機械の音も、人の声もない真夜中のニブルヘイム。何もかも思い出のまま、ずっと変わることはないと思っていた景色。

 

「やっぱり、綺麗だね」

 

どれくらいの間、星を眺めていたのだろう。

十分以上前、俺たちはそろそろ戻ろうかという話をした。だが、戻ろうと最初に言ったティファとまだ、給水塔の足場に腰掛けたまま、夜空を見上げている。

 

「…そうだな。これ以上の星空は、記憶にない」

「ね。ずっと、見ていたくなっちゃう……」

 

うっとりとそう呟くティファを見つめてから、俺も倣って空を見上げる。

 

夜空を埋める、数え切ることなどできない星々。溢れて落ちてきそうだとはよく言ったものだと思う。夜の闇の隙間をなくすように星々は光る。そのひとつひとつ少しずつ色が違って、大きさも違う。

 

「…あ。でも……」

 

ふと。星空を見上げていた視線を落とし、ティファが少し悲しそうな顔をした。俺は変わらずただ、その横顔を見守っていた。

 

「…ん?」

「…ここの中で起こったことって、忘れちゃうんだよね」

「……ああ。そうだったな」

「うん……わかってはいたけど、ちょっと……寂しいね」

 

ティファが、自分の脚の上で握り拳を作る。寂しそうに、その背中は少し丸まる。

 

そう。ここで起こることは、思い出にはならない。思い出として持ち帰ることはできない。言葉で確認し合わずとも、俺たちはきっと、それを承知でこの夜に戻ってきた。いや、変えることのできないそのルールを知らなかったことにして、俺たちはここにやってきた。誤解を恐れずに言えば、まるで悪いことを試すような感覚だ。本当はすべきではないことだと、俺たちはわかっていた。

 

過去に縋り付く。そして、そこで作った思い出は消える。そんな二重苦、あっていいはずがない。だけど俺たちはそれを選んだ。それでも俺たちは……俺は、この「思い出」に触れたかった。

 

「……」

「……、」

 

華奢な肩を抱き寄せてしまったのは、なぜだろう。どうせ忘れてしまうのなら、と思ったのか。それとも忘れたくないと、願ったからか。

 

「……」

 

ティファは少し、驚いていた。抱いた肩にわずかに力が入る。だが何も言わず、俺の肩にそっと、頭を預けてくれた。

 

「……。ティファ」

「ん……?」

「…大丈夫だ」

「え……?」

「…ここで起こったことは、忘れるかもしれない。だけどきっと……今感じていることは、嘘じゃない」

「…クラウド」

「……。ごめん。そうだといいなと、思う」

「……、うん。…うん、そうだね」

「……」

「…クラウド」

 

視線は自然と絡まった。言葉を交わさなくても、お互いが何を考えているのかがわかった。

 

俺を見上げるティファの瞳に、星の光が入り込む。誰が何と言おうと……星空よりも、目の前のティファの方が綺麗だと、心が思う。

 

「……」

「……」

 

身をかがめるまで、数秒。唇が重なったのも、ほんの数秒。

 

瞼を閉じ、長いまつ毛をわずかに揺らして、俺を待ってくれるティファ。近くに感じる優しい香り。想像よりもずっと柔らかい唇。俺が今、確かに見つめ、感じていること。何があっても、記憶から剥がれ落ちることのない……大切な、ティファのこと。

 

「……」

「……」

「……。やだな」

「……ん?」

「…忘れたくないな。今、感じてること」

 

キスを終えて、俺たちは自然と互いを抱きしめ合う。

 

腕の中でティファは、まるで子どもが駄々をこねるような声色で呟いた。きっとこれも、消えてしまう思い出だからと、ティファ自身が許したこと。そんなティファを受け入れない選択肢は、俺にはない。だからただその身体を抱きしめる。同じことを感じているのだと……ティファに伝える。

 

「……。もし」

「……?」

「もし、忘れてしまっても……いい。俺がまた、思い出させる」

「……ほんと?」

「ああ。……約束する」

 

忘れてしまう約束に、意味はあるのだろうか。

約束は俺たちに、どれだけの記憶を導いてくれるのだろう。

 

「…うん。ありがとう……クラウド」

「……」

「…忘れないよ、私。必ずどこかで……覚えてるから」

 

俺の胸に頬を擦り寄せ、ティファはただそれだけを残した。俺ももう何も言わず、抱きしめる腕に力を込めた。これ以上の言葉は必要なかった。何かを覚えて帰れるのだとしたら、それはきっと、言葉ではなかった。

 

 

 

 

 

星は、静かに瞬いていた。

思い出が消えても、この星空だけは、俺たちを覚えていてくれるような気がした。

 

 

 

 

 

トゥナイト

 

 

 (今夜、確かにここにある)

 

 


fin,