「このあいだ珍しく、シドがうたた寝をしていたんだ」

 

そんな興味深い話が聞こえてきたのは、偶然ラウンジの前を通りかかったときだった。

何か考え事をしながら歩いていたはずなのに、愛しい人の名前に惹かれ、内容をすとんと忘れてしまう。反射的に見た声の主は、昔の隠れ家の頃からいるベアラーのものだった。

 

「シドが?」

「ああ。誰かを待っていたのか、ちょうどこの辺で座ったまま寝ていたよ。こんな感じで」

 

話を持ち出した陽気な彼が、そのときのクライブの様子を再現してみせる。椅子に座って腕を組んで、こくりこくりと頭を揺らす。そんなクライヴの真似がなかなか上手で、私は一人でこっそりと笑う。

同じく似ていると思ったのか、彼の話を聞いていた相方も大袈裟に笑って見せた。

 

「そいつは貴重なもんを見たな」

「だろ? いつ寝てるかわからないような人だからな。その場にいたみんな、気を使って暫く誰も声をかけなかったよ。一人をのぞいてな」

「わかった。ガブさんだろ」

「ご名答」

 

二人の笑い声に紛れ、私も口元に手を当ててもう一度笑う。確かに、そんな様子のクライヴに声をかけられるのはガブくらいしかいない。大方、揶揄うようにして起こしたのだろう。きっと、彼なりの気遣いをもって。

 

「でもよ」

 

一通り笑い終えたのか、話に花を咲かせた張本人が、しみじみと切り出す。なにか思い出すような、柔らかい表情で。

 

「あの人が寝てるのを見ると、なんだかほっとするよ」

 

遠くを見るその目は、優しさに包まれているように見えた。

 

 

 

 

 

 

「………ジル」

 

その日の夜。私が在るのは、みんなの話題の中心の、その人の腕の中。

お互い何も纏わず、薄いシーツだけで体を包み込む、ふたりだけの特別な時間。まるで慰めるように、大きな手で私の髪をゆっくりと撫でてくれていたクライヴが、ふと名前を呼ぶ。

 

なあに? その意味を込めて、目を見つめたまま小さく首を傾げて見せると、クライヴは心配そうな顔をして続けた。

 

「…眠れないのか?」

「え?」

「さっきからちっとも、目を閉じようとしない」

 

そう言われて自覚する。私にはまだ、夢の中に旅立つつもりがない。

なぜならば、今日偶然聞いたあの会話のことを考えていたから。私も、彼らの言う「ほっとした」気持ちを感じたいと、こっそり思っていたところだったから。

 

クライヴからすると、不思議だったのかもしれない。おそらく寝かしつけようと、頭を撫でてくれているのに……一向に眠る様子を見せない私が。

 

「…ふふ」

「?」

「ごめんなさい。大丈夫よ。何も悩んだりしていないわ」

 

ありがとう。そんな気持ちを込めて、私も彼のしっかりと芯のある黒髪を撫でる。だけどクライヴはますます心配そうな顔をして、こちらを見つめる。私に誤魔化し癖があることを、クライヴはわかっているから。

 

「…本当か? 最近、体の悩みもあまり聞けていないような気がする」

「それは、何も困っていないからよ。我慢しているわけじゃないわ」

「でも君は、本当に我慢強いから……」

「クライヴ。大丈夫ったら」

 

だんだん深刻な顔になっていく彼が愛おしくて、申し訳なさを感じつつ、私は対照的な笑顔になる。

 

わかっているの。あなたをここまで心配性にさせてしまった一因に、私もいるということくらい。だからあなたはいつも全力で、私や仲間を気遣ってくれるのだということくらい。

 

心配させてごめんなさい。今度はそんな意味を込めて「へ」の字の形になっている唇に、そっとキスをする。困り顔をしていたクライヴの表情は、ほんの少し甘く和らいだ。

 

「……ジル」

「ごめんね、クライヴ。心配してくれてありがとう」

「……本当に何も困っていないんだな?」

「ええ、本当に」

「…それなら、いいんだ」

 

納得したのか、諦めたのか。逞しい腕が、少し強引に私の体を抱き寄せる。世界で一番安心できる彼の体温に包まれ、私はつい目を細めてしまう。これには、抗えない。涙が滲むようなクライヴの優しさを、無碍にはできない。

 

クライヴの寝顔を見つめたくて起きていたけれど、かえって彼を心配させてしまうのなら、やめよう。寝顔なら、明日の朝、少し早く起きて見させて貰えばいい。子犬のような顔をするクライヴも好きだけれど、あなたにはやっぱり、一瞬でも長くほっとしていて欲しいから。

 

その時間を、あなたに与えることができるのならば……それ以上に、望むことなどないのだから。

 

 

 

 

「……おやすみ、ジル」

「……」

「…ゆっくり休んでくれ」

「……、」

「俺が必ず、そばにいるから」

 

あたたかすぎる想いと、言葉と共に、クライヴは再び私の髪を撫でてくれる。必要のない心配をかけてしまって申し訳ないという気持ちは、クライヴがくれる無償の愛によってほぐされ、許されていく。

 

手のひらの温もりを感じ、意識をゆっくり手放しながら、この人の平和を守りたいと、強く強く思った。

 

いつの日か彼のうたた寝が、珍しいものではなく、この隠れ家の名物になるように。休んでもいいのだということを、彼が彼自身に、許せるようになるために。

 

 

 

春陽にうたた寝 

 

 


fin.