時計を見ては、ため息をつく。ため息をついてから、机に顔を伏せる。
さっきから、一体何度繰り返しているだろう。この生産性のない動きを。
時刻は夜の11時を回ったところだった。マリンもバレットも、1時間は前に眠りについている。
ティファも寝た方がいいよ。マリンがそう寝床に誘ってくれたけれど、断ってしまった。もう少しだけ彼の帰りを待っていたいのだという、我儘のせいで。
「……」
秒針以外、何も動かない部屋の中。日付の変わるデッドラインに一秒ずつ近づくのを感じながら、一人の人を想って、またしてもため息をつく。一日にどれだけの時間を費やしても、想いを馳せ飽きないただ一人の人。
クラウドは今、仕入れ先を開拓するために外に出ている。1ヶ月後にはオープンさせる予定の、新しいセブンスヘブンのために。エッジがまだ開発途中の街だったこともあり、仕入れ先を確保するのは一筋縄じゃいかなかった。だけど、なかなか店舗兼家を離れられず困っていた私を、助けてくれたのがクラウドだった。
たくさんの人と、たくさんの条件下で交渉しなければならない役目だったから、最初は老婆心ながら心配していた。だけどクラウドは文句一つ言わず、顔色ひとつ変えず、ひょうひょうと交渉を成立させて帰ってきた。ううん、きっと……私が心配しないよう、何事もないかのように振る舞ってくれているのだと思う。
「……」
横目でじっと見る秒針。過ぎても過ぎても、クラウドが帰宅する気配は感じられない。夜ご飯はいらない、遅くなる。クラウドがそんな短い電話を残してくれたのは、何時間も前。
今日はどこまで行っているのだろう。近場はほとんど当たり尽くしてしまったのか、クラウドの仕入れ先探しは日に日に遠距離になっていく。だけどそうやって、クラウドの交渉で仕入れさせてもらえることになった食材は、どれもありがたいものばかり。無理はしなくていいと伝えてあるけれど、矛盾するように私が喜んでしまうものだから、クラウドは適当にすることができずにいるのではないか。ついそんな、いらない心配をしてしまう。
なんとも、わがままだと思う。頑張ってくれているクラウドに対して抱く、自分の感情は。
クラウドのおかげで、お店の準備が着々と進んでいることに対する感謝と……それはそれとして、仕入れは程々に、もっと一緒にいたいなという私個人の欲求と。
(…欲張りになったなあ、私も)
「…ただいま」
「!」
自分の身勝手さに、勝手に一人で落ち込んでいたとき。お店の裏口から小さくクラウドの声がして、私は慌てて立ち上がった。
(クラウド)
ぱたぱたと走って、待ちかねた人を出迎えにいく。まさかまだ起きているとは思っていなかったのか、クラウドは私を見つけた瞬間驚いた声をあげた。
「ティファ?」
その声がうわずって聞こえたのが嬉しくて、何度も大袈裟に頷き返す。
続いてほっとした笑顔をくれたクラウドが、とても自然に両腕を広げてみせる。そんなクラウドの胸に飛び込まない選択肢は、私にはない。
「…っ、」
「ティファ……」
「…おかえり、クラウド」
「ただいま。遅くなってすまない……待っていてくれたのか」
「うん。ごめんね、勝手に」
「どうして謝る。……ありがとう。嬉しい」
「よかった……」
「…ティファ」
「ん?」
「…会いたかった」
(わ……)
なんて表現したらいいのだろう。心の中にぱっと、花が咲くようなこのときめきを。
「わ、私も……」
返す、間の抜けた返事。一緒に暮らしているというのに、ずっと会いたくて仕方なかった人の顔をいっぱいに見つめる。同じように見つめ返してくれたクラウドの瞳に映る自分は、言い逃れができないほどの満面の笑み。つい恥ずかしくなってその胸に顔を埋めれば、クラウドは遠慮なく腕で私を閉じ込めてくれた。
「……。遅くまで、本当にお疲れさま」
「ああ。……交渉、うまくいったと思う」
「本当? よかった」
「なぜか、夕飯を一緒に食って帰ってきた」
「ふふ……それで、夜ご飯いらないって連絡くれたんだ。きっと、クラウドのこと気に入ったんだね」
