誰もいない、俺たちの寝室。音ひとつしないこの部屋で、二人用のベッドに腰掛ける。

 

「……ふう」

 

意味もなくため息をつくのは、この沈黙に少し、体が緊張しているから。

 

別に初めてなわけじゃない。自分の、いや自分たちの「家」となったこの家で暮らし始めてもう、かなりの時が流れた。そして何より、自室とは別に用意したこの寝室で、二人……ティファと二人眠る夜も、両手じゃ数えきれないくらいには重ねてきた。

 

それでも、それでもだ。やっぱり、緊張してしまう。ティファがシャワーを浴びている間、ティファが戻ってくるまで一人、寝室で暇を潰すこの時間は。

 

「……」

 

ティファがいないのをいいことに、ゆっくり見渡す部屋の中。俺たちは寝室と呼んでいるが、ここはティファの部屋でもある。

俺の私物は自分の仕事部屋に集中して置いてあるが、ティファにとってはこの部屋がそうだ。だから、至るところにティファのものがある。至るところから、ティファの残り香がする。

 

身だしなみを整えるためのドレッサーや、その上にある、積極的に使っているところを見せてはくれない化粧品。興味と好奇心は変わらずあるものの、無断で覗かないようにしているタンスの中や、知らない間に増えている、色鮮やかな小ぶりの鞄。

 

どれも、俺とは無縁のもの。だけど何故か、既視感のあるもの。

 

俺は今、ティファの部屋にいる。ずっと憧れ続けてきたティファの部屋に、こうして入ることを許されている。俺は今そのことを、どうしようもなく……嬉しく感じている。

 

(……ティファ)

 

「お待たせ」

「!」

 

突然その人の声が聞こえたのは、幸せを実感しすぎて、完全に油断しているときだった。だらしのない顔をしてしまっていた気がして冷や汗をかきながら、部屋に戻ってきたティファの方に目を向ける。長い時間シャワーを浴びていたのか、頬を赤く染めたままのティファは、俺が挙動不審であることには触れず、ただ嬉しそうにこちらに歩いてきてくれた。

 

「…ティファ」

「ごめんね、時間かかっちゃって」

「いや、いいんだ。全然待ってない」

「ほんと? 今日早かったし、眠かったでしょ」

「大丈夫だ。……ゆっくりできたか?」

「うん。おかげさまで」

 

ティファが何の躊躇いもなく、俺の隣に腰掛ける。ふわりと香るシャンプーと石鹸の香り。俺も同じものを使っているはずなのに、どうしてこうも香り方が違うのか。頭がくらくらするのを感じながら、何とか理性を保ち、ティファを見つめる。ティファが、当たり前のように隣に来てくれる今を、目一杯実感するために。

 

(…ティファ)

 

「ふう……」

「…お疲れさま。疲れただろ」

「ありがと、クラウドもね。…どうする? もう寝る?」

「…ああ。ティファは、もういいのか?」

「うん。明日の下ごしらえも終わったし、大丈夫」

「…よかった。なら、寝よう」

 

ティファの返事を聞いてから、部屋の電気を消すため立ち上がる。寝室に残るのは、小窓からわずかに差し込む月明かりだけ。それでもこの目がベッドの場所を、ティファのいるところを見失うことはないから、俺はまっすぐ元いたところへ戻る。先に横になったティファが、俺を待っていてくれることを、しみじみと嬉しく感じながら。

 

「……」

 

ティファがちゃんと眠る体制になっているのを確認して、その体にシーツをかける。それから同じシーツに潜り込み、ティファの隣に自分も寝転ぶ。体をぴたりと寄り添わせる前から、共有が始まる体温。ティファとひとつの場所に飛び込むような、ほかの何とも変え難い、幸福な空間。

 

(……)

 

「……。…ティファ」

「……ん?」

「…寒くないか」

「うん、平気。ありがとう」

 

ティファが俺の隣で、ほっとしたように微笑んでくれる。これ以上に守りたいものがあるだろうかと、ほとんど毎夜感じる想いが心をじんわりと支配していく。

ティファを大事に想う気持ちが抑えられなくなって、シーツの中でなるべくそっと手に触れる。ティファはその手を、何も言わずに握り返してくれた。こうして手を繋ぐことが当たり前であるかのように、自然に。

 

(…ティファ)

 

「……。ティファ」

「…なあに?」

「……何でもない」

「ふふ、呼んだだけ?」

「うん……」

 

(……はあ)

 

どうしようもない。どうしようもなく、自分がだらしのない顔をしている自覚がある。だけど一番どうしようもないのは、それを正す気が全く起きないことだ。ティファに見惚れて、ティファのことだけを考えられるこの時間に、格好をつけることに能力を割けなくなっている自分だ。

 

だんだんと無制限に、ティファへの想いは増していく。少し身を起こし、ティファの反応を伺いながらその小さな額に口付けをする。ティファが子どもたちにする、おやすみのまじないを真似したつもりではあったけれど、それは単なる言い訳だった。本当は何でもいいから、ティファに触れたかった。欲を言えば……俺が隣にいることを、ティファに実感していてほしかった。

 

「…クラウド」

 

唇を離し、ティファの様子を伺う。ティファはほんの少し頬を赤らめて、小さな声で俺の名を呼んだ。その反応が嬉しくて、どこかくすぐったさも感じ、俺はついに破顔する。それだけじゃない。ティファが真似をするように、俺の額にキスを返してくれたから、心はもう形をとどめないほどに溶ける。ティファのことで、いっぱいになる。

 

「……ふふ、おまじない返し」

「…ティファ」

「これでお互い、よく寝れるかな?」

「……ああ。きっと」

 

(…ティファ)

 

俺は、慣れることができるだろうか。こんな幸福な時間を、享受し続けられるだろうか。

何度夜を重ねても、だめなんだ。毎日毎日、嬉しくて心が震えるんだ。ティファの隣にいられることは、ティファに受け入れてもらえることは、それほどまでに特別なんだ。

 

「……クラウド」

 

また一人、感慨深くなっているうちに、ティファは俺の胸に飛び込むように体を寄り添わせる。嬉しくて反射的に体を抱きしめたけれど、込めた力が強すぎた気がして、今度は最大限に緩め、加減する。

 

柔らかいティファを壊したくなくて、俺はいつも緊張している。こんなにも安心する場所なのに、同時にいつも息切れしてしまう。ティファを傷つけないように。ティファに、嫌な思いをさせないために。

 

何もかも全部、ティファが大切だからできるんだ。ティファのそばに、い続けたいからするんだ。そのために払う犠牲や苦痛があるのなら……俺は躊躇なく、受け入れることができるから。

 

「……。ティファ」

「ん……」

「…おやすみ、ティファ」

「うん……おやすみ、クラウド」

 

優しく、勝手に解けてしまわない程度の強さでティファを抱きしめながら、おやすみの挨拶をする。それから、ティファが安心して瞼を閉じてくれるのを確認し、俺もゆっくり目を閉じる。

 

離したくないと心底思った。この体温も、この幸福も。

そのためにはもっと、強くなる必要があった。この幸せを受け止めるには、俺はまだ、あまりにも未熟だったんだ。

 

 

 

あぶくの檻

 

 

 


fin,