「……。もしもし?」

 

昼下がり、天気は晴れ、場所は相変わらず、人気のない教会。

こんな平和な世界で俺が今受けているのは、神羅からの否応なしの電話と……俺にとっての天使からの、容赦ない上目遣い。

 

「………」

「うん……そうだけど」

「………」

「……え? あーうん、ちゃんと聞いてるって」

「………」

 

(……うーん)

 

ちらちら。電話先に適当な返事をしながら気遣うのは、何考えてんのか読めない、可愛い真顔で俺を見つめ続けるエアリス。「わたしと一緒のときは仕事の話しないで!」みたく、ほっぺたでも膨らませてくれたらわかりやすいものの、彼女にはそんなつもりもないらしい。

 

 

 

そう。今日は、珍しく真面目に真面目に働いてもぎ取った一日休み。体を動かす仕事自体は好きだから、普段は特に休みを切望することはないけど、今日だけは働いている場合じゃなかった。

 

なんたって、奇跡的にエアリスと事前にデートの約束ができた日だから。エアリスがサンドウィッチを作って公園にいこうと誘ってくれた、どんな任務よりもどんなトレーニングよりも大事な日だったから。

 

(なのに、なあ)

 

仕事熱心な俺の会社は、こんな真面目な社員のプライベート事情なんて、全く気にしちゃくれないらしい。

 

「…えー!? 俺今日休みなんだけど知ってて言ってる?」

「………」

「あー……いやそれはさ、別に今日じゃなくてもいいだろ、明日現地集合にしようぜ。俺朝一で行くからさ、な」

「………」

「…どの口がコスト削減とか言うんだよ、あり余ってるくせに……」

「……」

 

こういうときの嫌な予感は、どうしてもれなく的中するんだろう。相変わらず社員をぞんざいに扱う会社に、俺たちソルジャーもそろそろ労働組合くらい作って、この理不尽な組織に立ち向かうべきだと思う。タークスのやつらに一瞬で揉み消しにされそうだけど。

 

だけど、残念ながら俺も、入りたての世間知らずな新入社員じゃない。

こういう直電がかかってきたら最後、逃れられないことくらい知っている。

 

「……どうしてもだめか? それ、俺じゃないとだめか?」

「……」

「……わかった」

「……」

「はいはい。それじゃあ後でなー……」

 

(……はあ)

 

こんな辛いことある? 遠慮なしに口から漏れる、普段つかないようにしているため息。

 

なんたって俺は今から、隣のエアリスに謝らなくちゃいけない。ついさっきまで満面の笑顔だった大事な女の子の顔を曇らせないといけない。これで二度と誘われなくなったらどうしてくれるんだ神羅のお偉いさん。

 

「……ごめん、エアリス」

 

心の中で盛大に文句を呟きつつ、電話が切れたことを確認し、肩を落としてぼそりと謝る。

だけど、落ち込む俺の視界に飛び込んできたエアリスは想像していたような曇った顔ではなく、いつもの明るい表情で、俺の沈んだ肩にぽんと小さな手を載せた。

 

「ねえ」

「?」

「お仕事、何時から?」

「…あと二時間後にミッドガル出発」

「なーんだ! あと二時間もある」

「へ?」

「ザックス。サンドウィッチ、食べよ。公園行けないけど、教会で食べても美味しいよ」

 

情けなくもポカンとする俺の手をひいて、エアリスは楽しそうに花畑近くのベンチまで歩いていく。そして勢いよく腰掛けて、俺に隣の席に座るよう促した。

 

「はい。ここ、座って」

「……エアリスう〜」

「もう、何?」

 

エアリスは優しい。そんなことは一億年前から知ってる。本当はもっと怒ってもいいはずなのに、愛想つかしたっておかしくないのに。そんな気持ちを感じさせず、むしろ俺を照らしてくれる底抜けの明るさは、仕事したくない……離れたくない病にかかっている今の俺に刺さりすぎる。

 

(うう……天使)

 

抱きしめたくなるのをぐっと堪えつつ、素直にベンチに腰掛け、エアリスからいい香りのするお手拭きを受け取る。普段こうやってゆっくり飯を食う時間もないし、お手拭きなんて滅多に使うこともないけど、エアリスの前ではちゃんとしたくて一生懸命手を拭く。

