ってたんだね」
『…ティファ、げんき? さみしくない?』
「うん、元気だよ。でもマリンたちに会えなくて、ちょっとだけ寂しいかなあ」
『さみしい? わたしもちょっとだけ………ううん、なんでもない』
携帯の向こうの甘えるようなマリンの声。さみしいという言葉を頑張って言わないようにしてくれている優しさに、胸が苦しくなる。
この時間まで起きてるということはきっと眠れなかったんだろう。眠れない夜、マリンはいつも私のベッドに潜り込みにくるから。バレットもクラウドもいるとはいえ、気軽にそれができる相手がいないのかもしれない。
ごめんね。ついそう言いかけたとき、電話の向こうからバレットの大きな声が聞こえた。
(……?)
『あ、とーちゃん!』
どうやらマリンが電話をしていることに、バレットが気づいたらしい。バレットが何を話しているのかわからないけれど、二人が穏やかな声で話をしていることはわかる。よかった、バレットは怒ってはいないみたい。
『とーちゃんごめん、ティファに電話しちゃった………………うん。………………うん、聞いてみる!』
しばらく電話の向こうでバレットと話していたマリンが、明るい声でこっちに戻ってきた。
『あのね、ティファ』
「なあに?」
『今とーちゃんがね、工事のついでに、フライパンとかも買い替えようと思ってるけど、前とおんなじのでいいかって聞いてるよ!』
「買いに行ってくれるの? すごく助かる、ありがとう。前と同じでいいよって伝えてくれる?」
『うん! ……あ、クラウドが買いに行くんだけど、私もついていくからだいじょうぶだよ!』
「ふふ、ありがと。ちょっとだけ心配してた。マリンがいるなら安心だね」
『えへへー、クラウドが変なの買わないように、ちゃんと見張っとくからね』
かわいいマリンと、マリンの口から出たクラウドの名前に心が揺れ動く。私の知らないところで家のことをしようとしてくれているクラウドの姿なんてめったに見られるものでもないから、とても新鮮な感じがする。そもそも、私のいないところで家族が生活すること自体、ひょっとすると初めてかもしれない。
どうやら一生懸命に毎日を過ごしているらしい4人のことを思うと、どうしても罪悪感は残るものの……愛おしいような、微笑ましい気持ちになった。
『じゃあ、ティファ、とーちゃんに電話かわるね』
「うん、わかった。電話くれてありがとうマリン。嬉しかったよ」
『ふふー、いいえ! おやすみ、ティファ』
「うん、おやすみなさい。デンゼルにもよろしくね」
『うん! ……デンゼルー、ティファがおやすみだってー!!』
「あはは…」
またしても電話の向こう側で、デンゼルの「マリン声大きい」という声が聞こえた。どうやら家族みんな同じ空間にいるらしい。子ども部屋には電話を置いてないから一階のお店だろうか。
そうやって想像をめぐらせていると、電話の向こうから今度は機嫌の良さそうなバレットの声が聞こえてきた。
『おーティファ』
「バレット」
『遅くにすまねえなぁ、そっちは大丈夫か?』
「うん、何も問題ないよ」
『そうかそうか……いや、ティファの邪魔しちゃ悪いからよ、あんまり電話しないようにしようなってマリンとデンゼルに話してたんだが……悪いな、寂しかったんだろうよ』
「いいのいいの、気にしないで。私もちょっと寂しかったし」
『ならいいけどよ……外にいてもオレたちのことばっかり心配しなくちゃならねえんじゃ、一人旅の意味がねえだろ?』
「ふふ……気をつかってくれてありがとう、バレット」
それぐらいどうってことないのにと、家族みんなが私の旅を応援してくれている状況をほんの少し照れくさく思う。嬉しいような申し訳ないような……恥ずかしいような。
「……そっちは、どう? なんとかなってる?」
『ばっちりよ。毎朝全員6時に起こして、俺とマリンの特製モーニングを食わせてる』
「ふふ、楽しそう」
『デンゼルとクラウドには早すぎるっつって文句言われるけどよ、人間やっぱ朝が大事だろ』
「そうだね。……二人朝苦手だからなあ」
バレットの口から出る家族の話。ドタバタしている朝の風景が簡単に想像できて、思わず声に出して笑う。
