鳥のさえずりで目を覚ます。

 

重い瞼を持ち上げ、光の方へ目を向ける。ベッド脇の小さな窓からのぞく空は、晴れ。私を起こしてくれた子だろうか。美しい小さな鳥が、その空へと飛び立つ。

 

ベッドのきしむ音。半身を起こし隣を見れば、穏やかな表情で眠る愛しい人。指の裏で頬を撫でてから、前髪を掻き分け、額にキスを落とす。どうかもう少しだけ、その優しい夢の中にいて。なかなかゆっくり眠ることを許されない彼に、小さな願い事をかけながら。

 

今何時だろうか。ベッドから出て足をつけ、立ち上げる。

ぼさぼさの髪を手櫛で整えながら、部屋の外の景色を見るため、今度は少し大きめの窓へと近づく。彼が起きてしまわないよう控えめに窓を開けると、眼下には、朝の市場で賑わう一見平穏な街の風景が広がっていた。

 

「……」

 

昨日の午後。私たちは、フーゴ・クプカの残党が潜んでいるというこの街に、偵察のために忍び込んだ。

だけど色々と情報収集してみたところ、どうやら残党はすでにこの街におらず、離散していたようだった。

 

それが判明した頃には日は落ち、夜も夜。すぐ隠れ家に帰ってもいいけれど、せっかくだから一晩泊まっていこうと提案してくれたのはクライヴ。連戦続きで疲れていたのか、あるいは気遣ってくれたのか。私は彼に賛同した。断る理由なんてなかったから。むしろそれは……私からはとてもお願いのできない、小さな贅沢だったから。

 

「……わぁ」

 

お魚に、お野菜。色とりどりの異国の布に、美味しそうな料理の香り。

 

なかなか普段、ゆっくり見る機会のない市場の様子に、思わず釘付けになる。自分には関係のない街なのに、ここに住む人々の笑顔が眩しく、嬉しい。朝の時間だけでも、楽しくてわくわくするような空間があることに、ほんの少し安堵する。それから思う。私たちはこんな光景を当たり前にするために、今日も明日も戦うんだと。今日も明日も、この剣を振るうのだと。

そして……もう一つ、先の未来も想像したりする。

すべての戦いが終わり、この剣を振るう必要のない世界が来たときに……自分も人として、あの人々の中に溶け込みたいと。彼と、一緒に。クライヴの、隣で。

 

「……ジル」

「!」

 

クライヴに名前を呼ばれたのは、そんな空想の世界に入りかけていたときだった。

窓にのりだしていた体をひっこめて、さっきまで自分もいたベッドに目を向ける。クライヴはいつの間にか体を起こし、眠そうな様子でこちらを見ていた。

 

「クライヴ」

「ジル、おは……っ、と」

 

クライヴが最後まで挨拶を口にできなかったのは、私が彼に駆け寄り、その胸に飛び込んでしまったから。子どもみたいなことをしてしまったと、抱きついた直後に恥ずかしくなったけれど、クライヴが嬉しそうに微笑みながら抱きしめ返してくれるのを見て、そんな気持ちは吹き飛んだ。

 

「…、クライヴ」

「…おはよう、ジル」

「おはよう」

「朝から機嫌がいいな」

「街を見てたの」

「街?」

「ええ。市場がすぐ近くで開かれててね、とても賑やかで楽しそうで」

 

クライヴが興味があるような素振りを見せたから、私は彼の手をとり、窓の方へと誘導する。彼は素直に誘いに乗り、ベッドから抜け出してすぐ、私と一緒に窓のところへ来てくれた。

外を覗き込んだ彼の美しい青色の瞳に、街の風景が反射する。少年の頃のままの輝きが、朝に溶け込む。

 

(…綺麗)

 

「…本当だ。随分規模がでかいな」

「…、でしょう? 売られているのは、食べ物だけじゃないみたい」

 

ふたり寄り添い、同じ窓から眺める風景。朝の新鮮な風を浴びて、それを胸いっぱいに吸い込みながら、心配事のない穏やかな時間に息をつく。

 

(…なんだか)

 

今……すごく、幸せ。

 

「…これくらい広いと、あるかもな」

「何が?」

「トルガルの餌」

「ああ、確かに。変わったものがあるかも」

「…たまには違う餌も食べさせてやりたくてな」

「もしかしたらもう、自分で見つけて盗み食いしてるかも」

「ははは、それはまずい」

「ふふ……」

「…生地や布もありそうだな。ジルはそっちが見たいんじゃないか」

「ええ、楽しそう。だけど……」

「ん?」

「それより今は、おなかが減っちゃった」

「…同感だ」

 

宿の二階のこの部屋にまで届く、お肉か何かの香ばしい香り。クライヴと私は、お互いの空腹に気づき、顔を見合わせ笑い合う。そういえば昨日、疲れて何も食べずに眠ってしまったから、空腹も納得だ。ただ眺めていたいだけだった市場が、こうしてお出かけ先候補として浮上する。

 

だけど、いいのだろうか。私はまだ、この時間を楽しもうとしているけれど、不謹慎ではないだろうか。

心に翳りを差してしまい、何かを確かめるようにクライヴを見上げる。彼はそんな私に気づいたのか、ただ穏やかに口元を緩め、頷いてくれた。

 

「…大丈夫だよ、ジル」

「…クライヴ」

「食事がてら、少し寄って帰ろう。隠れ家のみんなに、何か土産が見つかるかもしれないしな」

「…、ええ。そうね。探しましょう」

「君も、何か欲しいものがあったら買えばいい。金は持ってきてる」

「だけど……」

「いいんだ、ジル。戦利品だということにすればいいさ」

「ふふ。今回は誰とも戦ってないわ」

「それは、俺とジルと、トルガルだけの秘密だ」

「もう、クライヴったら」

 

(……ありがとう)

 

贅沢してはいけないなんて、決まりはない。お買い物なんて好きにすればいい。隠れ家のみんなも何も言わないし、何も思わない。

そんなこと、わかっている。それでも芽生える罪悪感を、クライヴは汲み取ってくれる。否定せず、理解して、許してくれる。私はそのことが……何よりも嬉しい。

 

 

 

 

軽く口付けを交わしてから、私たちは宿を出る支度を始める。数日後、どうにかなってしまうかもしれないこの世界と、異空間にあるような平穏な時間。クライヴも私も、これが今、普通と呼べないことをわかっている。だからこそ、この時間の尊さを理解できる。この時間と、向き合うことができる。

 

「…ジル」

「?」

 

いつもの形で髪を編み終え、全身鏡の前で身だしなみを整えていた私の後ろに、クライヴが立つ。それから包み込むように抱きしめられる。鏡越しに見つめた彼はどこか切なく、優しい表情をしていた。

 

「……いつか」

「……」

「…いつかまた、今日みたいに」

「…ええ」

「……」

「ええ。クライヴ」

 

クライヴも私も、それ以上は語らなかった。言葉にする必要はなかった。この想いはちゃんと、お互いに届いていたから。私たちは今、同じ方向を見つめているのだと、信じることができるから。

 

 

 

 

荷物を片付けて、部屋を出るとき。私はもう一度、ベッドの近くの小窓を見た。

そこに収まる小さな世界は、ひどく美しい青色をしていた。飛び立つ準備はもう、できているような気がした。

 

 

 

はねやすめ

 

 


fin.