「油断するなと言っただろう、ジョシュア」

 

特に大きいわけでもないのに、苛立ったクライヴの声が耳に飛び込んできたのは、それが珍しいものだったからだろう。

 

サロンで石の剣のみんなと話をしていた最中、階上の医務室あたりから聞こえてきた声のほうに、驚き目を向ける。誰が誰を怒っているのかなんて、考えなくてもわかった。医務室の前で腕を組み、むっとするクライヴ。そんなクライヴから目を逸らしながら、苦笑いするジョシュア。彼の腕には、何重にも白い包帯が巻かれている。

二人の様子を、私を含む階下の人々は物珍しげに見守る。

 

(…クライヴ)

 

「ごめん、兄さん」

「お前は医者じゃないんだぞ。何でもかんでもフェニックスの力で治せると思うな」

「わかってる。でもまさか、毒が入ってるなんて思わなくて」

「ジョシュア。それを油断というんだ」

「…ごめんなさい」

 

(……ジョシュア)

 

しゅんとするジョシュアは、あの頃のままだった。それは、ジョシュアお得意の……クライヴによく効く「もう怒らないで」のサイン。しっかり俯いて、体を少し縮こませ、小声になる。ジョシュアのこの姿を見て、クライヴが「もういい」と怒るのを諦めるところを、私は十数年前何度も見てきた。

 

「……。…もういい」

 

(…やっぱり)

 

予想通り、先に根を上げたのはクライヴ。私は、俯き続けているジョシュアの顔がぱっと明るくなったのを見逃さない。そしてもちろん、クライヴはそのこっそり笑顔に気づかない。

 

(ふふ)

 

クライヴは真面目にジョシュアを心配し、怒っている。ジョシュアだってそれはわかってる。そんな二人を「微笑ましい」と思ったのは、きっと私だけではないだろう。

 

「…兄さん」

「…いいな、次は気をつけろ。それと、無闇にその力を使うな。体を大事にしろ」

「ああ、わかってる。ありがとう」

「……。次の作戦まで暫く休め」

「うん。兄さんもね」

「…ああ」

 

クライヴは、ジョシュアに何度かけたかわからない心配を託してから、彼を置いて階段を降りてくる。すれ違いざま、クライヴは困ったように微笑み私の肩に手を置き、自室に向かっていった。

その「兄さん」の背中を愛おしく見送ってから、私の目線はもう一度ジョシュアへ。案の定彼は、すでににこにこと機嫌のいい様子で、同じくクライヴの背中を見守っていた。

 

(…ジョシュアったら)

 

思わず一人笑みをこぼしてから、私はそんな「弟」のもとへと足を向ける。階段を登り始めると、ジョシュアはすぐ私に気づき、紳士的に手を差し伸べてくれた。

 

「ジル」

「ジョシュア。おかえりなさい」

「ただいま」

「怪我をしたの? 大丈夫?」

「あ、見てた?」

「ええ。みんなでね」

 

ジョシュアの視線を誘導するように、サロンの方を見下ろす。弱ったなあ、と彼が笑うのも無理はない。そこには彼ら兄弟を微笑ましく見守っていた、大勢の家族がいるから。

 

「はは、全然気づかなかった」

「珍しかったのよ。普段クライヴは皆に怒ったりしないから」

「そうなの? …いや、そうか。兄さんは昔から、無闇に同胞を叱るタイプじゃないな」

 

得意げに言うジョシュアの横顔は、やっぱりあの頃と同じ。あの頃の……クライヴの姿をきらきらと見つめていた頃と。

 

『兄さんは絶対に負けないよ。でしょう?』

 

(……)

 

「…ジョシュア。それより、怪我は?」

「ああごめん、大丈夫だよ。先生に薬を塗ってもらったから」

「よかった。敵にやられたの?」

「うん。大したモンスターじゃなかったんだけど……ご存じの通り、油断しました」

 

降参。そう言わんばかりに、お茶目に両腕を顔の高さまであげてみせるジョシュア。

私でさえ怒る気力をなくすのにクライヴが敵うはずがないと、くすくす笑いながら思う。

 

