昨夜から帰ってきていなかったクラウドの帰宅を私に知らせたのは、店の裏に戻ってきたフェンリル。買い出しを終え、家に戻ってきた私は、今夜の開店準備より優先すべきことができたと一人、気持ちを整える。
「ティファ、おかえり!」
「ただいまマリン」
ずっと待っていてくれたのだろうか。裏口を開けてすぐ、マリンが駆け寄ってきてくれた。荷物を運ぶのを手伝ってもらいながら、私は彼女の話に耳を傾ける。
「ティファ。クラウド、さっき帰ってきたよ」
「うん。そうみたいだね」
「なんだか疲れてたみたい。すぐ部屋に行っちゃった」
「…そう。何か言ってた?」
「ううん。ちょっと寝て、休んだらまた出るんだって」
「……。そっか」
どん、と、食材の山を店のキッチンに置いてから、無音のため息。不安そうな顔をしているマリンに笑顔を向けて、声をかける。
「ありがとう、マリン。私、クラウドの様子見てくるね」
「…うん!」
笑顔がつくり笑いになってしまうのはなぜだろう。ずっと会いたかった人のところに行くのに。心がうきうきとしないのはどうしてだろう。一日ぶりに、彼の声が聞けるのに。
本当はわかりきっている答え。それを考えるふりをしながら、私はマリンと食材を置いて階段をあがる。クラウドにどんな顔を見せられるのか、自分でも定めきれないまま。
「……クラウド?」
階段を登った先、子ども部屋の半階上にあるクラウドの部屋の扉は、いつも通り閉じられることなく半分開いていた。深呼吸をしてから控えめにノックをし、部屋に入る。覗いた部屋の中には、帰宅早々倒れ込んだのか、ベッドに乱暴に横たわっているクラウドの姿が見えた。
「…クラウド」
シーツも何もかけていない様子を見て、風邪をひいてはいけないと反射的に体が動く。部屋の床には、置きっぱなしになっている山積みの書類に本、そして未配達の荷物。マリンの言っていた通り、休んだらすぐ仕事に出るつもりなんだろうか。疲れているようだったという彼女の言葉がリフレインする。
「…クラ、……あ」
ひとまず、寝るなら寝るでちゃんと寝た方がいい。
そう思って、彼を起こそうと手を伸ばしたとき。
ふと視界に入ったのは、クラウドの机の上に置かれている……彼が買ってきたとは思えない、花束だった。
(……)
ざわ、と、一瞬で胸の中は揺れる。その花束が誰から誰に向けられたものなのか、私は知っているから、心が痛む。見ない方がいいと思っても目が見つけてしまった、その花に添えられた手紙。見覚えのある二つの名前。母親から娘に当てられた……私にとっても大切な人に宛てられた、もの。
(……)
もう一度、クラウドに目を向ける。クラウドは穏やかに眠っているように見えるけど、眉間には皺がよっているし、目の下にはくまを作っている。顔色もあまりよくない。彼の心のうちがどうであれ、今は起こさず、このまま休ませたほうがいいかもしれない。
「……」
クラウドの前髪をのけてあげながら、ひとり目を細め、彼を見つめる。
本当は、ご飯でも作ってあげられたらと思っていた。最近ずっと元気がないから、あたたかいものを食べて少しでも気持ちを明るくして欲しいと思っていた。だけど、今の私にそれができるだろうか。……クラウドに元気をあげることが、できるだろうか。
「……、ん」
「!」
しまった、と思った時には遅かった。私の気配に気づいたのか、クラウドがうっすらと瞼をあけてしまう。彼に気づかれる前にこのまま部屋を飛び出してしまおうかと思ったけれど、体は重い。クラウドと目が合うまで、一歩も動けなかった。
「……、…ティファ……?」
「……クラウド」
クラウドは、私を認識するや否や、半身を重そうに起こす。まだ寝ていていいと肩をつかんで押し返そうとしたけれど、彼はそんな私の手をやんわりといなし、首を振った。
「……。ごめん、起こしちゃった」
「いや……平気だ」
「でも、まだ寝てたほうが……」
「…少し寝た。もう大丈夫だ」
「……」
訪れる、沈黙。クラウドは私と最初目を合わせたきり、こちらを見ようとしない。それに私も、彼の顔が見れない。彼が嫌な顔をしていたら嫌だ、と、臆病な心がブレーキをかけているのがわかる。
(……)
このまま、もういちど謝って部屋の外に出ようか。そう思った。だけど、ちらりと覗き見したクラウドがうなだれているように見えたから……私は一種の覚悟を決めて、彼の隣に腰掛けた。
