ずいぶん長い間履いていない、高いヒールのある靴を履いて街へ繰り出す。

 

いつも私の手を守ってくれる、戦うためのグローブは今夜、ない。身に纏うのも動きやすい普段着ではなく、足首まで隠れる長さのロングワンピース。ターコイズブルー一色のそれは、私の心をいとも簡単にあの日へ連れていってくれる。人生で初めて、恋を覚えたあの夜の想い出に。

 

再会のお祝い、しよう。

 

そう言ってクラウドと別れたのは、つい一時間ほど前。もう使うこともないからと、両手に溢れるお金を抱え、私たちは「後で会おう」と散会した。「お祝い」に合わせて、うんとおしゃれをするために。最初で最後かもしれない夜を、いま自分たちが思いつく限りの色で彩るために。

 

 

 

 

 

 

雑踏の中、逃げるように移動する大勢の人たちと、逆方向に向かって歩く。

 

私たちの頭上にあるのは、美しいはずの星空を赤く染めるメテオ。あともう少しで、この星をまるごと燃やしてしまうらしいそれは、ゆっくりと着実に地上に近づきながら、無言のカウントダウンを始めた。「死」や「終わり」という、目には見えないはずの黒を、メテオは世界中の人たちに見せつけている。まるで、これからたくさんの絶望を生むのだと、意気込むかのように。

 

私はただ、そのまがいものの星を見上げる。もう、逃げることも、見ないふりをすることも許されない、赤黒いその運命を。

 

 

 

 

 

「ティファ」

 

すべての音をすり抜けて、その声は私のもとに届いた。

 

大きな、大きな運命から視線を落とし、私の瞳は声の主人を視界にとらえる。その人は、クラウドは、雑踏の中ただ一人立ち止まり私を見ていた。彼の親友とお揃いのソルジャーの制服ではなく、見慣れない紺色のスーツを纏って。バスターソードはきっと、どこかに眠らせて。

 

(クラウド)

 

慣れないヒールで走る地面は、ふわふわといつもと違う心地がした。

 

「…クラウド、」

「…うん」

「あ……えっと、おまたせ」

 

手を伸ばせばクラウドに届く距離に、私は到着する。近くで見るクラウドは、いつもより雰囲気が大人びているせいで、直視するのが恥ずかしい。かつてクラウドと待ち合わせをしたあの夜の思い出が、記憶が、私の胸をさらにどきどきとさせる。ここに来られて嬉しいと、心は確かに踊る。

 

「ティファ」

 

クラウドの大きくてあたたかい手が、私の頬に触れる。彷徨わせていた視線は自然と、クラウドその人に向けられた。

 

「…ティファ。……きれいだ」

 

(あ……)

 

耳の奥で、こだまするの。幾度か聞いて、聞き慣れているはずの言葉なのに、はじめてちゃんと自分に向けて言ってもらえたような気がして。まるでクラウドが、この夜のために取っておいてくれたような。相応しいときのために、大事に守っていてくれたような。

 

見惚れるように見つめ返した、クラウドの瞳が美しく揺れる。今はメテオに邪魔され見えない星空は、この人の瞳の中でちゃんと、生きていた。

 

(…きれい)

 

「…、ありがとう、クラウド。その、似合ってるかな……」

「似合ってる。本当にきれいだ」

「ふふ……クラウドも、かっこいいよ」

「…ありがとう」

「……。なんだか、照れるね」

「…ティファが言い出したんだ。うんとお洒落しようって」

「もう。ずっと前のことでしょ?」

「ずっと前でも昨日でも、約束は約束だ」

 

優しい声でそう語りかけながら、クラウドは私に右腕を差し出す。確認するようにもう一度その目を見つめれば、彼は頷き返してくれた。頼ってもいいのだと。委ねてもいいのだと。いつだって私を支えてくれた、変わらない強さとともに。

 

心は穏やかに高鳴る。私は、その右腕に自分の左腕を絡める。

クラウドと見つめ合う。準備はできたねって。私たちは、一緒にいるよねって。

 

「行こう、ティファ」

 

終わりが近い世界の中で、私たちは隣に並んで足を踏み出した。

生きていることを実感するために。生きていたいと、思いを改めるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お祝いに、ふさわしいことをしよう。

 

そう決めてふたり足を運んだのは、これまで入ったこともない高級なレストラン。

街から人々が避難してしまっているせいで、お客さんはほとんどいない。貸切状態といっても過言ではない贅沢な空間に、私たちは微笑みあって足を踏み入れる。楽しみだねって、身を寄せ合う。

 

