一枚の封筒がある。私の手がずっと、握っている。

 

お昼の営業中。お会計のあと、友達に背中を押されながら、一人の女の子が私のもとにやってきた。ひとつか二つ、年下だろうか。顔を真っ赤にしながら、その子は手紙を差し出した。ただ一言、あの人に渡してくださいとだけ、私に伝言を頼んで。

 

あの人が誰のことを指しているのかなんて、考えるまでもなかった。彼女の顔を真っ赤にさせているのは、あの人しかいなかった。

 

手紙を受け取ったとき、私は硬直した。びっくりして、彼女の前でただ口をぱくぱくとさせるだけだった。そんな、何も答えられなくなった私に気づかず、その子は丁寧におじきをして走り去る。声をかけて止めようと思っても、小さな背中はすぐ友達の輪の中に戻ってしまった。

 

どうだった? とか。あの人何か言ってた? とか。しばらくの間、耳鳴りのようにこだましていた彼女たちのきゃっきゃとしたかわいらしい声。動揺する必要なんてないのに、その後も暫く、しっかり取り乱してしまった自分。

 

 

 

 

 

受け取ったものはちゃんと、渡さなきゃ。

 

夜。決断したふりをして、クラウドのいる仕事部屋をノックしたときも、心の中にはモヤがかかっていた。

 

「…ティファ?」

 

ノックして扉を開けた先に、クラウドはいた。作業机に向かって座っていた彼は、ぎこちない笑顔を浮かべて立つ私を、不思議そうに振り返る。

 

「……、クラウド」

「…どうした?」

「あ……えっと」

「…とりあえず、部屋に入るか?」

「……うん」

 

とっさに背中に隠したのは、ずっと握りしめている封筒。クラウドの許しを得て、部屋の中にお邪魔してからも、なかなかその手を前に持ってこれない。

 

クラウドは優しいから、無理に問いただすことなくこちらの様子を伺っている。私は、今の自分の心情をうまく言語化できないまま、クラウドのもとに一歩足を進める。

 

(……ほんと、)

 

一体何に、ショックを受けているんだろう。

 

こんなこと初めてじゃないのに。私以外に、彼を好きになる人がいても……何も、何も悪いことではないのに。

 

(……)

 

「……。あのね?」

「? ああ」

「……これ」

「……? 手紙?」

「…うん」

 

下手な笑顔を浮かべながら、私はようやく手紙の宛先の人にそれを渡す。クラウドは、きょとんとしながら受け取る。

 

手紙を確認するクラウドを見つめながら、心の中で、無視できない大きな声がする。

クラウドが、こう言いますようにって。「これは誰だ」って。「こんなやつ知らない」って。

 

(……。私は、何を、)

 

「……ああ」

 

そんな、醜いことを考える私には気づかないまま、クラウドは何かに気づいたような声をあげる。

それは、心の中の私が望んでいた答えとは、真反対のものだった。

 

「…あいつか」

 

(……、)

 

服の裾を、無意識にぎゅうと掴む自分の手があった。勝手に笑顔を作るのをやめる、自分の顔があった。

 

「……。知り合い?」

「ああ……知り合いというか、得意先みたいな」

「…そうなんだ。仲いいの?」

「まあ、客の中では、会う頻度は高い方かもしれない」

「…そっか」

 

クラウドが手紙から目を逸らし、立ちっぱなしの私を見上げる。それを察知して、慌てて作った笑顔はうまくいったみたいで、クラウドの眉間に皺が生まれることはない。だけど一方、心のモヤは何一つ晴れていない。むしろ、どんどん黒く、濃くなっていく。

 

「…でも、どうして?」

「…へ?」

「なんでこれを、ティファが」

「あ……。えっと、ランチ食べにきてくれてたみたいで。クラウドに渡してくださいって、女の子が」

「ティファ経由で?」

「…うん、まあ」

「…変なやつだな。明日も配達に行くのに」

「……、」

 

直接話せないことがあるから、そうしたんじゃない?

 

喉元まで出かかった言葉を、必死で飲み込む。口にすると攻撃的になってしまいそうな気がした。自分自身に向けられる恋愛感情にとことん疎いクラウドに、まるでお説教でもするかのように。

 

(……)

 

一体私は、何に苛立っているんだろう。

 

鈍感なクラウドに? 手紙を持ってきたクラウドのお客さんに? それとも……子どもみたいに嫉妬して、拗ねている自分自身に? 何が気に入らないんだろう。何に拗ねているんだろう。私はクラウドに、一体何を求めているんだろう。

 

自分のことだけ、見ていてほしいって? 私の知らない子のことを、そんな優しい顔で思い出さないでって?