 

「…うん、よし。どうぞ」

 

エアリスは俺が手を拭き終えたのを確認し、持っていたカゴから丁寧に包んだサンドウィッチを取り出した。

たまごやハム、レタスが挟まるそれは俺には少々サイズが小さかったけど、エアリスが朝から一生懸命小さな手で作ってくれたんだと思うと感慨深くて仕方がなく、それだけで腹がいっぱいになりそうだった。

 

「ん、うまそ〜! ありがと、エアリス」

「どういたしまして。わたしも食べよーっと」

「食べよ食べよ! いただきまー……ん‼︎ うまい!」

「ほんと? よかった。ハム厚めにしたんだけど、わかる?」

「わかる! 全力でハムを感じる」

「あはは、そんな風に言ってくれたらハムも喜ぶ、ね」

 

冗談を言いつつ足をぶらぶらさせながら、小さな口でぱくぱくサンドウィッチを食べるエアリスを見つめる。確かに今目の前にある、一瞬でエアリスが取り戻してくれた二人の時間の尊さを、うまいハム……サンドウィッチと一緒に味わう。

 

他には転がっていない時間。エアリスと一緒にいるときにしか生まれない、戦場には絶対落ちていない……時間。

 

「ねえ、ザックス」

「…ん?」

「今日はどんなとこ、いくの?」

「これから? さむーいとこでモンスター退治」

「寒いとこ?」

「そ。ぼーっとしてたら体の中まで凍っちゃいそうなとこ」

「ええ、やだ。そんなとこにも人、住んでるんだ」

「そうだよ。ここじゃ買えないような分厚いコート着てさ、工夫して生活してるんだよ、あそこの人たち」

「ふーん。…そういえばお母さんもそんな服、持って……」

「ん?」

「ううん、なんでもない。……その人たち、助けに行くの?」

「うん。モンスターいっぱい出るんだって、最近。一般兵だけじゃ太刀打ちできないらしくてさ。そこで、俺の出番っていうわけ」

「ふふ、大活躍間違いなし、だね」

「エアリスにも見せてやりたいなー。俺のかっこいいとこ」

「もう十分、知ってますよー」

「ええ、ほんと? ……なんか照れるな」

 

恥ずかしくて頬を指でかく。そして、エアリスの言う「かっこいい俺」がどの俺なのかはともかく、仕事の話をすると悲しい顔をしがちな彼女が笑っていることに安堵する。

 

そう。戦ってばかりの俺が、彼女にしてやれる話は限られていた。だから俺はエアリスと話すようになってから、土産話を持って帰れるようにと、旅先で仕事とは全く関係ないことを気にするようになった。その土地限定の食い物や、その土地の人たちのおもしろい風習、こことは違う服装や言葉。意識するまで気に留めたこともなかった風景は何でもかんでも面白くて……エアリスと出会えたおかげで発見するものばかりだった。

 

「でも、いいなあ」

 

話をするうちにいつの間にか食事を終えていたエアリスが、手を拭きながら呟く。

 

「何が?」

「見てみたい、かも。その、さむ〜い場所」

「お。一緒についてくる? モンスター退治し終えたら合図するからさ、トラックから出ておいでよ」

「あはは、それ、楽しそう」

 

(……なんて)

 

エアリスをあんな血生臭いところに連れて行けるわけがない。そもそも神羅が許すわけがない。いや、神羅が許しても俺自身が許さない。俺が仕事中見ている世界は、彼女の目に映る景色には必要のない色をしているから。

 

だけど、そんなありえない話を彼女は笑ってくれる。冗談言うなと怒ったりせずに一緒に楽しんでくれる。俺はそんなエアリスに……思い出話をする以外に、何をしてやれるだろうか。

 

「……あ」

「?」

「エアリス、俺いいこと思いついた」

 

勢いよく立ち上がり、首をかしげるエアリスの前で取り出すのは、さっき乱暴にポケットにつっこんだ忌々しい携帯。今しがた思いついた、これを忌々しいものにせずに済む方法を、俺を見上げる彼女に提案する。

 