「……」
「……」
「…、おかえりなさい」
「……ああ」
「…マリンに聞いたよ。まだ仕事、残ってるの?」
「…うん。もう少ししたらまた出る」
「そう……お腹減った?」
「…いや」
「そっか……」
「……」
「……。…マリン、心配してたよ。クラウド元気なさそうだって」
「……寝てないからだ。少し休んだら、元に戻る」
「…、……クラウド、無理してない?」
「…何が?」
「…いろいろ」
「……大丈夫だ。心配いらない」
「……」
再び訪れる沈黙。全然、はずむ気配を見せない会話。
今までなら、クラウドとのおしゃべりで困ることなんてなかったのに。あっても、恥ずかしかったり、嬉しかったりで上手く話せないときくらいだ。こんな……気まずい沈黙は、私たちの間でずっとない。
クラウド自身に「大丈夫だ」と言われてしまうと、これ以上彼を問いただすことができない。クラウドが何かに悩んでいるのは確かなのに、何もできない。
彼の苦しみの輪郭はぼやけている。今の私じゃ、その形を認識することもできない。このままだと、クラウドを元気付けるどころか、もっと追い込んでしまう。声をかけるにしても、ちゃんと気持ちを立て直してからのほうがいい。そんな……ここから逃げ出す言い訳ばかり考えてしまう。
(……だめ)
本当に、今の私じゃだめだ。目頭が熱くなるのを感じ、慌てて勢いよく立ち上がる。クラウドの顔は見れないまま。彼の悩みを一粒も聞き出せないまま。
「…、…ごめん。はやく寝たいよね」
「……、」
「…ご飯、作っておくね。家出る前に食べて」
「……。……ティファ」
じゃあね。そう言って、クラウドの元を立ち去ろうとしたときに……ふと、弱い声で彼が私の名前を呼ぶ。つい振り返りクラウドを見たけれど、彼は俯いたままだった。
「…、クラウド?」
「……ティファは、」
「……」
「…ティファは、俺が守る」
「……、え?」
「失わせはしない。…マリンもデンゼルも……何があっても、俺が」
「……」
(…クラウド?)
クラウドのそれは、優しくなかった。まるで自分自身に言い聞かせるような、刺々しい言い方だった。
様子がおかしいのは彼自身に説明してもらわなくてもわかる。前言撤回、今離れちゃだめだとクラウドに向き直る。
「……クラウド」
私は再度ベッドに腰掛け、勢いのままクラウドを抱きしめた。クラウドは一瞬驚いたように感じたけれど、逃げることなくそこにいてくれた。それを確認してから、彼を抱きしめる腕に力を込める。
それから慰めるように彼の頭を撫でる。まるで、私自身を慰めるように……クラウドを、慰める。
(……、)
我慢していた涙が、私の目からぽろぽろと勝手に溢れた。悔しくて、情けなくて、わかっているのにわかってあげられないことが辛くて、私の心も悲鳴をあげる。
(…クラウド、)
お願い、教えて。何に困っているのか。何に怯えているのか。私にも背負わせて。私だって力になりたいの。クラウドがそうしてくれたように、私だってあなたを守りたい。あなたを支えたい。だって、私たちはそのために一緒にいるんじゃない。そのために私たち、家族になったんじゃない。
クラウドが今恐れているものは、本当にクラウドにしか、抱えられないものなの?
いつの間に私は……あなたにとって、守られるだけの存在になったの。
「……」
「……、…クラウド」
「……ティファ、……泣いているのか?」
「……」
「…ティファ」
「……。…泣いてないよ」
「…、でも」
「泣いてない。……大丈夫だから」
「……」
「だから……ここにいて」
「……」
「…このままでいさせて」
抱きしめることしかできないのなら。体温しか、今、分け合えるものがないのなら。
ねえ、クラウド。どこにいけば、本当の答えが見つかるのかな。時間は本当に、苦しみを癒してくれるのかな。私たちに、何が足りないのかな。守るって何? 一緒に生きるって、何? 支えあうって……どうやって?
現実はただ、現実を突きつけてくる。私たちがまだ……何も知らないという現実を。
「…ティファ」
静かに音もなく、肩を借りて涙を流し続ける私を、クラウドはゆっくりと抱きしめた。
私たちの間に、言葉はなかった。想いは何かに邪魔されて、お互いに届くにはまだ力が足りないように見えた。
バリア
fin,