真っ暗だ。ひとりきりで眠る宿の部屋の中で、天井を見つめながら、自覚する。
手を上に伸ばしてみても、何もない。何もないどころか、自分の指先まで真っ暗で、何も見えない。自分が何を掴もうとしているのかも、自分が何に掴んで欲しいのかもわからない。だからその手はやがて、だらんと力を無くし下に落ちる。私自身の、手を伸ばし続けたいという気持ちがエネルギー切れを起こす。もういいか。何でもいいや。そんな言葉が喉の奥あたりまで出かかって、消えていく。
一寸先は闇って、きっと、このことだ。
何ならむしろ、このことであって欲しい。右を見ても、左を見ても、上を見上げても、足元を見下ろしても、正しい道がわからない。振り返っても、もう戻れない。前に進もうにも、道なんてずいぶん前からない。そんな「今」以上の闇はないと、誰かに太鼓判を押して欲しい。今以上の黒があってしまうなら、すでに燃え尽きようとしている心は確実に終わるだろう。
絶望? そう、絶望だ。自分が絶望の間際にいるのがわかる。少し気を許せば、その黒の海に飛び込んでしまうような、そんな感覚。
人間って、そんなに強くないから。
私はそんなに、強くないから。
(……強くないのに、私)
「……」
最低限の呼吸を繰り返し、ゆっくりと瞼を下ろす。
眠ることは怖い。フラッシュバックする数々の視覚記憶。脳内で勝手に再生される聴覚記憶。涙、笑顔、赤色、黒。高い声、低い声、悲鳴、笑い声。今の私にとって、そのすべてが闇だ。今、思い出せる記憶の中に、明るい記憶なんて何もない。
大好きな人、大好きだった人。
大切な人、大切だった人。
愛情と劣情に、憎悪に似た感情が入り混じり、心の中を支配する。大切な思い出に、大好きな笑顔に、声に、全てに、絶対に向けたくなかった暗い感情の刃が向く。
私は、試されているのだろうか。何に? 何のために? 試され、乗り越えた先に一体何があるんだろう。そこに、大好きな人はいるのだろうか。そこなら、大切な人が帰ってきてくれるのだろうか。未来の見えない試練。一体、何のエネルギーを使って立ち向かえというのだろう。何を乗り越えればいいのかもわからなくなった私が、辿り着ける場所などあるのだろうか。
考えてもわかるはずのないことを、永遠と考える。だんだん、考える力すら無くなっていく自覚もある。だけど、これを止めればいよいよ終わりだと、何とかそれを振り絞って、考える。考え続ける、形をとる。
終わりのない迷路。答えのない問い。消えない光景。見えない心。見失う、寸前の、想い。
(……誰か)
助けて。
(誰か)
「……助けて」
助けて。私を。お願い、助けて。
(…助けて、)
「……クラウド」
『なぁ、ティファ』
淡く柔らかい思い出の中で、クラウドが私を呼ぶ。
(…クラウド)
優しい表情で、クラウドは私を見つめる。
どうしたの?そんな意味を込め、記憶の中の彼へ首を傾げると、クラウドは何かを懐かしむように昔話を始める。子どもの頃、私たちが過ごした村での思い出。そこで食べてきたもの。そこで感じてきたこと。ぽつり、ぽつりと、私たちは思い出を交換する。些細なことから、驚くようなことまで、中身はきっと、何でもよかった。
『あのさ、ティファ』
クラウドがそこにいて、私もそこにいる。
クラウドが笑って、私も笑う。
『ティファ』
手を伸ばせば、触れられる。
声をかければ、振り返ってくれる。
『…ティファ』
それだけで、よかった。
(クラウド)
それさえも、強欲だった?
(…クラウド)
ごめんね。私どこで、間違えたんだろう。
(クラウド)
どうすればあなたは……今も、ここで。
(……クラウド)
胸に、大きく空いた穴。その中で見つけた、わずかに灯る、優しい気持ちや、あたたかい想い。
これだけは離すものかと、私は歯を食いしばる。涙はとめどなく溢れる。拭ってくれる人はもういない。大好きな人にはもう会えない。黒は、全てを連れ去った。想いや記憶だけでなく、あの子の命も連れ去った。黒は今も奪い続ける。人としての感情を、人として大切な想いを、尊厳を、希望を、今、このときも奪い続けている。
(……返して)
私はもう一度、手を上に伸ばす。
腕は震える。怒りで、悲しみで。無力さで、虚しさで。
「…返してよ」
私は苦しさで息をする。苦しさを使って、息をする。
負けたくないと、諦めたくないと。唯一灯る優しい想いが消えないよう、必死に抱きしめ、息をする。
だって、私が諦めたら、この思い出まで消えてしまう。私が負けたら、この思い出まで、あの人の笑顔まで、なかったことになってしまう。
あの人の温もりが、あの人の優しさが……あの人が確かにここにいたという事実が、消えてしまう。
それだけは嫌。
それだけは奪われたくない。
あの人の、私たちの存在証明だけが……あの人を信じていたい想いだけが、私をこの世に留める、最後の原動力なのだから。
真っ暗闇に包まれたまま、私は夢の世界へ意識を飛ばす。涙も絶望も止められないまま、体を沈める。
呼吸のコントロールを手放した先、意識の向こう側で、私は光を見たような気がした。今は見つけられない、確かに私の中にある思い出が、遠くで私を、呼んでいるような気がした。
Silver lining to the cloud
fin,