私たちを待っていたのは、美しく真っ白なテーブルクロスが敷かれた席。そこに、子どもの頃に習ったテーブルマナーを思い出しながら、背筋を伸ばして腰かける。向かいに腰掛けたクラウドは、どうやら緊張はしていないようで、ただ穏やかに私を見守ってくれていた。

 

「わあ、これ、おいしい」

 

並べられていく色とりどりの料理から、私はテリーヌを選んで口に運ぶ。魚介とお野菜がたくさん詰め込まれたその料理の味は、複雑なのにシンプルで、いち料理人としても感動もの。

 

クラウドは、どう? 感想を聞きたくて顔を上げる。おいしいねって、思いを共有するために。

 

「…確かに、うまい」

「ね、美味しいよね。隠し味にいろいろ入ってる」

「わかるのか?」

「そりゃあ、だてに料理してませんから」

「…さすがだ」

 

クラウドに褒めてもらえたことが嬉しくて、素直にはにかむ。

お皿の上に「苦手なもの」がのっていることに気づいたのは、そんな照れくささを誤魔化そうと視線を彷徨わせたときだった。

 

「……あ」

「? ……あ」

「これ……」

「…蟹だな」

「……蟹だね」

 

ふたりお揃いの「苦手な食材」を、私たちは見逃さない。

 

一瞬エビにも見えたけれど、美しく盛り付けられたこれは間違いなく、蟹だ。蟹には何の罪もないのに、ついつい身構えてしまうのを許して欲しい。子どもみたいに渋い顔をすると、クラウドはおかしそうに笑う。その笑顔が無邪気で嬉しくて、私も苦手な料理を目の前にしながら、満面の笑みが溢れた。

 

「あはは」

「……、無理して食べなくていい」

「え? でも……」

「最期だ。残しても、誰も文句は言わない」

「……」

「どうした?」

「…最期だから、頑張りたいなとも思いまして」

「ふ……ティファらしい」

「そう?」

 

わがままを言う私。それをいつだって、肯定してくれるクラウド。

そんなクラウドがとってみせた行動は、お皿の上の蟹料理をフォークで刺し、私に差し出すというものだった。

 

「……ほら」

「え?」

「口開けて」

「お、お行儀悪いよクラウド」

「誰も見てない。それに、もう行儀なんて悪くてもいい」

「……」

「…一緒に乗り越えよう、ティファ」

「、ふふ……はい」

 

愛おしさや、勇気、切なさ。胸の中に溢れるのは、蟹はともかく、普段ご飯を食べながら味わうものではない感情。

 

いろんなものを一心に感じ取りながら、私はそれを心の中に留め、クラウドに「あーん」をしてもらう。口の中いっぱいに広がる、想像よりもずっと癖のない優しい風味に、自然と頬は緩んだ。

 

「……んー!」

「ん?」

「おいひい」

「…よかった」

「……。でも」

「?」

「…やっぱり、蟹だ」

「ふ……そうだろうな」

「…クラウドも、乗り越える?」

「ああ。……頼む」

「ふふふ、はい」

「……」

「……。……どう?」

「…………。うん、蟹だ」

「あはは」

 

何をやっているのかと、少し前の私たちなら思うだろうか。苦手な食べ物をわざわざ食べさせ合う、こんな奇妙な時間のことを。

だけどきっと、わかってくれるとも思う。こんな何でもない、どうしようもない時間が、私たちには必要なのだということも。

 

 

 

いくらかお酒も飲み、ほろ酔い状態で私たちは席を立つ。びっくりする金額でお会計を済ませて、二度と来れないねと笑い合いながらお店を後にする。

 

夜の街に再び繰り出したあと、私たちはさらに街の奥へと足を向けた。一緒に夜を越えるため。一緒に明日を迎えるため。その、ふさわしい場所に向かうために。

 

 

 

今度は自然と腕を組むの。お互いの想いを、お互いへの想いをちゃんと確かめながら。

 

悲しいからじゃない。怖いからじゃない。ごまかすためではない。諦めたからではない。

私たちは望んで、ここにいるんだって。私たちは逃げなかったから……いま、一緒にいられるんだって。

 

 

 

 

 

 

 

 

たどり着いたホテルは、装飾も佇まいも何もかも、これまでの自分なら相応しくないと思ってしまうであろうほどの上品さを有していた。

 

「クラウド」

「?」

「よく、予約できたね」

 

自分の声が少し、浮ついてるのを自覚しながら、受付を済ませたクラウドに耳打ちする。そんな格式の高い場所でも、動揺することなくそばにいてくれるクラウドは、どこか嬉しそうに耳打ちを返してくれた。

 

「今日は特別だ」

 

