「もう」
眉間に皺を寄せながら、ひとりため息をつく。「もう」の矛先はクラウド。だけど心の底から「もう」って思っているわけではないから、聞き流してほしくて、声は小さめ。
ちらりと覗き見るクラウドは今、ベッドの上。すやすやと気持ちよさそうに眠っている……のではなく、顔を赤くして、苦しそうに荒く呼吸を繰り返している。
「……」
「…無理するから」
今度は「もう」よりも少し大きめの声で呟く。これは、クラウドに届けたい言葉だったから。
しばらくじっと目を瞑っていたクラウドだけれど、私が声を発したことに気づいたのか、薄く瞼を開ける。こちらを見る眼差しからは、怒りも悲しみも感じない。どうやら純粋に今の自分の状況を受け入れているようで、拍子抜けするくらい穏やかだった。
「……」
「…こんな雨に一時間も打たれたら、誰だって風邪ひくよ」
「……」
「……。びっくりしたんだよ? 帰宅して早々、座り込んじゃうから」
「……」
「………やっとひいてきたけど、すごい熱だったし」
私の声は、通常の大きさ。このあたりからもう、ただの愚痴である。
体調不良の真っ最中であるクラウドは、うんともすんとも言わない。もちろん、返事を期待しているわけでもないし、何なら無理して話してほしくないから、それでいい。でも、今どう思っているのか知りたくて、こちらを見る彼の様子を伺ってしまう。
そう、今日外は大雨だった。天気予報が外れた。今日一日雨は降らないとふんだクラウドは、今朝フェンリルで仕事に出掛けてしまった。そして案の定、フェンリルに乗って帰ってきた。文字通り、頭のてっぺんからつま先までびしょ濡れになって。
無理して帰ってこなくてもいいよ。明日の仕事もお昼からなんでしょう。どこかで宿をとって。
目の前の彼に、電話でそう伝えたのは数時間前。「これから帰る」というクラウドからかかってきた電話で。その頃にはもう、バケツをひっくり返したような大雨。こんな中、一時間近くバイクで走ったら風邪をひくことは目に見えていた。だから無理してほしくなくて、私はクラウドにそう伝えた。……その「提案」の返事はないまま、電話は切られてしまったのだけれど。
「……」
じっと、目の前のクラウドを見つめ返す。クラウドは私が怒った顔をしているにも関わらず、なぜかホッとしたような顔をしている。
こっちの気も知らないで。あなたは不死身じゃないんだよ。言いたい言葉は他にもいっぱいあるけれど、苦しんでいるクラウドには言えない。文句は生まれて、すぐ分散する。そっと握った大きな手は、いつもよりずっと熱い。
「……」
「……。大丈夫?」
「……、…ああ」
「…どこか、痛いところない? 薬持ってくるよ」
「………平気だ」
「じゃあ……寒くない?」
「…うん」
ぽつ、ぽつとクラウドが返事をくれる。嘘をついているようには見えないから、少しだけ安堵する。
一通りの体調確認は終えたけど、クラウドはまだじっとこちらを見ている。何か言いたいことがあるのか、ただぼーっとしているだけなのか。
「……クラウド?」
「…ん……?」
「…どうしたの? お腹すいた?」
「…、……いや……」
「…言いたいこと、あったりする?」
「……ない」
「……」
「……」
「……。…ねえ、クラウド」
「……?」
「…今日、どうして無理に帰ってきてくれたの?」
「……」
「…途中で電話、切っちゃうし」
「……。…すまない」
「…切った自覚はあるんだ」
「………ある」
「…もう」
わざとらしく、ほっぺたを叩く。クラウドは申し訳なさそうに微笑む。
どうやら無理やりの帰宅には理由があるらしい。家族が納得する理由を出せるかどうか、聞いてみなくちゃ。
「…どうして?」
「……」
「…どうして、無理したの?」
「……」
「……帰りたかった?」
「………。…それは、そうだが」
「?」
「……約束、守りたくて」
「…え?」
「……。…気をつけて帰るって……」
「……」
「…朝、ティファと約束したから」
「…………」
思わず、口をぽかんと開ける。ぽつりぽつりと打ち明けるクラウドを見ながら、今朝の記憶を呼び覚ます。
約束? いつも通り出かけるクラウドに、私は「気をつけて帰ってきてね」って声をかけた。……クラウドはそれに対して、確かに言った。「約束する」って。……約束するって。
(……まさか、それだけのために?)
つい、思ったことをそのまま声に出してしまいそうになって、自分の口を塞ぐ。多分、これを言ったらクラウドはショックを受けると思ったから。それに「約束」を申し出たのは、他の誰でもない私自身だったから。
(…そんなの)
そんなの、いいのに。ちょっとした挨拶なのに。「うん」とか「わかった」の代わりに「約束する」って返事してくれただけだろうに。いいのに。……いいのに。
「……」
約束なんて、いい。そう言いたいのに。どうして私の心は今、こんなに喜んでしまっているのだろう。
「………も」
「……も?」
「…も、もう!」
「……、」
「……。……言えないじゃない」
「…ティファ?」
「……そんなの、文句も言えないじゃない……」
「……。ティファ」
クラウドの手が、私の手を優しく握り返してくれる。恥ずかしいのか、情けないのか、呆れているのか。よくわからない感情のせいで、彼を直視することができないけれど、きっと私を見る眼差しも優しい。
本当に、もう。不器用だから。こだわりが強いから。変なところで柔軟じゃないから。……大事にするって決めたことは、とことん大事にしちゃう人だから。
何にも、言えないじゃない。あなたのそういうところが、私は好きなのだから。
「……」
「……もう」
すやすやと眠りについた、子どものようなクラウドの寝顔を見つめる。「もう」の矛先は私。結局、怒ることも上手く謝ることもできなかった自分。情けないなあ。そう反省することの方が多いけれど、それでも口元が緩んでしまうのはきっと、クラウドのせい。どこまでも優しい、この人のせい。
私は、自分の中でささやかな葛藤をしながら、ずっとその寝顔を見つめていた。その時間は心地いいとは違うけれど、なぜだか幸せな時間だった。
やさしい免罪
(もう。)
fin,