「…写真だ!」

「写真?」

「そ、写真。撮ってくるよ、これで。エアリスに見せてやりたい、さむ〜い景色」

 

最初ぽかんとしていたエアリスだけど、すぐ理解してくれたらしく表情が花のような笑顔に変わった。目に見えて喜んでくれているのがわかって嬉しくて、俺もおんなじように笑ってみせる。

 

「なるほど〜。その手がありましたか、ザックス殿」

「なかなか名案だと思わない?」

「名案! すごいね。写真も撮れるんだ、携帯って」

「そうそう。普段バカみたいな写真しか撮ってないから、上手に撮れるか自信ないけど」

「期待、してます!」

「…頑張ります!」

 

大げさに、気合を入れる意味でガッツポーズをする俺をひとしきり笑ったあと、エアリスは何かを思いついたように立ち上がり、ふわりと花の香りをなびかせた。

 

「ね、ザックス」

「うん?」

「それ、ちょっと貸して」

 

両手をいっぱい俺に伸ばす姿は、まるでねだる子どものよう。その愛らしい姿に頬を緩ませつつ持っていた携帯を手渡せば、彼女はころりと悪戯っぽい笑顔に変わった。

 

「んんー? …エアリスが悪い顔になった」

「ふふふ。わたしもたくさん、撮ってあげる」

「え? 俺のこと? まいったなーほんとはお金とるんだけど、エアリスだったらタダでいいや………ってあれ?」

 

俺が自分が独り言を喋っていると気付く前に、エアリスは目の前から忽然と姿を消していた。

 

どこにいったと慌てて周りを見渡す。だけどあちこち探す間もなく、案の定エアリスは一番大切にしている教会の花畑のそばにかがみ込んでいた。

 

「ふんふんふーん…」

 

鼻歌に混じって屋内に響く、エアリスが鳴らすには何故か違和感のある携帯カメラのシャッター音。俺とたった一つしか変わらないはずなのに、携帯の触り方が不慣れなのがかわいくて、彼女の背後で一人笑みをこぼす。

 

「……。なーに撮ってんの」

「え? 見ての通り、お花」

「もしかして、全種類写真に納めるつもり?」

「ご名答。ザックスの、今日の教会のお土産」

「お土産?」

「うん。写真持って帰れば、お花のこと覚えられるでしょ? いつでも、どこでも、移動中でも」

「なるほど!」

「時間、大事だから。大切に使ってね」

「…うん。まず今日からの任務中に花の写真見て、にやつく自分が見えた」

「ふふ、お花、かわいいもんね」

 

(……そうじゃないんだけどなあー)

 

エアリスと出会って以来、花を素直に綺麗だと思わなくなった。花を見て思い出すのは、花を見て思うのは、いつだって目の前の花よりもずっと可憐でかわいい女の子。

 

俺は、俺がそんなことを思っているとは知らないだろう彼女の隣にしゃがみ込み、楽しそうな横顔を見守る。エアリスはそんな隣の男のことはあまり眼中にないようで、君かわいいねとか、君美人になるよとか、女を口説く男のような口調で花に語りかけている。……花がよく育つわけだ。

 

だけどさ、エアリス。俺が脳裏に焼き付けたいのは、花の記憶なんかじゃなくて。

 

「……エアリス」

「あ、君がいいかな。君も綺麗だねえ」

「エアリス」

「ん?」

「俺、エアリスの写真が欲しい」

「わたし?」

「そう」

「…………値が張りますよ、お客さん」

「いくらでも出しましょう」

「もう」

 

珍しく少し照れた様子でエアリスが笑う。その笑顔に見惚れながら、この瞬間と空気を丸ごと残せたらいいのになんてどうしようもないことを考える。

せめてこのちっぽけな携帯の中に。色褪せてしまう前に……遠くなってしまう前に。

 