冗談ぽくも聞こえる言い方。

なんだか恥ずかしくて、くすぐったくて。つい、照れ隠しで笑顔を返す私に、クラウドは前振りなく額へのキスを贈る。

 

「…クラウド」

 

突然の口付けに驚いたけれど、それはきっと、クラウドからの合図だった。私をじっと見つめるクラウドの瞳が、今夜で一番真剣だったから。これから大切な時間を過ごすのだと……私に告げてくれているような気がしたから。

 

「ティファ」

 

クラウドが私の手をとり、指を絡める。私もその瞳をじっと見つめ返しながら、絡め返す。

 

「…一緒に、過ごしてくれるか」

 

うん、以外の選択肢を、私はとうの昔に、どこかに置いてきていた。

終わりが迫る今日という夜に、クラウド以外を選ぶ未来を……私には、思い描くことなんてできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クラウドの手は、大きい。それに気づいたのは、まだセブンスヘブンで働いていたときだっただろうか。

 

何でも屋のお仕事を手伝っていたとき、そしてアバランチの仕事を手伝ってくれたときから、その手は私を支え、守ってくれた。その手はどんなピンチでも見逃さず、助けてくれた。

 

クラウドが背中に手を添えて、大丈夫だと言ってくれる度、私は「大丈夫」になれた。どんなに怖くても、どんなに辛くても。この手が私を支えてくれると思えば、何にだって立ち向かえる気がした。

 

 

 

 

「…ティファ」

 

案内された部屋。ふたりきりになった途端、私たちは、どちらからともなく口付けを始める。

 

今までずっと私を守ってきてくれた大きな手が、私の頬を包み、私の体に触れる。この手なら、クラウドに触れられるのなら何にも怯えることはないと、私は全ての力を抜き、クラウドに身を委ねる。これから起こるすべてのことを、受け入れたいと。これから流れるすべての時間を、あなたと一緒に過ごしたいと。

 

「……クラウド」

 

ゆっくり寝かされた広いベッドは、二人分。私たちはその上で、リラックスしてお互いを求める。

 

やり方なんて、わからない。正しい方法も知らない。けれどそれはお互い様だから、私たちは恥ずかしくも、怖くない。今ここで必要なのは、互いを想う気持ちだけ。あなたが好きだと、あなたがいいのだと、触れて口付けて、伝え合うことだけ。

 

「…、ティファ」

「ん……」

「……ずっと、こうしたかった」

「……私も。……夢みたい」

「…夢じゃない。消えたりしない」

「……、うん」

「…俺たちはここにいる」

「…うん、クラウド」

「いま、一緒にいる」

「……うん」

 

ぽろぽろと溢れる涙に、一体どんな名前をつけたらいいのだろう。

 

私の火照った体を慰めてくれるクラウドの手が、指が、何も言わず、涙も拭ってくれる。

クラウドは、泣くなと言わない。泣いてもいいとも言わない。私はそれが嬉しかった。きれいなことも、そうでないことも、すべてを許してくれることが、今はただ嬉しかった。

 

 

 

 

ねえ、クラウド。

 

明日、決戦のとき。あるいは、この命が尽きるとき。この世界が終わりを迎える瞬間。私たちはこの人生を、どう振り返るだろう。

 

苦しかったと思うだろうか。大変だったとため息をつきたくなるだろうか。数えきれないほど重ねてきた罪や、拭いきれないほど溜めてきた後悔が、最後に顔をのぞかせるだろうか。残念だと、呟くだろうか。

 

 

 

 

だけど、この紛いものでできた暗闇の中、私が感じているのは絶望と正反対の感情だった。

 

私の心は、満たされていた。私を満たすのはむしろ、たった今絶望から抜け出してきたばかりの、生まれたての感情。

それはとても、あたたかった。メテオが作り出す絶望なんかじゃ砕けない、優しくて強いものだった。その感情は、このときを待っていたかのように今、私の目の間に現れた。まるで、心を強くするために。これから立ち向かう巨大な闇に、打ち勝てと言わんばかりに。

 

 

 

 

 

ねえ、クラウド。今なら私、思えるの。

この感情は、あなたを待っていたのだと。あなたとの再会を、ずっと待っていたのだと。

 

私たちが通ってきた、痛く、辛く、苦しい時間は……この愛と呼べる感情に気づくために、いっときも無駄ではなかったのだと。

 

 

 

 

 

 

「……、…ティファ」

 

ふたり、生まれたときの姿になって、ゆっくり時間をかけて体を繋ぐ。痛みも、心地よさも苦しみも、今クラウドと一緒に感じられるすべてが嬉しかった。私たちはずっと、お互いを見ていた。重ねるときも、繋がるときも、もう、目をそらすようなことはしなかった。

