感情というのは、器用に両立するものだと思った。
ティファとふたりになれて嬉しい感情と、ティファと二人でいるのが気まずい感情と。
「……」
「……」
ティファの上腕の、赤く腫れた部分に手を添えて、魔法を唱える。その治療魔法が効き始めた頃、一瞬しかめ面をしたティファの様子を伺うに、かなり痛かったのだろう。ティファは攻撃を交わすのが上手な人だから、普段こんなに、まともにダメージをくらったりしない。戦闘に参加していたバレットが、「珍しいな」とつい本音を漏らすほどだった。
「……」
「……」
ティファを岩場に座らせ、俺はその前に跪く形で治療を続ける。頭をあげなくても、ティファがこちらを見ているのがわかった。だから俺はあえて、視線を患部に集中させ続けた。いつもなら、ティファを無意識にでも目で追っている自覚がある。だが、今は違う。ティファが俺を見てくれているとき、俺はどうも、ティファを見つめ返すことができない。
「……」
「……、……」
「…痛むか?」
「…ううん、平気」
念の為、声をかけた。ティファが「大丈夫」と答えるのはわかっていたが、かけざるをえなかった。ティファのことが心配なのと……この沈黙に少し、居心地の悪さを感じてしまったのと。
ティファが怪我をしたのは、ミスリルマインを出てジュノンに移動する最中だった。
攻撃を仕掛けてきた敵自体は弱かったのが、不幸中の幸いかもしれない。戦闘をさっさと終わらせて、たまたま一緒に行動していた俺とバレットはティファのもとに駆け寄った。このとき、回復のマテリアを持っていたのは俺だけだった。それをいち早く察したバレットは、まるで最初からセリフを決めていたかのように言った。「ティファは少し休んでろ」。「お前がティファの面倒を見ろ」。「自分はこのあたりを見回ってくる」。
そこからが、俺とティファの沈黙の始まりだった。
いつもなら、いや「これまで」なら、どんな状況であれ、ふたりきりになれるのは嬉しい以外何ものでもないことだった。俺の知らないティファの話を聞いたり、ティファからの質問に答えたり。俺は勝手に、こうした時間を、離れていた時間の埋め合わせのように感じていた。ティファのことをもっと知りたいと思っていた。
ティファが……本当に、俺の知っている、俺と約束を交わしたティファであったなら。
(……)
ティファの患部から、徐々に赤みが消えていくのがわかる。ようやく魔法が届き始めたのだろう。あいにく俺は、エアリスと違ってこの魔法の使い方が上手くない。だから、人よりも時間がかかってしまったことを申し訳なく思いつつ、ようやく少し安堵する。ティファから苦しみを取り除けることには、変わりないから。
「……」
「……」
相変わらず、沈黙は続く。いつもなら世間話をしてくれるティファも、今は一言も口を開こうとしない。俺のことをどう思っているのか。怒っているのか、悲しんでいるのか。どのみち明るい感情でないことは確かだから、本人に確かめられずにいる。気まずくなる理由。俺には自覚があった。そしてきっと、ティファにもあった。
一体どうして、こうなってしまったのだろう。なぜ、信じている人を俺はあのとき、疑ってしまったのだろう。
時々、だ。時々自分がわからなくなる。さっきまで考えていたことが全て飛んで、気づけば知らない感情や考えが頭の中に住み着いている。まるで人格が切り替わったような感覚だ。切り替わったあとの自分を止めることはできない。なぜならそのときすでに俺は、その「前」の俺でなくなっているから。我に返ったときにはもう遅い。仲間たちから向けられる、不思議そうな目。ときに怪訝な視線。そしてそんなとき、ティファも俺を見ている。心配そうに……どこか、悲しそうに。
あのカームでの夜も同じだった。気づけば目の前で、ティファが泣いていた。自分が、他の誰でもない自分が泣かせたのだということは、状況から見て明らかだった。ありえない、そんなこと俺がするなんてありえない。混乱しているうちに、ティファは俺から逃げるようにしてその場を去った。取り返しのつかないことを言って、取り返しのつかないことをした。その事実だけが、しばらく俺の頭の中に残り続けた。
一体どうして、こうなってしまったのだろう。なぜ、大切な人を俺は、大事にできないのだろう。
俺がティファを傷つけた。それは俺自身が怪我を負うよりも、ずっとずっと苦しいことだと、わかっていたのに。
「……」
「……」
「……。…治った」