「ねえ、これ、二人でも撮れるかな?」

「ん? ああ貸してみ。……ほら、内側のカメラになった」

「…ほんとだ! わたしたちが映ってる、鏡みたい。……やっほー!」

「あははは、動画にする?」

「動画も撮れるの? ……ザックス、これもっと使ったほうがいい。楽しいよ」

「じゃあ任務から帰ってきたら、さむ〜い景色の写真と一緒に、携帯一日利用権をあげましょう」

「やったあ! 早く行って、帰ってきて」

「ひどいなー、追い出さなくたっていいだろ」

「ふふふ……はい、チーズ!」

「えっ、ちょ待って! ちゃんといい顔するからもう一回」

「やだ、今ので十分」

「ええ? こんな情けない顔……」

「かっこいいかっこいい」

「エアリスさん棒読みですけど」

 

携帯の画面に映る、予告なしに撮られたツーショット。俺は不意打ちの変な顔だけど、そこに映るエアリスの笑顔は文句なし。もう一回撮ってもらおうかと考えていたけれど……俺が一人で大事にする分には、それは必要なさそうだった。

 

ふわりと再度香る花の香り。隣のエアリスが立ち上がったのを確認してから、俺もゆっくり腰を上げる。そっと俺を見上げた彼女は、さっきまでとは違う穏やかな微笑みを見せていた。

 

「…ザックス」

「ん?」

「わたし、忘れない。写真、手元になくても、今日のこと」

「うん。俺も忘れない。……写真も今度印刷してくる」

「ううん、いいの。わたしの中、残ってるから」

「……エアリス」

「でもザックスには、必要。忘れっぽいでしょ?」

「だいじょーぶ、これは絶対に忘れないから」

「ほんとに?」

「ほんと。俺の中にも残ったから、ちゃんと」

「……。それなら、うれしい」

 

はにかむ笑顔にほんの少し宿ってみえた寂しさ。ずっと明るくいようと努めてくれている、エアリスの柔らかい心の中。ぎこちなく両腕を広げ肩を抱き寄せると、エアリスは躊躇なく体を寄せてくれる。力を込めれば折れてしまいそうなほど華奢な体を抱きしめて、俺は自分の体にもエアリスの記憶を残そうとする。

 

「……」

「……そろそろ時間、だね」

「……時計壊れてない?」

「残念、正常です」

「ちえー」

「またすぐ、会えるよ」

「ほんとに? またサンドウィッチ作ってくれる?」

「ザックスのお土産次第、かな」

「……めちゃめちゃがんばって写真撮ってくる」

「あはは、それより…」

「?」

「…元気に帰ってきて」

「……うん。任せろ」

 

腕の中で、安心したように目を閉じるエアリスを見下ろしながら考えた。おとぎ話か何かの魔法にかかったようなこの時間は、一体いつまで続いてくれるのか。こんな日々にさえいつか終わりはくるのだろうか。そのとき俺は。そのとき、エアリスは。

 

「…エアリス」

「ん?」

「仕事終わったら……すぐ、ここに帰ってくるから」

「……」

「だから……」

「…ザックス」

 

 

教会の中。普通は吹くはずのない風が、穴の空いた天井を通って花畑を揺らす。

エアリスは俺を見上げる。汚れのない……いや、恐れのない綺麗な目いっぱいに、俺の姿を映し出す。

 

「…その続き、また今度聞く」

「…エアリス」

「だからちゃんと、覚えててね」

「…うん。わかった」

「待ってるから。わたしずっと……ここにいるから」

 

(……エアリス)

 

真っ直ぐに俺を見るエアリスのこの笑顔を、忘れてはいけないと思ったのは何故だろう。今、心に刻んでおかないといけないと思ったのは、何故。

 

理由なんて誰にもわからないまま、俺たちは今日も明日の約束だけを残して離れる。たとえ明日会えなくても、一週間後、一ヶ月後になったとしても、必ずまたここで会えると信じて、俺たちは一度手を離す。

 

 

 

 

 

 

「……ザックス」

 

花畑の中に立ち、ゆっくり俺を振り返るエアリスを、俺はこの目でまっすぐ見つめた。

 

「いってらっしゃい」

 

その笑顔を、目の前の天使を、写真に収めることなんて俺にはできなかった。

エアリスはここにいた。切り取ることなんてできない世界の中で、彼女はいつだって俺を待ってくれていた。

 

 

 

 

花かんむりの待ち合わせ

 

 

(きみがいる ここが全て)

 

 


fin,

2021年夏発刊 ザクエアアンソロジー 『青空色の花、23の約束』 寄稿作品