誰かに優しく触られている感覚がして、目が覚めた。
「……」
あたたかい温もりの主を探して、意識を浮上させる。目を少し開けると見えるのは、隣に横たわるジルの姿。
幸運なことに、俺に起こしたのは彼女らしい。ジルは俺の頬をゆっくり撫でながら、どこかうっとりした表情をしている。柔らかい朝日に包まれる白銀の彼女は、天使か女神かを可視化したような美しさを持っていて、思わず夢の世界を疑うほどだった。
「………」
「……あ」
いつの間にか、うっとりとしていたのは俺の方だったかもしれない。ぼうっとしているうちに、ジルは俺が起きたことに気づき、目元を細め微笑む。
「おはようクライヴ」
そうして、半分寝ぼけたままの俺は、彼女から小鳥のような口付けをもらう。天にも昇る気持ち、というのは今のようなことを言うのだろうか。頭の中が幸福で満たされるのを感じる。
「…ジル……」
だから……彼女がまだ、俺の頬や顎を撫で続けていることに気づくまで、若干の時間がかかった。
(…………ん?)
「……ジル?」
「なあに」
「…何、してる?」
「あなたに触れてた。…嫌だった?」
「嫌なわけない……でも、痛くないか」
「髭のこと?」
「ああ」
「痛くないわ。気持ちいいもの」
「そうか? ジルがいいなら、いいんだが……」
どうやらジルが嬉しそうに触っているのは、俺の頬というより無精髭らしかった。
最近朝から忙しくて、ろくに整えられもしていないそれは、まじまじと見てもらうものでもない。楽しそうにしてくれるジルは大歓迎だが、一方で年甲斐もなく照れくささを感じ始める。
だがそんな、「照れくさい」などと思っている時間はすぐ終わる。微笑んだジルが、あろうことか自身の柔らかい頬を、俺の頬に擦り寄せたから。
「ジ、ジル」
最初、つい、素直に喜びで顔がほころんでしまった自分を叱りたい。我に返り、慌てて彼女の顔を両手で包み引き剥がす。それから俺は、怒っているのか喜んでいるのかわからない中途半端な顔のままジルを注意した。
(…しっかりしろ、俺)
「ジル…、だめだ。君の肌が傷ついてしまう」
「いいわ、気にしない」
「いや、俺が気にする。どんな形であれ君を傷つけたくはない」
「痕は残すのに?」
「……。ジル」
「ふふ」
(…しまった)
それを言われてしまったら、言葉が続かない。ちらりと否応なしに視界に映る、彼女の胸元に咲く鬱血痕。……俺には昨夜、この場所に意図的に噛み付いた、自覚も記憶もある。弁解の余地はない。
(……はあ)
彼女はたまにこうした頓知をきかせることがある。
普段、皆の前では整然とした振る舞いでいるジルが、俺の前で少し子ども返りしてくれる様子は何とも愛おしい。だが同時に、頭のいいジルの悪戯に、俺はいつもまんまとひっかかるので、心はどぎまぎとしてしまう。
(……)
「…ジル」
「?」
何とか優位に立てないかと、慣れない足掻きをするために、機嫌のいいジルに口付けをする。
なだめるように柔らかくついばみ、ゆっくり髪を撫でながら解放する頃には、彼女は素直に大人しくなっていた。
「……クライヴ」
決してうまくはないであろう口付けにも、どうやら効き目はあるらしい。ジルはうっとりとした表情に戻り、満足げに胸に頬を寄せる。
そんな様子にほっと一息つきつつも……だんだん、この一人押し問答が可笑しくなってきて、俺は頬を緩める。
(…何をやってるんだ、俺は)
まったく。なんて仕方のなく……愛おしい時間だろう。課されし使命から見逃してもらっているような、この数十分間は。
「……クライヴ?」
「ん?」
「考え事?」
「いや。……ジルのためにも、そろそろ整えないとと思ってな」
「…これ? 今のままでも素敵だけれど」
「あまり適当だと、君をまた危ない目に遭わせてしまう」
「ふふ、大袈裟よ」
「大事なことだ。いっそのこと、全部剃ってしまうか」
「……」
冗談のつもりでそう言えば、ジルは何やら思うことがあったのか、黙ったままゆっくり半身を持ち上げた。それからあっという間に俺を押し倒し、上に乗ってしまう。……こうしてまた、優位は逆転する。
「…ジル?」
「もう少し待って。全部なくしてしまうのは」
「…好みじゃないか?」
「いいえ。きっと、すごく似合うと思う。だから……」
「?」
「…だから、楽しみにとっておきたいの。いつかふたりで外を旅するときに、見せて」
「……ジル」
心の裏をくすぐられるような、何ともいえない愛おしい約束。つい絆され頷くと、彼女はご褒美とばかりに再びキスを落としてくれた。
(……)
ジルのくれる甘い口付けに浸りながら、俺は瞼を閉じる。たとえ未来で、ジルに「何のこと?」と笑われたとしても、この約束は覚えておこうと……柄にもないことを考えながら。
どんなに小さくても、些細なことでも構わない。ジルと作り上げた約束は、ひとつ残らずこの先に持っていきたい。
それが俺の、生きる理由に繋がるから。全てを果たし、生きて帰ってくるという覚悟に……繋がるのだから。
なんだかんだとジルに絆され、またしても頬を撫でられる心地よさに酔いしれながら、俺は恐る恐る未来のことを想像していた。どんなに風当たりが強くとも、彼女が隣にいるならば、俺はそこでも笑っていられるような気がした。
すきまに、陽だまり
fin.