 

「…クラウド」

 

クラウドが、私の中に自身を沈め終えたとき。ぽろぽろと溢れ続ける涙をそのままに、彼の頬に手を添える。

 

「…ありがとう」

 

伝える言葉はもう、選ぶ必要はなかった。伝えたい想いは十分、私の中で育っていた。

 

「……、」

「…ありがとう。一緒に、いてくれて」

「……ティファ」

「…そばにいてくれて。私を……ずっと見ていてくれて」

「……」

「私……クラウドに出会えてよかった。クラウドの隣にいられて、本当によかった」

「……、」

「クラウドが一緒にいてくれるなら……私、もう、何も怖くないよ」

 

言葉を伝え終えたあと。ぽとり、と、私の頬にあたたかいものが落ちる。

それが、私の話をじっと聞いていてくれた人の涙だと気づくのに、時間はかからなかった。

 

(…クラウド)

 

青く美しい瞳から、私と同じように溢れる涙。

私はそれを、クラウドがそうしてくれたように、指で拭う。

 

手のひらで触れた頬から、重なるあたたかい皮膚から、クラウドの中に渦巻く感情がわかるような気がした。それは私の抱く想いと、そっくりだった。優しくて、あたたかくて、何よりも強い想い。

 

「……ティファ」

 

クラウドが、とても穏やかな声で私の名を呼ぶ。私はその声を、その言葉を、全神経を使って受け止める。

 

クラウドのくれる想いを……今、ようやく受け止める。

 

「……、俺のセリフだ、ティファ」

「……」

「…ありがとう。俺と出会ってくれて。そばにいてくれて。俺を……見つけ出してくれて」

「…クラウド」

「ティファがいたから、ここまで来れた。ティファがいたから、生きたいと思えた。今も、生きることを諦めずにいてよかったと……心の底から思える」

「……、うん」

「…ティファ。……ティファは、俺の全てだ。ティファがいてくれるのなら……俺は、何だってできるんだ。だから……俺も、怖くない。もう何からも、逃げない」

 

(…ああ、)

 

絶望の中で生まれたこの時間を、至福と思う私は、不謹慎なのだろうか。

生きていてよかったと、こんなにも強く感じたことがないと言えば、人でなしになるだろうか。

 

だけど、もう、それでもいい。善人でなくたって、人でなくたって構わない。

私は、あなたに出会えた。あなたと一緒に歩いてこれた。ただそれだけでよかったのだと……今、こうして気づけたのだから。

 

 

 

 

「…クラウド」

「…うん」

「……、一緒にいてくれる? 最期まで、そばにいてくれる?」

 

目の前のクラウドに、私は最期のわがままをお願いする。

覚悟を決めるために。誓いを立てるために。私たちの間に「最期」の約束をつくるために。

 

「…大丈夫だよ、ティファ」

 

クラウドは、微笑んだ。

それは、私の大好きな笑顔だった。

 

「約束する。ティファのそばにいる」

「……」

「必ず俺が守る。何があっても離さない。……最期のときまで、ずっと一緒だ」

「…、……うん。……ありがとう、クラウド」

「……。…ティファ」

「……?」

「…愛してる」

「…、……私も」

「……」

「…愛してるよ、クラウド」

 

私たちは、私たちが築き上げてきた想いを交わす。

 

胸の中に溢れるのは、まるで、ここに辿り着くために生きてきたのではないかと思えるほどの幸福。

 

私たちはもう、後戻りできない。お互いへ抱く想いを知らなかった時間には、戻れない。

この先、私たちを待ち受けるのがどれほどの地獄であったとしても。今感じている幸福を塗りつぶすほどの悲しみが、私たちの上に降りかかったとしても。

 

 

 

この道が、どんな運命に繋がっていたとしても、なかったことなんてできないの。

絶望の黒さえ色褪せる優しさを、死さえ凌駕する喜びを……それをくれた人が生きる今を、私たちはここで、確かめられたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

やがて、この世界に朝がくる。あと何度迎えられるかわからない……もしかすると最期かもしれない朝が、やってくる。

 

だけど偽りの星も、朝の光までは隠せない。

 

この星はまだ守られている。大きく、熱く輝く太陽に。どこまでも続くこの空に。

そして、星は待っている。この大地で眠る、目には見えない大きな力とともに。「目覚め」の合図が来るのを……祈りとともに、待っている。

 

 

 

 

 

私たちは、小さかった。だけど決して、一人じゃなかった。

 

それを教えてくれた人がいた。それを教えてくれた時間があった。

私たちは、大切なものを守りたかった。だから最後に、この道を選ぶことができたんだ。

 

 

 

 

 

Date

 


fin,