最近、どうも疲れが取れない。今までだったら一晩寝たら回復していた体力が、8割ほどしか戻っていないような気がする。完全回復するまで、少なくとも二日は必要だ。とはいえ、そんな悠長に過ごす余裕もないわけだから、久しく完全回復などしていないのだが。
これも、一種のエーテルの使い過ぎによる後遺症だろうか。生まれてこのかた……イフリートの力を意識し始めてからもずっと、こうした疲れを覚えたことはなかった。だが、俺以外のドミナント……ジルやジョシュアが、魔法を酷使したあと回復が遅くなることを痛いほど知っていたから、俺は思った。ついに自分にも限界が近づいてきたのか。いよいよ体内のエーテルが枯渇し、自分も石化するときがやってきたのか、と。
そう、俺はかなり真剣に悩んでいた。この話をふとガブに漏らし、腹を抱えて笑われるまでは。
「だはは、お前、真剣な顔して何言い出すのかと思ったら……」
「?」
「ったく……クライヴそれはな、歳だよ歳。ただの歳だ」
「…歳?」
「そうだよ、歳。だってお前、俺も最近全く同じことで悩んでんだから」
「……」
相変わらずの男を目の前に、自分の中で何かがすとんと落ちる。と同時に、今までとてつもなく大したことのないことで悩んでいたことに気づき、何かを昇華するようについ空を見上げる。
歳。通常の「年齢」という意味とは別の意味を持つ言葉。簡単に言えば、もう若くないということ。それ相当に生きてきたつもりではあったが、恥ずかしながらどこか自分とは無縁に感じていたような気がする。いや、無関係とは言わずとも、もっと遠い未来の話のように思っていた。「大人」がよく言い訳に使う台詞だが……心がいつまでも、変わらずにあるせいで。
(……なるほどな)
肩の荷が降りた代わりに、別の何かを背負ってしまったような気がする。
えらく楽しそうなガブをよそに、ひそかにため息をついてから、俺は踵を返す。ガブは一通り笑い終えたのか、背中を向けた俺の肩を大袈裟に叩いてきた。
「待てよクライヴ、笑って悪かったって」
「…気にするな。気にしていない」
「いや、俺のセリフだぞ。歳の疲れなんて気にすんなって。誰でもいつかは通る道なんだから」
「……」
わざと、あまり信用ならないというような顔でガブを見る。ガブは何とも清々しく、目尻に皺を寄せ笑い、言った。
「むしろ、いいじゃねえか。クライヴ」
「何が?」
「お前もちゃーんと人間らしく、歳取ってるっつーことなんだからよ」
悔しくもそれが……俺にとって、ある種の励ましになることを知りながら。
「ふふふ……」
「そんなに笑わないでくれ、ジル」
「だって、……ふふ、おかしくて」
その日の夜、眠りにつく少し前の時間。部屋で一緒に書類の整理をしてくれていたジルに今日の出来事を伝えると、心底楽しそうに笑われた。
笑わないでくれと言いつつも、彼女の笑顔を見られてほっとしている俺は、矛盾しているだろうか。この何とも言えない情けなさも、ジルの笑顔の材料になるのならと差し出してしまう俺は。
「ふう……ごめんなさい、笑ってしまって。でも、大丈夫? 理由が何であれ、疲れてるんでしょう」
「…ただの歳の疲れだ。大したことじゃない」
「もう開き直ってる」
「悔しいけど、ガブに言われてしっくりきてしまった。…認めるよ」
「ふふふ」
先にベッドに腰掛け、机の上の整理を続けるジルを見つめながら会話する、幸福な時間。
作業を終えた彼女は嬉しそうに笑ったあと、ベッドの方に歩いてきてくれる。
まるであやすように、俺の髪に触れるジルの指。彼女が隣に腰掛けると同時に、その腰に腕をまわせば、ジルは自然に身体を寄せてくれた。
「……。なんだか」
「ん?」
「何だか、不思議な感じがするわ」
「どうして」
「子どもの頃から一緒だったあなたが、今はもう立派な大人なんだって思うと」
「…まだまだ自分では、そんなつもりがないんだけどな」
「ふふ……だけどきっと、エルウィン様が今のあなたの姿を見たら、大喜びされると思う。そっくりなんだもの」
「そうかい?」
「ええ、そうよ。ハンナ様も仰っていたでしょう」
「…ああ。そうだった」
「ね。歳を重ねるってきっと、気づけなかったことに気づいていくことなのよ、クライヴ」
「……ジル」
ジルの細い身体を抱きしめて、その首筋に顔を埋める。同じようにジルが抱きしめ返してくれるのを感じながら、俺は大きく息をつく。ジルのくれる、体に染み渡るような優しい言葉をたっぷりと噛み締めて。
歳を取った。そう意識することは少なくとも、我ながら、よくここまで生き延びたと感じることの多い人生だと思う。あのときに、あの夜に、俺は命を落としていてもおかしくはなかった。不運と幸運が交互に混ざって、俺は今日この日まで生かされた。そして生かされたおかげで、ジルにまた会えた。生かされたおかげで……ジョシュアとまた、会えた。
俺にとって、生きることはある種、責任だ。自身の衰えや老朽化を憂いたことがないのも、生きる目的が普通の人と違っているからなのかもしれない。これまで、自分自身のために生きたいなんて、あまり考えたことがなかったから。この命は単に一人全うするのではなく、他の誰かの……ひいては世界のために捧げるべきものとばかり、考えていたから。
だから……つい、わずかに喜びを感じてしまった。
自分と同じだと言ってくれたガブに。使命や罪という責任とは無関係に、衰えはじめる身体に。そしてそれを共に、良きことだと受け入れてくれるジルの存在に。
『お前もちゃーんと人間らしく、歳取ってるっつーことなんだからよ』
(……)
これくらいなら、許されるだろうか。
自分と、大切な人々が、この先どんな老い方をするのか……想像してみることくらいは。
「……。きっと」
「……?」
「…きっと君は歳を重ねても、ずっと美しいんだろうな」
「もう……。あまり期待しないでね? 肌の手入れなんかも適当だもの」
「大丈夫だ。君が皺くちゃになっても、君が美しい人であることに変わりないさ」
「ふふ、クライヴだけよ。私をそんなふうに言ってくれるのは」
「もし君が否定しようと、きっと俺は言い続ける」
「…ありがとう。あなたは……バイロン叔父様のようになるのかしら」
「ははは……素晴らしい人だが、あそこまで元気でいられる自信はないな」
「ふふ、そうね。もっと静かに暮らしてもいいかも」
「ああ。君とまた……小さな隠れ家を探して、静かに暮らすのもいい」
「…ええ。ええ、クライヴ」
何かを噛み締めるように、ジルが腕の中で小さく何度も頷く。その口元に微笑みがあるのを見て、俺も安堵の息をつく。上手く想像できずにいたずっと先の未来が、少しだけ灯される。そこには確かに……生きる喜びが残されている。
次の日の朝。やはり、体の疲れは尾を引き残った。だがそれを、疎ましく思えない自分がいた。これなら背負って生きようと。重さを抱え、生きようと。
ここに木漏れ日
(ほら、皆あたたかい)
fin,