衣服を脱いだあとから、それを身につけるまでの間、私はいつもより少しだけ、甘え上手になる。
もしかすると服と一緒に、罪悪感や躊躇いを脱いでしまっているのかもしれない。それが正しいこととは思わないけれど、事実、体は少し軽くなる。クライヴの逞しい首に腕をまわすことも、その唇にキスを落とすことも、難しくなくなる。我儘も、愛の言葉も……口に出せるようになる。
「……、クライヴ」
「……」
「…クライヴ」
「…、ん……?」
私の体に熱い手を這わす彼の名前を呼んで、こっちを見てもらう。興奮してくれているのか、少し呼吸を荒くするクライヴが愛おしい。顔を覗き込んでくれた彼の頬に手を添えると、クライヴはその上に自分の手を重ねた。
「…どうした? ジル」
「…、あなたの顔が見たくて」
「…俺でよければ、いくらでも見てくれ」
「ふふ」
顔が見たいと言いながら、口付けもねだる私は欲張りだろうか。瞳をじっと見つめてから瞼を閉じ、彼を誘導する。
キスは不思議だ。まるで、体の中で手と手を繋ぐみたい。心地がいいと、気持ちがいいの他に、どこか神秘的な繋がりも感じる。目を閉じていてもクライヴその人をはっきり認識できるような、そんな感覚。
お互いを味わうような、長い口付け。二人、たっぷりとした息継ぎのあと、私はまるで猫にでもなったかのような気分でクライヴを見上げた。
「……。まいったな」
「ん……?」
「…その顔は反則だ、ジル」
「どんな顔?」
「…、まるで誘うような」
「誰を?」
「……俺を」
「ふふ。正解」
「ふ……あまり煽らないでくれ。自制はいつまでも効かない」
「自制なんていいのに」
「…君を乱暴にしたくないんだ」
「クライヴになら、どうされたって構わない」
「ジル……」
彼を困らせているのを知って、我儘を通す私は、らしくないだろうか。
何かに耐えかねたようにクライヴは、気を紛らわせるかのごとく、私の喉元に噛みつき歯を立てる。そのわずかな痛みさえも心地よくて、私は大袈裟な吐息を漏らす。どくん、どくんと熱くなるクライヴの体に呼応する。間違ってこちらに向けないよう、いつも丁重にしまってある彼の鋭い爪と牙が……ゆっくり、姿を表す。
ねえ、クライヴ。あなたは軽蔑するかしら。その牙になら、その爪になら、引っかかれたって噛みつかれたって構わないと思う私を。いつもは穏やかなあなたの中に、確かに潜む「獣」の存在にさえ、惹かれてしまう私のことを。
「…、…クライヴ」
「……、?」
「…もっと触れて」
「…、ジル」
「あなたで、いっぱいにして」
「……ジル」
クライヴの、美しい青の瞳の中に、ようやく紅蓮の炎が宿る。それがあまりにも美しくて、何度も瞬きをしながら彼を見つめる。
お願い、クライヴ。この傲慢さをどうか許して。できるだけ多く、できるだけ色々な形で、あなたの「証」を自分に残しておきたいの。それがどんなものでもいいから。例えそれが痛くたって、血が出たって……構わないから。
(…………)
一体、どれくらいの時間が経ったんだろう。一度エネルギーを失った体が再起動するかのように、意識が浮上する。
ぼんやりとして鮮明ではない視界。鈍った五感。今わかるのは、体がとても重いということと……その気だるさが決して、不快なものではないということ。
「…………、ジル?」
そんなとき、視界の外から名前を呼ばれる。ゆっくりと顔の向きを変えれば、いまだぼやける世界の中にはっきりと、私を心配そうに覗き込むクライヴの顔が見えた。
「………クライヴ」
「ジル。大丈夫か」
「ええ……。私……」
「すまない……無理をさせすぎた」
申し訳なさそうな彼の表情を見つめながら、悟る。どうやら私は行為の最中、意識を飛ばしてしまったらしい。
ようやく冴え始めた頭を使って辿る、気を失うまでのこと。お願いしたとおり、クライヴがいつも以上に求めてくれた記憶はちゃんと残っている。それを嬉しいと胸いっぱいに感じていたことも、ちゃんと。
大丈夫よ。そんな気持ちをこめて、力無く微笑む。随分汗をかいたのか、ぺたんとした前髪をよけてくれるクライヴの指が心地よくて、ついうっとりと目を細めた。
「…クライヴ」
「……痛むところはないか?」
「ええ……平気よ」
「…よかった」
あなたとの行為に「痛み」なんてあるわけがない。少し安心したように微笑むクライヴを見上げながら、事後の独特の余韻に浸る。今が何時なのか、夜のままなのか、もう時期朝が来るのかもわからない。彼の腕の中は、それほどまでに心地がいい。
だから、嫌だ、と思ってしまったのも仕方がないかもしれない。クライヴがふと、私が数時間前まで身につけていた衣服を私に手渡そうとしたときに。
(……、まって)
クライヴ。私、まだ。
「あ……」
「ジル。汗を拭いて、服を着よう。今夜は冷える」
「……、」
じっと見つめる、何の変哲もない自分の寝衣。私には、それがまるで拘束具のように映る。偶然見つけた特別な夜の、たった数時間しか許されない時間を奪う……現実。
「……、いい」
「…ジル?」
「…私、このまま眠りたい」
「だが……」
「寒くても、あなたの体温があれば大丈夫。でしょう?」
「……ジル」
納得したようにクライヴが微笑む。
それを見て、私はこっそりほっとする。代わりとばかりに私の体を抱き寄せてくれる、彼の胸に頬を寄せながら。
ごめんね、クライヴ。あと少しだけ、我儘でいさせて。何時間か経って本当の朝が来たそのときに、私は私に戻るから。
(……)
「……。…ねえ、クライヴ」
「ん……?」
「…私、いつか……あなたと一日中、こうやって過ごしたい」
「…ジル」
「二人、ベッドから動かないの。誰にも邪魔されない場所で、話したり抱き合ったり、目的のない時間を過ごすのよ」
伸ばしてもらった時間を使って、私は夢心地のまま我儘を続ける。クライヴは、そんな突拍子のないことを言う私を笑ったりせず、ただ穏やかに頷いてくれた。
「…一日中か。それはいいな」
「……」
「二人で何処かに出かけよう。宿で、丸一日過ごせばいい」
「ふふ、贅沢だわ」
「君のためなら、慣れない贅沢だってするさ。ただ……」
「ただ?」
「その頃俺は、今よりもっと大悪党になっているだろうから、君には苦労をかけるかもしれない」
「…、それくらい。望むところよ」
「…ありがとう、ジル」
額をくっつけて、私たちは笑い合う。それからクライヴは優しく微笑んだまま、私のこめかみを伝う涙を拭う。泣かないでと言わないのは、それが嬉し涙だとわかっているから。未来の話を共有できる尊さを、知っているから。
(…ありがとう、クライヴ)
我儘を受け止めてくれて。我儘に寄り添ってくれて。
あなたとの未来を……躊躇いなく、差し出してくれて。
朝は来る。容赦なく。私も、観念して衣を纏う。二人話した未来に一歩でも近づくために。
だけどいつか……もしも「いつか」が来るのなら。そのときは重い鎧を脱ぎ、質素で身軽なワンピースだけを着て、歩きたいと思った。
あなたと行けるように。どこへだって。飛んでいけるように。
裸足と冠
(これだけで、いい)
fin,