「…そうだといいけど。明日また行って、細かい話をすることになった」
「明日も行くの?」
「うん」
「私も、行こうか」
「いいよ。ティファは準備で忙しいだろ」
「明日はちょっと時間があるの。だから……」
「時間があるときは、少しでも休んだ方がいい。ずっと働きっぱなしだろ?」
「でも、クラウドだって」
「俺は大丈夫だ。疲れてもないし、心配しなくていい」
「…うん、わかった。……ありがとう」
(……)
違うの、クラウド。私はただ、どんな理由でもいいから、クラウドと一緒の時間を過ごしたいだけなの。
言えるはずのない、とんでもない我儘を心にしまいながら、クラウドの肩に頭を預けて体の力を抜く。そうすればクラウドが、より一層強く抱きしめてくれることを、私は少し前に学んだから。
「……、」
案の定、少し息苦しいほどの抱擁が私を包む。その苦しさは、貪欲なまでに膨らんだ願いをそっと誤魔化してくれる。
「……」
「……。クラウド」
「…ん?」
「シャワー浴びる? お風呂わかそうか」
「ああ……。…でも、もう少しこのまま」
「……、…うん。いいよ」
あまりにも愛おしいお願いに心を溶かして、私はそのまま体ごとクラウドに委ねる。ふわりと香る、クラウドの匂い。これがないと不安になるようになってしまった、私に触れる大きくて熱い手のひら。この世でクラウドだけがくれる甘い気持ちに、自分に対するもやもやを全部つぎこんで、見えなくする。
クラウドの腕の中にいる間は、いろんな悩みが姿を隠した。これはきっと中毒になるだろうと、逃れようのない温もりの中で、私はぼんやりと覚悟をしていた。
「っ……!」
時間は過ぎる。日付も変わる。
体を重ね始めたとき、まだぎりぎり「今日」の中に収まっていた私たち。ふたり揃って果てる頃には、この体は「明日」の中にあった。
「は……」
「……、」
荒い呼吸を繰り返し、酸素を求めながら見つめる真っ暗な天井。快感という他ないのだろうか。じんじんと体の奥から指先に広がり溶けていく気持ちよさを、私は文字通り全身全霊で感じていた。クラウドの肌と自分の肌が重なる感じが心地よくて、終わったあとも背中に回した腕をほどけないでいる。
私に覆い被さっていたクラウドが体を持ち上げ、頬に触れてくれたのは、二人の呼吸が落ち着いてきた頃だった。
「……。ティファ」
「…、……ん?」
「…大丈夫か」
「…うん。へいき……」
まるで錘が落ちてきたような眠気に抗いながら、クラウドに微笑み返す。ふわりとくれる、優しいキス。行為中の切羽詰まったものとは違うそれは、私の心をどこまでも満たしていく。そのまま少し眠そうにしながら、私の様子を伺ってくれるクラウド。事後独特の色気に包まれているせいで、高鳴った心臓の鼓動はまだ収まってくれない。
「……ごめんな」
「…何が?」
「…もう遅い時間なのに、また無理をさせてしまった」
「あ……」
「明日に響いたら、すまない」
「わ、私は大丈夫……」
つい顔を赤らめながら首を横に振る。無理をしているつもりは毛頭なかった。何ならむしろ、クラウドと重なるときを待っていたといっても過言ではない。そう、きっと期待していた。ベッドに入るタイミングを一緒にすれば、こうしてクラウドは触れてくれる。そんな展開を脳裏で計算していたことは、恥ずかしながら否定はできない。
クラウドは私の思惑を知るや知らずや、ただうっとりとこちらを見ている。いまだに、クラウドにこんな風に真っ直ぐ見つめられることに慣れていないから、ついつい目を逸らしてしまう。
ひとまず、満足してくれたのだろうか。少ししたらクラウドは隣で横になり、私を改めて抱き寄せた。一時間近く、一瞬も離れていない私たちの肌。ふと目が合ったクラウドに照れ笑いをしてみると、彼は満足そうに微笑んでからもう一度かわいい口付けをくれた。
(…ふう)
きっと、だめだ。この幸せに、心を慣らしちゃ。
そうでないと失ったとき、耐えられる自信がないから。
(……失う?)
