寝落ちたりしないように、おまじない気分でブラックコーヒーを飲んだ。普段なら、この時間にカフェインを摂取するのは控えるところだけれど、今夜はなんだか許されるような気がした。聖夜祭や新年のような特別な日だけ、夜更かしを許してもらえる子どもの、ような。

 

電話を待つ時間には、慣れない。まだ少し照れくさい。手持ち無沙汰になるといえばいいだろうか。何をして待てばいいのかわからなくなる。待機しはじめてから約束の時間が来るまでに、できるような仕事もない。あったとしても、心ここに在らずだから、きっと上手くはいかないだろう。だから私はそわそわと、窓の外を眺めたり、肌のケアをしたりする。普段は手間をかけてしないような髪の保湿まで、惜しみなくする。これくらいしかできることがないというより、自分を磨くようなことなら、なんだかできるような気がするから。

 

(!)

 

その人は約束通り、日付が変わって間もなく、我が家の電話を鳴らした。

子どもが起きてしまわないように、慌てて受話器を手に取る。本当は余裕のあるふりをして、何度かコールが鳴るのを待ってみたかったのだけれど、そうもいかない。私が大切なのは家族。私が大切なのは……ずっと、この人。

 

「はい、もしも……」

『ティファか?』

「ふふ、はい。ティファです」

『…そうか』

 

開通早々、電話の相手をこんなふうに確認する人がいるだろうか。慌ててかけてくれたのか、ほんの少し息切れしているようにも感じる、クラウド。どうやって話を切り出そうかと、無駄に悩んだりしていたから、嬉しい。相変わらず、私が想像できるような動きはしないクラウドの、わんぱくさが。

 

胸に手を当て、深呼吸をする。どきどき、しているのがわかる。それは、そうだ。今日は誕生日。相手は、大好きな人。

 

「ごめんね、急がせちゃった?」

『いや、大丈夫だ。……というか、この時間に電話したいと言ったのは俺だ』

「あれ、そうだっけ」

『忘れるくらい、ティファも電話したかったのか?』

「…それは聞かない約束」

『ふ……すまない。何の用かわかってると思うが……』

「ふふ……うん」

『…誕生日、おめでとう。ティファ』

「…ありがとう、クラウド」

 

花がぱっと、咲いたみたい。クラウドに言葉をもらったとき、心の中の花畑が、お日様の光を浴びて急に花開いたような、そんな感覚がした。一言で言えば、嬉しい。もっと深い言葉を使うのなら……幸福。

 

クラウドの言うとおり、何を言われるのか想像はついていた。さきほど日付の変わった今日は、私の誕生日。わざわざ日が変わった瞬間に、出張先から電話をかけるというのだから、思いつかないほうが難しい。

だけど、そんなことは関係なかった。おめでとうって掛けてもらえた言葉よりも、一生懸命に、なんとかして伝えたいと思ってくれたことが、私は。

 

「…へへ」

『ん?』

「なんだか……照れちゃうね」

『…ああ』

「帰ってきてからでもよかったのに。疲れてるでしょう」

『…そういうわけにはいかない』

「…一番最初がよかったの?」

『一番最初がよかったんだ。……最初、だよな?』

「あはは、うん。流石に子どもたちも寝てる」

『よかった……。意地でも出張を断らなかった自分を恨むところだった』

「そんな、大袈裟だよ。今日帰ってきてくれるだけでも、十分嬉しかった」

『それだけは譲れないからな』

「ありがとう。美味しいもの作って待ってるね」

『……。ティファ』

「ん?」

『今日は、俺がうまいものを用意して帰る。ティファはゆっくりしていてくれ』

「でも……」

『誕生日は仕事しない約束だろ』

「…お料理は仕事じゃないよ?」

『ティファ』

「ふふ、はいはい。わかりました」

『…わかってくれたならいい』

 

誕生日はお仕事しない。いつだっけ、そんな約束をクラウドと交わしたのは。クラウドが自分の誕生日に夜遅くまで仕事をしちゃって、なかなか帰ってこなかったから? 私が今日みたいに、誕生日でもお店を閉じようとしなかったから? きっかけがどちらだったか忘れてしまったけれど、なんだかんだ働くのが好きな私たちのための、私たちによる気遣いで、そんな誓いが生まれた。もう随分前。一緒に誕生日を過ごすことが、当たり前にさえなってきた頃。