 

そんなのまるで、クラウドが……私のもの、みたいに。

 

(……、)

 

「……クラウド」

「? どうした、ティ……」

 

かっとなった勢いで、自分の体は動いていた。気づけば私はクラウドの確認をとらないまま、身をかがめ、一方的にキスをしていた。

 

「……、ん」

 

はじめ、驚いて固まっていたクラウド。だけどやがて、ぎこちない私に合わせるように、キスを返してくれる。無意識に、クラウドの背中にまわっていた自分の腕。それに応えて私を抱き寄せる、クラウドの逞しい両腕。

 

意図的に自分の胸をクラウドに押し当てるような、慣れないことをしながら、私は少し混乱していた。何かから目を逸らしたくて必死だった。

 

それは自分の中にあった、黒くて重い欲望の塊。いつもは蓋をして見えないふりをしている、貪欲にクラウドを求める、想い。

 

「……、ティファ」

 

口付けに夢中になっているうちに、気づけばクラウドは椅子から立ち上がり、私の体をしっかりと抱いていた。

 

息継ぎのためにキスを中断した瞬間、彼は名前を囁いて、私をベッドへと引っ張る。

 

私の体は、まるでこうなることを最初から望んでいたかのように、素直にそこに倒れ込んだ。さっきと違って熱くなっている、クラウドの瞳をただじっと見つめて。クラウドの手からすでに、あの手紙が離れていることも、確認しながら。

 

「…ティファ」

 

そして、クラウドが私に覆い被さったとき、見ないふりをしていた真っ黒の心が震えるの。

 

ほらね、嬉しいでしょうって。この人が私だけを見ている今を、求めていたんでしょう……って。

 

(……)

 

「……、ん」

「……。…珍しいな」

「え……?」

「ティファから、誘ってくれるなんて」

「……、…変、だった?」

「いや、変じゃない。……嬉しい」

「…クラウド」

 

クラウドが本当に嬉しそうに、子どものように微笑む。

 

きっとこの人は気づいていないんだろう。私が全くかわいくない理由で、こうやってクラウドに寄り添おうとしていることには。

 

だけどそんなこと、告白できるわけもないから、私はただクラウドのくれるキスに浸ろうとする。さっきまで考えていたことを全部忘れて、クラウドを感じる。

 

でも、その欲望がまた表に出てくるまで時間はかからなかった。

 

(あ……)

 

体がどくんと脈打ったのは、クラウドが私の首もとに顔を埋めたとき。

 

私は目の前に、口元に、クラウドの綺麗な首筋があることに気づいた。おいしいよって、今なら食べられるよって。普段は聞こえてこない卑しい声が、脳裏で囁く。それから告げる。ここになら「あなたの証」をつけられるでしょう、って。

 

「……、」

 

我に帰ったときには、もう遅かった。私はクラウドの許可なく、そのまっしろの首筋に吸い付いた。

 

目的はひとつだけだった。普段私の方からクラウドに禁止している……鬱血痕を残すことだけだった。

 

「! ティファ、」

 

痛みを感じたのだろう。クラウドがぱっと顔をあげて、驚いたように私を見下ろす。

 

クラウドが指で触れて確認した場所は、すでに赤く充血していた。それを見たときようやく、私のなかに羞恥心が生まれる。やってしまったと、後悔が始まる。クラウドは、怒るかもしれない。幻滅するかもしれない。謝らないと、謝らないと。

 

「ご、ごめん……つい、」

 

だけどクラウドは、不快感を露わにすることはなく……たださっきのように、嬉しそうに微笑むだけだった。

 

「…なんで。謝らなくていい」

「でも……こんな目立つ場所に、」

「誰も見てない、こんなところ。それに、見えても構わない」

「……、クラウド」

「……ティファ。俺もつけていいか?」

「え……?」

「…目には目を、って言うだろ」

「い、意味がちょっと違う気が……」

「いいから。……嫌か?」

「……。……嫌じゃない」

 

嫌なわけ、ない。

 

許可を出したときにはもう、クラウドは私の首に舌を這わしていた気がする。

 

それから間もなく感じる、つんとした弱い痛み。いつも、無断でつけられたときは怒っているところなのに、今の私の中は充実感で満たされている。ああ、これが欲しかったんだと、隠しきれない本音が体の外に漏れ出てしまう。

 

わかっているの。こんなの自己満足でしかないってことは。こんなことしなくても、クラウドは私のそばにいてくれるって、ことさえも。

 

「……。…クラウド」

「…、ついた」

「……、……」

「…これで、お互い様だな」

「……うん。ありがと」

 

ようやく自然に微笑めた気がする、自分の顔。クラウドもほっとしたように微笑み返してくれた。

 

けれど、その瞳も私の肌に触れる手のひらも熱いままだ。これでお終いとはならないことくらい、私にもわかる。私が、確かに誘ったのだから。私だけを見てほしいって、確かに私が思ったのだから。

 

「……ティファ」

「……、ん」

「…このまま、最後までいいか」

「……うん。いいよ」

「……」

「…最後まで、して」

「…、ティファ……」

 

ゆっくりと、慰めるように始まるクラウドの愛撫を感じながら、私はぎゅうと目を閉じた。誰に対するものなのかわからない、ごめんなさいを心の中で呟きながら。

 

それから一人、憂いた。悪者にもなりきれない自分を。いい子であろうとする自分を。

 

見えないふりをするうちに、いつの間にか制御できないくらいに膨れ上がっていた……クラウドだけを求める、特別な欲求を。

 

 

 

 

 

てんしの着包み

 

 

(中は、知らなくていいの)

 

 

 


fin,