「…もうすぐ、開店だな」
「…え?」
暗雲が心の中に現れようとしたとき、クラウドの穏やかな声がそれを阻止した。
どこか嬉しそうにしながら私を見ているクラウド。慌てて頭を動かして、何の話をしているのかを掴む。
「あ……お店?」
「うん」
夜の暗闇のおかげか、幸い、一瞬作ってしまった曇り顔はばれなかったらしい。クラウドは上機嫌に、私の頬を撫でてくれている。
「そうだね……何だか、あっという間だった気がする」
「ティファが頑張ったからだ」
「ありがとう。みんなとクラウドのおかげだよ」
「大したことはしてない。……不安なことはないか?」
「…うん。平気」
「…なら、いいんだ」
(……)
クラウドの優しさに甘えながら、考える。この先、お店の営業が始まると、クラウドと過ごす時間がますます少なくなってしまう。それが不安だと言えば、クラウドはどんな反応をするだろうか。困った顔をするだろうか。それとも逆に、笑ってくれるだろうか。どのみち、何かしらの負担をかけてしまうような気がするから、口には出さないけれど。
ときどき、怖くなる。クラウドを欲しがるこの欲望は、一体どこまで膨らんでいくのだろう。際限はあるのだろうか。
昔は、目と目が合うだけでよかった。それがいつの間にか、手を繋ぎたいという気持ちに変わった。そして気づけば、毎日クラウドに触れ、触れてもらわないと安心できない体になっていた。クラウドからのキスを貰わないと、心は満たされなくなった。
一緒にいればいるほど、気持ちは、抑えられなくなる。私は、この人から……離れられなくなっていく。
「……。ねえ、クラウド」
「…ん?」
「…あのね。やっぱり明日、一緒に行ってもいい?」
きっと、クラウドにとって予想外の再提案だったのだろう。綺麗な瞳をぱちくりとさせ、私を見つめる。
私自身、食い下がらない自分に内心驚いていた。自己中心的な我儘を、ついに口に出すようになった自分に。
「俺は構わない。でも、休まなくていいのか?」
「…うん。……時間、もったいなくて」
「時間?」
「…クラウドと、一緒にいたいの」
「ティファ……」
(……)
ずきん、ずきんと胸が痛む。願望を口に出すなんていう、慣れないことをする度に、心に潜む罪悪感が私を内側から突き刺す。矛盾していると思う。嬉しくなりたくて希望を伝えているはずなのに。幸せでありたくて勇気を出しているはずなのに。罪の意識をもたらす闇は、私にまだ……それを、許していないのかもしれない。
「…わかった。一緒に行こう」
優しい、優しい声に包まれる。勝手に卑屈になる私を否定せず、そのまま丸ごと抱きしめて、クラウドは我儘を許してくれる。
頬に添えてくれた手のひら。それをきっかけに、勝手に下げていた視線をクラウドに戻す。きっと、なぜか怯えた目をしているであろう私を、クラウドは茶化したりしない。自分の欲深さに、幸せになりたいという素直な気持ちに戸惑う私を、急かしたりしない。
「…、ありがとう」
「いいんだ。俺も、ティファと一緒にいたい」
「我儘ばっかり……ごめんね」
「どうして。こんなの、我儘のうちに入らない」
「…クラウド」
「ティファ。もっと望んでくれ」
「……、」
「俺はもっと、ティファの役に立ちたいんだ」
あまりにも真っ直ぐな言葉に、固くなっていた心が少しほぐされる。自分じゃ埋めることのできない心の隙間に、クラウドの優しさが染み込んでくる。
ねえ、クラウド。私はあなたに、何を返せるだろうか。私たちには、必ず一緒にいなければならない理由はない。それでもそばにいてくれるクラウドに、私は何をしてあげられるだろう。我儘を言うことすらままならない私を、見捨てずにいてくれるあなたに。大丈夫だよって……言い続けてくれるあなたに。
とっぷりと更けていく夜。訪れる、真夜中とも呼べる時間。
すやすやという静かな寝息を聞きながら、私はしばらくクラウドのくれる体温の優しさに浸っていた。心の中で罪悪感と欲望が、ごうごうと音を立て続けるのを聞きながら。
表は赤色、裏は青
fin,