我が家ではいま「ただいま」が流行っている。
多用しているのは、何を隠そうクラウドだ。エッジに新しいセブンスヘブンを建てて、我が家と呼べる場所ができてから、彼が流行らせ始めた何てことない瞬間。「ただいま」を言う相手は大抵私。家にはバレットもマリンもいるのに、彼は買い出しから戻り次第、まっすぐこちらに向かってやってくる。それから何故か改まって言う。目を見て、大切そうに。その言葉が特別であることを、自分自身で確かめるように。
ただいま、ティファ。
「おーう、戻ったぞ」
「ティファ、ただいまー!」
お日様がてっぺんに登った頃。まだ誰も「入店」したことのない、未来のお店の玄関から、バレット親子が帰ってくる。キッチンで一人料理研究に燃えていた私は、笑顔の二人を出迎える。そういえばいつの間にか、お昼ご飯の時間だってことを思い出しながら。
「おかえりマリン、バレット」
「ティファ、お腹減ったぁ」
「これ、食べる? 試作品なんだけど、美味しく出来たから」
「食べる!」
「じゃあ、バレットと手を洗ってきてね」
「はぁい」
偶然作っていた、マリンの大好きなあつあつのグラタンを用意しながら、親子を洗面台に向かわせる。バレットにたくさん遊んでもらったのだろう。笑顔が満開に咲く子どもらしい表情に、思わずほっとしてしまう。
あっという間に手洗いから戻ってきたマリンは、嬉しそうにテーブルの座席に座った。
「マリン、いっぱい遊べた?」
「うん! ずっととーちゃんに肩車してもらってたの」
「よかったねぇ。目線高かったでしょ」
「そう、とーちゃんクラウドより高いんだー」
「がははは、とーちゃんは世界一だからな」
マリンと私の会話を聞いていたバレットが、椅子にどかんと座りながら話に入ってくる。朝からずっと遊んでいたみたいだから、疲れているかと思ったけれど、バレットはつられるくらい幸せそうな顔をしていた。
「バレットもマリンと同じものでいい?」
「おうよ、悪いな。ありがとよ、ティファ」
二人の前に出す、まだ名前もない新作のグラタン。二人揃った「いただきます」のあと、美味しそうに頬張ってくれる姿が嬉しくて、つい一人にこにことする。
そんな食事の最中、ほっぺたにソースをつけたまま口を開いたのはマリンだった。
「ねえ、そういえばクラウドは?」
「まだ帰ってきてないの。買い出し手こずってるのかも」
「あいつが戻ってきてたら、ティファから離れねえからすぐにわかる」
「あはは、そんなことないよ」
「んなことあるよなぁ? マリン」
「うん! クラウドね、面白いんだよ」
「何が?」
「あのね、おうちに戻ってきても、ティファを見つけるまでただいまって言わないの。とーちゃんが居てもだよ?」
「ええ?」
「多分ね、クラウド、ティファが特別なの」
秘密を打ち明けたときの、子どものわるい顔。マリンのそれは微笑ましくなるほど可愛いけれど、今私の頬を緩ませてしまっているのは、恥ずかしながら多分、その内容の方だった。
「偶然だよ、きっと」
笑顔をつくって何となく場を濁す。
クラウドが最近、丁寧にただいまを言ってくれることには気づいていた。こちら目掛けてやって来てくれる、自覚もあった。だけど、誰かに「ただいま」と言えることが嬉しいのは私もわかるから、気にしないでいた。クラウドには長らく「帰る家」なんてなかったから。私にも……バレットたちにも。
「偶然じゃないったら」
ほっぺたを膨らませるマリン。そんな彼女に微笑んで誤魔化していると、珍しく穏やかにご飯を食べていたバレットが、フォローをくれる。
「オレにはよぉ、ティファ、わかるぜ」
「え?」
「あいつは多分、ただ家に帰ってきてる訳じゃねえんだろうな」
その続きはずいぶん簡単に、私笑顔にさせてみせた。
「クラウドは、家っつーより、ティファんとこに帰ってきてるんだろうよ」
「ただいま、ティファ」
お日様が傾き始めてしばらく経った頃。待ち望んでいた声が聞こえてきたのは、お昼ご飯の時間も過ぎ、おやつの時間にさしかかるときだった。
「! クラウド」
相変わらず料理研究に勤しんでいた私は、突然聞こえた声にぱっと顔をあげる。どうやらクラウドはお店の裏口から戻ってきていたらしく、目が合ったときどことなく嬉しそうに見えた。……その両腕には、思っていた以上の荷物が抱えられていたのだけれど。