「あ……」
「…どうだ? まだ痛むか」
「ううん……痛くない。ありがとう」
「…よかった」
ようやく完治したティファの怪我。試しに腕を動かしても、ティファは顔をしかめることはなかった。無理して嘘をついているわけではなさそうだ。
それだけ確認してから俺は立ち上がる。それから無意識に、ティファに右手を差し伸べる。本当に無意識だったから、ティファに拒絶されたらどうしようという不安が浮かんだのは、行動に移したあとだった。幸いその不安は、戸惑いながらも手を重ねてくれたティファによってすぐ、打ち消されたのだけれど。
「あ、ありがと……」
「……ああ」
ティファも立ち上がる。俺たちは必然的に、向かい合う。
ティファと、目が合う。今度はどうしてか、互いに逸らせなくなる。
(…ティファ)
自分のことはわかってる。言いたいことが、ごまんとあるんだろう。ごめんとか、悪かったとか。言わなきゃいけないことなんて、ずっとわかってるんだ。それを口にする勇気がないだけで。自分自身の問題も解決できていない中、わけもわからないまま謝るなんてことを、できずにいるだけで。
「……ティファ」
「…ん?」
ティファは、逃げずにここにいてくれる。俺の話に今、耳を傾けようとしてくれている。
これ以上ない状況が目の前にある。それなのに。それなのに俺は。
(…なぜ、続きの言葉を見つけられない)
「……。……何でもない」
「……、そっか」
「……」
「……」
ついに、俺の方から目を逸らした。同時に、胸の中に情けなさだけが広がる。もう、しばらく、ティファを見ることはできない。これ以上ティファの哀しそうな、寂しそうな顔を見ていられない。
でもティファは違った。ティファは俺から、目を逸らしてはいなかった。
「……。クラウド」
「……?」
名前を呼ばれて、つい反射的にその目を見る。
ティファは俺を見ていた。哀しむこともなく、怖がることもせずに。
「……あのね? 私……」
「……」
「……。……」
「……ティファ?」
「……ごめん、上手く言えないね」
「……。…うん」
「…、クラウドは平気?」
「……そうでもない」
「…そっか……」
「……ティファと同じだ」
「え?」
「…まだ、うまく言えない。……すまない」
「あ……ううん。いいの。……わかるよ」
「……」
ふたりはまた目を逸らす。でも、さっきまでと沈黙の色が違っているのはきっと、気のせいじゃない。
いつまでティファに甘えているんだと、頭の中で自分が憤る。その罵声に近い叱咤を背中で受けながら、俺は俯く。
でも、そうなんだ。まだ、なんだ。まだ言えない。まだ、頭の整理ができていない。何が本当にだめだったのか。自分がどうしてしまったのか。一体何に、謝りたいのか。きっとまだ、俺はわかっていない。俺は今、ティファに謝る資格さえない。
器用に一歩を踏み出すことができないんだ。昔から……ティファのことに限っては。
(……昔から)
「あ? なんだてめえら、もう大丈夫なのか」
「!」
「バレット、」
見回りに出ていてくれたバレットの声で、俺たちは揃って顔をあげる。バレットの言う「大丈夫」が何なのかはわからないが、どうやら「大丈夫」の判断が降りたらしい。怪訝な顔をしながらも、バレットは俺たちに遠慮なく近づいてくる。その表情からは、もう気を遣わなくて良さそうだという安堵を感じる。
(…悪いことをした)
心の中で申し訳なく思いながら、俺たちはバレットのほうに向き直る。ひとまずもう大丈夫だと、返事をするように。
「…ああ。見回り、任せてすまなかった」
「ごめんね、バレット。ありがとう」
「怪我は? もう治ったのか?」
「うん。クラウドに治してもらった」
「そーかそーか。ならいいんだけどよ」
「心配かけてごめんね?」
「まあー……あれだ! 気にすんな。な、クラウドさんよ」
「…、ああ」
かける言葉に迷ったのか、ごまかすように俺の背中を勢いよく叩くバレット。正直、普通にダメージが入るからやめてほしいが、今はそんなこと言えなかった。むしろ、バレットには感謝と詫びを伝えなければならない立場だったから。
「……。いくぞ」
「…うん!」
「おうよ」
誤魔化すように、いや、ひとまず先に進むために、俺は二人に声をかける。
二人はついてきてくれる。俺をまだ、信じていてくれる。
深呼吸をするために、空を見上げた。
雲はまだ晴れずとも、乾いた冷たい空気だけは、居心地良く感じた。
砂漠と夜明け
fin,