今日は甘えたモードだ。
私の胸に顔をのせ頬がつぶれてしまっている人の、何とも言えない幸せそうな表情を見下ろしながら、ひとりそんなことを思った。
まるで母親がそうするように、ふわふわの髪の毛をゆっくり撫でる。クラウドはそれが心地がいいのか、猫が喉を鳴らすみたいに、安堵の深いため息をこぼす。愛おしくて、美しい人の“だらしのない”姿に、思わず出てくる感情は「かわいい」。仲間や家族の誰にも見せたくない、なんて。そんな幼稚な独占欲が、心の中で見え隠れしてしまうほど。
「……」
行為中もそうだけれど、行為のあとに見せてくれる、クラウドのいろんな表情が好き。
ときには、凛々しく。まるで私を悪夢から守ろうとするように、ぎゅっと腕の中に閉じ込めたままでいてくれる。そんなときのクラウドはいつもより少し声が低くて、なんだか頼もしい。言葉数は少ないけれど、その分腕の力強さで、大切にされているという自惚れを抱かせてくれる。
そしてときには、友達のように朗らかに。ついさっきまで、欲望のままに体を重ねていた相手とは思えないくらいにさっぱりと、彼は雑談を望むときがある。今日何があったとか、こんなことを思ったとか。話す側はどちらでも構わない。それは、お互いの1日を共有できることに喜びを感じる時間。同じベッドで隣にごろんと寝転んで、笑ったり、ときどき冗談を怒ったり。こんなときのクラウドは、おそらく一番笑顔が多くて、それを数えることを楽しみにしてしまうくらい。
「…ティファ」
だけど今日のクラウドは、そのふたつとも違った。
それはきっと、クラウドが見せてくれる表情のなかで、最も無防備な一面。
「…ん?」
猫撫で声で呼んでくれた名前に反応する。顔を覗き込むと、彼はぼんやり瞼を開け、こちらを上目遣いで見ている。さっき脳裏をよぎった「かわいい」という気持ちが言葉に出てしまいそうなのを、私はぐっと飲み込みこらえた。
「……なんでもない」
「…眠くなってきた?」
「いや……まだ。……でも」
「?」
「…もう少し、こうしていてほしい」
「ふふ……うん。お好きなだけどうぞ」
こうしていてほしいというのは、私の胸を枕として貸し出すことだろうか。それとも頭を撫でることだろうか。どちらも構わないし、どちらも減るものではないから、詳しいことは確認せず私は現状維持を選ぶ。
まぶたを閉じたクラウドは、満足そうに頬を摺り寄せ、また喉を鳴らす。その様子を見つめながら、コンプレックスだった自身の胸の大きさも、こんなふうに彼を受け止められるのならいいかと、ひと昔の私が聞いて呆れるようなことを思った。
(……)
ずしりと感じる、クラウドの体重。重くないかって聞かれたら、迷わず重いと答える重さ。だけど退いてしまうのは少し寂しくて、私はあえて言わずにいる。
クラウドの温もりも重さも、全部受け止めていたいと願う傲慢な自分が、ここにいる。
だって、私だけなのだから。
いろんな彼を知ることができるのも、鎧を脱いだ彼を、抱きしめられるのも。
(……私)
「…ティファ」
「!」
突然呟かれた名前に、はっとした。愛に似た依存のようなものがむくむく膨れあがろうとしていた胸の中。奇しくも、それを止めてくれたのはクラウドだった。
動揺したのを悟られないように、微睡の中にいるクラウドに微笑みかける。クラウドはぼんやりとしたまま、小さな声で話し始めた。
「……。ティファの」
「…うん」
「…ティファの、心臓の音が聞こえる」
「……。どんな音?」
「…力強くて、優しい。……ティファらしい音」
「…私らしい?」
「…うん」
「……音って、人によって違うのかな?」
「…わからない。でも……俺は、この音が好きだ」
「……」
クラウドが好きだと言ってくれる心臓の音を、私は自分で確かめる術がない。それでも、クラウドが言っていることに共感できる自分はいた。大好きな人の心音。それは子守唄のような、はたまた応援歌のような。決してひとつではない喜びを……その人が生きている喜びを与えてくれる。
「……わかるよ」
「……」
「私も、クラウドの心臓の音が好き」
「……どんな音がするんだ?」
「…大きな音、じゃないんだけど……繊細で、洗練されていて……耳を澄ませていたら、心が落ち着くの」
「……」
「まるで……」
(まるで、守ってもらっているかのような)
「……」
少し烏滸がましく感じて、続きの言葉を口にできずに、口籠る。クラウドがそれを待ってくれているのはわかっているけれど、だんだんと冴えてきた頭が、ようやく自惚れを恥じ始めたからだ。
「……」
続いた沈黙。だけどそれを破ったのは、続きを急かす言葉ではなかった。私の様子を伺っていたクラウドは、ゆっくりと頭を持ち上げ、隣に横たわり、代わりに私を抱き寄せてくれた。
「……クラウド?」
「……。聞こえるか?」
「え……?」
「…心臓の音」
「……。…………うん」
「……」
「…聞こえる」
耳を当てさせてくれた胸板から聞こえる、とく、とく、とくという優しい音。それはやっぱり、クラウドそのもののような音だった。何も言わず、静かに手を繋いで、ずっと寄り添ってくれる優しさのような。幾度色を変えようとも、美しく澄んでいることには変わりない、こちらを見つめる温かい眼差しのような。
「…ティファ」
その心音に馴染むような声色で、クラウドは私の名前を口にした。
「……この音は、ティファのものだ」
「……、…違うよ。クラウドのものだよ」
「…わかってる。でも、ティファに預けたいんだ」
「……」
「ティファに……持っていて欲しいんだ」
小さな声で、それだけぽつり呟いて、暫くしてからクラウドは寝息を立て始めた。
起きていたときより更に穏やかになる心音が、彼が夢の中に落ちたことを教えてくれる。寝言か、本音か、あるいは私を慰めるための言葉か。本当のことはクラウドにしかわからないけれど……それでも彼が残した贈り物は、今も確かに続いている。鳴り続いている。
大切な人の心音に抱かれたまま、ゆっくりと瞼を閉じる。
意識を手放しながら、私は静かに願いごとをした。この音が、許される限り長く続きますようにと。
それから私は、限りなく無垢な状態で祈った。この人の隣で、一秒でも長く生きていられるようにと。
メトロノーム
fin,