「おかえりなさい、すごい荷物!」
「…予定していた以上のものを貰ってしまってな」
「貰ったの?」
「必要な野菜を買いに寄っただけなんだが……豊作だったんだと」
「わあ、有難いね。でもごめんね、重かったでしょう」
「いや、平気だ」
「キッチン片付けるね。ここに置いてくれる?」
「うん」
クラウドの持って帰ってきてくれた大量の野菜を置くために、広いキッチンにスペースを作る。クラウドは素直に空いた場所に荷物を置いたあと、何故か満足そうに私に向き直る。
キスをされると気づいたのは、唇が触れる半秒前のことだった。
(わ……、)
反射的に、ぎゅっと閉じた目。気づけば腰にまわっている、がっしりとした腕。その力強さと裏腹に、重ねてもらった唇は柔らかい。
たった三秒触れ合っただけなのに、心臓が急速にバクバクとしている。キスに慣れたなんて口が裂けても言えないのに……不意打ちなんてもってのほかだったから。
「……」
「…、く、クラウド……!」
「ん……?」
「ん? じゃなくて、び、びっくりした……」
「…ごめん、我慢できなかった」
「もう……ワンちゃんじゃないんだから」
顔を真っ赤にする私を、クラウドはにこにこと見つめる。たぶん、全然反省はしていないのだろう。それもそのはず、クラウドはわかっている。私が決して嫌がっているわけではないことを。
その証拠に、クラウドは全く懲りることなく、私をそのまま抱きしめる。
自然と頭を預けることになったその肩は、何度頼ってもどきどきしてしまうほど、しっかりとしていた。
「……ティファ」
「だ、だめだよクラウド……」
「…抱きしめてるだけだ」
「…バレットもマリンもいるからね?」
「…二階だろ。降りてこない」
「……」
でも、も、だけど、も、通用しない。そろそろ言うことがなくなってきて、私は文字通り言葉に詰まる。
それからようやく……素直じゃない私に、頭の中の私が呟くの。いいんじゃない、って。あなたも本当は嬉しいんでしょう、って。
(……)
観念して、広い背中に腕をまわす。そうするとクラウドは、より一層強い力で抱きしめ返してくれた。
全く予想できていなかった甘い時間に、頭の中がくらくらするのがわかる。まるで、そう。どこかが溶け出しているような。思考力がふわふわと漏れ出てしまっているような。
クラウドが、ここにいる。大好きな人が、自分を抱きしめてくれている。ここにいることを……望んでくれている。
愛おしさと、どきどきと、言葉では言い表せない多幸感。それに、体も心もすっぽりと包み込まれながら、私はさっきバレットに言ってもらったことを思い出す。
『クラウドは、家っつーより、ティファんとこに帰ってきてるんだろうよ』
(……)
もし本当に。もし本当に、クラウドが心のどこかでそう思ってくれているのなら。私はこれ以上、どこに幸せを思い描けばいいのだろうか。
「……クラウド」
「…ん?」
「……、おかえりなさい」
勇気を出してもう一度、耳元で囁く。さっきよりもちゃんと想いをこめて。
するとクラウドは、大きく息を吐き、力を抜いてから返事をしてくれた。安心したかのように。まるでこの言葉を……正解だと認めてくれるように。
「……ただいま」
「……、」
「ただいま……ティファ」
「あ! クラウド、おかえり!」
「…ただいま、マリン」
「やっぱりおめー、ティファの……」
「とーちゃん、しっ! だよ!」
「でもよぉ……」
「?」
ふたりきりの時間が暫く続いたあと、クラウドがカウンターに座り、私の料理実験の見学モードに入っていた頃。マリンとバレットが、クラウドの帰宅にようやく気づいて降りてくる。私たちのお昼間の会話を知らないクラウドは、不思議そうにこちらを見ていたけれど、マリンの機転で真相は彼にぶつけることなく終わった。
クラウドの本音はわからない。だって私たちは、一緒に暮らし始めたばかりなのだから。これから家族のことを、少しずつ知っていくのだから。
だけど、いつか「ただいま」が、私たちにとって当たり前になる日が来るのかもしれないと思うと、視界がぱっと明るくなるような気がした。それは久しく忘れていた、安らぎそのものだった。
只今
(未来につなぐ)
fin.