マリンはともかく、男の子二人を起こすのは毎朝本当に大変。デンゼルはマリンが一緒に起こしてきてくれることが多いけれど、クラウドは話が別。仕事が午後からの日はいいけど、そうじゃない日は困る。何度起こしてもベッドから出てこようとしないし、ひどい時には私を引き摺り込んで二度寝に誘おうとすることもある。……本当はもっと私が厳しくしないといけないのに、嬉しそうに私を抱き枕にしようとするクラウドを怒ることができない私にも問題はあるんだけど。
(……クラウド)
そういえばさっきから、クラウドの声だけが聞こえない。お仕事している最中なんだろうか。まだ外にいるんだろうか。それとも眠ってしまった? 彼への気持ちばかりは、どうしても早る。
「バレット」
『あ?』
「…クラウドはまだ、お仕事?」
『あー………………お、おう、まだだな』
バレットはなぜか少し考えたあと、そう答えた。私はとくにそれを気にせず話を続ける。
「? そっか。元気そう?」
『元気かって? おめーそりゃ、元気ねえよ。あれからずっと捨てられた犬みたいな顔してんぞ』
「あはは……」
『これなら、出会った頃の、威勢だけある生意気クラウドの方がよっぽどましだ。何言っても、いつものキレのいい返事が返ってこねえんだ』
「ふふ…」
捨てられた犬みたいな顔……というのは、なんとなく想像できる。クラウドが拗ねたときや私に何かを懇願しようとするときに使う顔。あの顔に私は弱いから、いつだって甘やかしてしまうのだけれど。
そうやって一人彼を想い、頬を緩ませている私にバレットは穏やかな声で続けた。
『……なんかよ、あいつも色々、考えてるみたいだぜ』
「…え?」
『お前とのことだろうけどよ……。まあ、また帰ってきたら話聞いてやってくれや』
「…うん。そうする」
なんのことだろうと首を傾ける。だけど深く考える前に、バレットが大きな声を出した。
『あー! わるいな、結局長電話になっちまった』
「あ、ううん、楽しかったよ、ありがとう。……ごめんね? いろいろ迷惑かけちゃって」
『いーんだ、こっちのことは気にすんな』
「ありがとう。だけどあと何箇所かまわったら帰るね」
『もーちっとゆっくりしてもいいんだぞ? それともあれか、寂しくなっちまったか』
「ち、違うもん」
違うと返事をしながら、そうとも言い切れない自分を少し恥ずかしく思う。だけどやっぱり、我儘だろうか。一人勝手に外出したいと言い出したのに、もう帰りたくなったなんて言ったら……あまりにも自己中心的だろうか。そんなことまで考えて、私は言葉を中断する。
そんなときだった。バレットがひとつ言葉を漏らしたのは。
『ティファ』
「ん?」
『今回ぐらい、自分のしてぇようにしろよ。どこ行くのもいつ帰ってくるのも、お前のタイミングでいいと思うぜ』
(あ……)
バレットの言葉をきっかけにフラッシュバックする、看護師さんに言われたこと。自分を大事にしろと伝えてもらったこと。
みんなに言われてしまうぐらい、私は自分を大切にできてないんだろうか。いつも人に流されているように見えるんだろうか。私がそうだと思っていないだけ? 私が……気づけていないだけ?
(……)
『……ティファ?』
「あ……ごめん。うん、自分のタイミングでね」
『おうよ。……明日はどっか行くのか?』
「明日はね、コスモキャニオンの方に行こうと思ってる。星が見たくて」
『星ねえ。星だと確かにあそこが一番だな。あいつには会えるのかよ?』
「うん。ちょうど近くに戻ってきてるから一緒に帰ってあげてもいいよー、だって」
『よかったじゃねえか。あいつもティファ大好きだからなあ』
「ふふ、うん」
話をしながら思い浮かべる、コスモキャニオンを故郷とする彼のこと。なかなかエッジに立ち寄ることのない彼だから、会うのはあのエッジでの戦い以来かもしれない。
そうして近況報告を終えたあと、バレットは穏やかな声で電話の終わりを告げた。
『まあ、何かあったらいつでも電話入れてくれ。クラウドがすっとんでくだろうからよ』
「ありがとう。そうする」
『まー色々言ったけどよ……いつ帰ってきていいからな』
「うん。…おやすみバレット。みんなにもよろしくね」
元気な声を最後に電話が切れる。ふとまた、一人きりの部屋に意識が戻る。電話の最中に考えたいろんなことを……心の外からじっと見つめる。
私は大きくて長いため息をついてから、とりあえずシャワーを浴びようと立ち上がった。
窓の外からのぞく、ほんの少しの星空を見上げた。この空のどこかでクラウドも仕事をしているのかもしれないと、静かに思いを寄せた。