 

一体何度、クラウドに誕生日を祝ってもらってきただろう。何度、クラウドと一緒に歳を重ねられる奇跡を実感してきただろう。美しい青色に恋をしたあの夜の私に、再会できるとさえ思えず絶望の淵にいた私に、教えてあげたい。伝えたい。大丈夫だよ。生きていてよかったって心から思える日は、それでも来るんだよって。

 

ふと見上げたエッジの夜空。星空こそ見えないけれど、今晩の私の目にはひどく、美しく映る。

 

『…ティファ』

 

いつまでも聴いていたくなる、心地のいいその声が、私の名前を呼んだ。

 

「…なあに?」

『…今、何してる?』

「今? 空を見上げてた」

『…星は見えるか?』

「ううん、あんまり。雲が多くて」

『…そうか。こっちは満天の星だ』

「わあ、いいな。久しく見てないな、ニブルで見たような星空」

『今度見に行こう。連れて行く』

「本当? ありがとう」

『…本当に見に行くから、行きたい場所を考えていてくれ』

「ええ、どうしよう……」

『もし天気が悪くて見えなかったら、場所を変える必要がある。だから三つほど候補がほしい』

「ふふふ、本格的だね」

『当たり前だ。俺を誰だと思ってる』

「…元ソルジャーさん」

『ふ……久しぶりにティファから聞いたな、その呼び名』

「ふふ、うん。久しぶりに使ってみた。……もう、忘れちゃってた?」

『…ああ。俺にはもう、必要ない』

「うん。そうだね」

 

強くなった。クラウドも私も。その分、弱くもなった。守りたいものや、失えないものが増えたから。

人生は、何が起こるかわからない。どれだけ大切なものでも、ほんの少しの衝撃で壊れてしまったり、欠けてしまったりすることだってある。どれだけ失いたくなくても、何かの拍子で失ってしまうことだってある。私たちはきっと、この先何度も涙し、苦しむことになる。生きている限り。それが、生きるということ。

 

それでもきっと、私はこの人の隣にいることを望むのだろう。クラウドの手を、握り続けたいと願うのだろう。

どんな暗闇に放り出されても、どんな業火に包まれても見失うことのなかった……私にとって、たった一人の光。

 

「…あ」

『?』

「もう、こんな時間。そろそろ休まないと」

『…ああ、そうだな』

「クラウドには、安全運転で帰ってきてもらわなくちゃいけないからね」

『…違いない。なるべく急ぐ』

「もう、話聞いてた? ゆっくりでいいよ」

『ゆっくりなんて無理だ。早く会いたい』

「クラウド……」

『……。ティファ』

「?」

『…ありがとう。生まれてきてくれて』

「……うん。こちらこそ、ありがとう。一緒にいてくれて」

『…来年も一緒だ。再来年も』

「うん」

『その先も。……生きている限り、ティファのそばにいる』

「…うん。私も」

『……。じゃあ、あとでな』

「うん、あとでね」

『…おやすみ、ティファ』

「おやすみ、クラウド」

 

受話器から聞こえてくるのは、無機質な機械音。ついさっきまで繋がっていたクラウドとの通信が切れたことを、否応なしに教えてくれる。

それでも心の中がぽかぽかとあたたかいのは、クラウドのくれた魔法のおかげ。何を甘えたことを、と、昔の私なら言うだろうか。しっかりしなさいって、昔の私なら。昔の、精一杯背伸びしながら無我夢中で日々を生きていた私なら……言うだろうか。

 

「……」

 

もう一度、夜空を見上げた。月明かりが強いのか、もくもくと上空を漂う雲は、いつもより美しく輝いて見えた。

 

生きていてよかったと、心の底から思った。ありがとうって。「私」に……頑張ってくれてありがとうって。

 

 

 

朝が来るのを知っている

 

 

(わたしはそれを、あなたと待ちたい)

 


fin,