(クライヴも、大変ね)

 

ジョシュアが、あなたの大好きなジョシュアのままでいてくれるから。

 

「…よかった」

「ん?」

「あなたが、昔から変わらずにいてくれて」

「…ジル。まだ僕のことを子ども扱いしてる?」

「ふふ、ごめんなさい。違うの。あなたは立派になったわ。クライヴだってきっとそう思ってる。だけど……」

「だけど?」

「…私はあなたが、怒られているときでさえ嬉しそうにしてるのを……知ってるから」

「……。ジルには敵わないな」

 

ジョシュアが珍しく照れくさそうに鼻を触る。

もしかしたら複雑な気持ちにさせてしまっているかもしれない。彼がクライヴの隣を歩くために、精一杯背伸びをしているのは知っているから。私だって……一緒だから。

 

そう。思い返せば、かつてのジョシュアもそうだった。

それぞれお役目が違うせいで、なかなか兄弟一緒に過ごす時間が取れなかったあの頃、ジョシュアはクライヴに構ってもらうため、色々な手を使っていた。母親のもとを抜け出し訓練場に顔を出したり、駄々をこねて教育係の人にクライヴを呼んできてもらったり。クライヴはその悪戯に気づく度、弟を軽く注意するけれど、当の本人はいつも嬉しそうだった。いつも、にこにこ笑ってた。

 

(……)

 

とはいえ、あまり子どもの頃と重ねると、彼に失礼だ。

これ以上言わないでおこう。そう思い話を切り替えようとした矢先。ジョシュアが遠くを見ながらぼそりと口を開いた。

 

「……僕も」

「?」

「僕も、君が君のままで……そして、兄さんが兄さんのままでいてくれてよかったって、心の底から思うよ」

「…ジョシュア」

 

微笑んで見せたジョシュアの視線がふと、一瞬だけ下に落ちる。それから大きくため息をつき、話を続けた。

 

「……。実はね、最初はちょっとだけ、緊張してたんだ。兄さんに会うの」

「…どうして?」

「だってほら、僕ら……色々あっただろ。僕はともかく、兄さんがもう二度と、昔のように接してくれなくなったらどうしようって……不安だった」

「…ジョシュア」

「だけど、心配なかった。兄さんは兄さんのままだった。お互いの立場が変わっても、変わらず接してくれる。優しくも、厳しくもしてくれる。……それが嬉しかった」

「……」

 

ジョシュアの言っている「色々」が何を指すのかはわかる。

彼ら兄弟を引き離した、あの悲しい事件。クライヴはあまり積極的に話をしないけれど、ずっと気にしているのは知っていた。再会してもなお、十歳のジョシュアの幻影が消えないのだと……いつか、話してくれたこともあったから。

 

だけど、ジョシュア。私は思う。

クライヴがクライヴのままで在れるのはきっと、あなたのおかげなのだと。あなたが、あなたのままでいてくれたから……クライヴは、変わらずに済んだのだと。

 

(……)

 

「…ジョシュア」

「…ん?」

「一緒にクライヴのところに行かない? 用事があるの」

「あ……でも、僕怒られたばかりだし」

「うそ。気にしてないでしょう」

「あはは、やっぱりダメか。…いいの? 僕もついていって」

「もちろん。一緒に仕事を手伝ってほしいの。あと……」

「?」

「彼がまたこっそり強敵倒しに出かけないように、見張りは多いほうがいいから」

「…なるほどね」

 

ジョシュアと二人、笑い合う。あの頃みたいに遠慮なく笑ったりはできないけれど、流れる空気は変わらない。私たちは同じ思い出を共有している。同じ想いを持っている。

 

私はジョシュアの手を引いて歩き出す。きっと自室で一人文字通り、弟のことで悶々と頭を抱えているであろう優しい人に会いに行く。ありがとうを伝えるために。大丈夫だと、伝えるために。

 

しかと握ったジョシュアの手は、温かかった。誰がなんと言おうとも、彼らの手には温もりがあった。

 

 

 

種火

 

 

 

 


fin,