「綺麗になったねえ、ティファ」
常連のお客さんに、ふとそう言葉をもらった閉店間際、夜10時半。まったく予想していなかった言葉につい、洗い物をしていた顔をあげる。
カウンターに座る、よくひとりでお酒を飲みにくる年配の女性は、おそらく変な顔をしている私をみて楽しそうに笑った。
「なんて顔してんだい。別に言われるの初めてじゃないだろう」
「…き、急に言われたから……」
というか、そもそも面と向かって頻繁に言われることではない。綺麗だなんて。慣れてないから、それが同性の母親ぐらいの年齢に近い人の言葉でも、私はついドギマギしてしまう。
動揺しすぎるのも恥ずかしいから、お皿を拭きながら平常心を取り戻そうとする。このお客さんは私を孫か娘みたいに思ってくれている節があるので、おそらくそんな照れ隠しは無駄なんだけれど。
「最近いいことでもあったんじゃないかい?」
「いいこと? うーん……いつも通りだけどなあ」
お皿に「もういいよ」と叱られてもおかしくないぐらい何度もそれを拭く。女性は「ふーん」とだけ言ってしばらく私を見つめる。何も隠し事なんてしてないのに、そわそわする。
それから彼女は、まるで正解を見つけた子どものように、嬉しそうに言った。
「…いい恋、してんだねぇ」
「えっ?」
「ははは、何もそんなわかりやすく反応しなくても」
「だって、そんなこと……!」
あやうく、せっかくゴシゴシ拭いたお皿が手から滑り落ちるところだった。……とっさに力を込めた自分の反射神経に感謝。
ごほん、とわざとらしく咳払いをしてみせる。そうすることで、いともたやすく脳裏に浮かんできた、ただひとりの人のことを一度、頭の隅に追いやる。まだ本人が仕事から戻ってきていないから、妙に周りを気にする必要もないのが不幸中の幸いかもしれない。
「ばあさん何言ってんだ、ティファは昔っから綺麗だろうがよぉ」
「うるさいね飲んだくれ、はやく帰りな!」
女性の後ろに座っていた、私たちの会話を聞いていたらしい酔っ払いのおじさんが大声で言う。女性が返事する。
仲間に連れられお店を去っていくそのおじさんに手を振る。気づけばお店にはもう常連の彼女しか残っていない。もう一度彼女を見ると、予想通り楽しそうな表情で待っていた。
「どうなんだい。最近うまくいってんのかい?」
「ええ?変わらないと思うけど……」
「まあ、ティファに自覚がなくても表情見てたらわかるよ」
「…違うものなの?」
「そりゃあ違うさ。表情ってのは、心の中がそのまま出るもんだからね」
「そっか……」
「なんだろうね。肩の力が抜けてきたんじゃないか」
女性がくれた言葉に、おもわずポカンとする。
「……?どうしたんだい、急に固まって」
「…私、肩の力を抜けって言われることは多かったけど……抜けてきたって言われるの、はじめてかも」
そういうと、彼女はとても穏やかに微笑んで頷いてくれた。
私は微笑み返してから、お皿をぎゅ、と握りしめ考える。
(…そう、なのかな)
私はたぶん、自他共に認める、いわゆる気にしすぎるタイプだ。
小さいときから、特にミッドガルで暮らし始めた頃から、思えば私はいつも何かに怯えて、何かに疲れて生きてきた。いつも不安なものだから、それを悟られないように元気に振舞う癖もついていた気がする。
それは旅が始まってからも同じ。迷惑かけてないかな、誰かを不要に傷つけてないかな。戦いや争いのたびにそんなことを思って固まってしまうから、バレットに何度も「考えすぎるな」と言われたことをよく覚えている。それに……。
(…最近までも、私……)
「でも……そりゃきっと、うまくいってるってことだね」
「え?」
女性の声で我に返る。
うまくいってるっていうのは、つまり。
(…クラウドと?)
「…そうかな?」
「そうさ。いっとき、ティファずっと悲しい顔してたからね」
「…そ、そう……顔に出てたか……」
「あの時喧嘩でもしてたのかい」
「うーん……ちょっと、すれ違ってた、かもしれない」
「今は?」
「今は平気。……言われてみれば、最近はずいぶん楽かも」
「ほら、きっとそれだよ。ティファ、最初の頃よりずっといい顔してるもの」
「そう?」
「そうさ」
女性はとても優しい表情で、頷いてくれた。
周りの人にそう言ってもらえることが嬉しくて、ついほっとする。平気だっていうのは嘘じゃないけど、やっぱり心のどこかで、不安に感じる自分は生きているから。
そう。私の心配癖は、旅が終わってからも変わらなかった。
ここで私を待っていたのは、生まれて初めて経験する、家族とは違う意味での大切な人との……クラウドとの生活。
私は、私自身が未熟なまま、幸せを受け入れる体勢を整えられないまま「クラウドといっしょに生きる」という膨大な幸せに足を踏み込んでしまった。だからこれまで以上に「こうしなきゃいけない」「ああしなきゃいけない」に囚われて、毎日が楽しくて嬉しい反面、いつもとても、苦しかったように思う。
一番怖くて寂しかったのは……一度心が通じたはずのクラウドのことが、どんどんわからなくなっていくことだった。
クラウドのそばにいられる日々が幸せであればあるほど、私自身が不安に囚われていたせいか、今まで感じたことのない、黒くて醜い感情が私の中で育っていった。
そんな「クラウドを知りたい、わからない」という私の不安は負の色をまとって、クラウドにも伝染した。これまで喧嘩なんてまともにしたことがなかったのに、些細なことでぶつかることが増えていった。
一緒にいるはずなのに苦しい。クラウドを想えば想うほど離れていくことが悲しい。私は彼の傍にいない方がいいんじゃないかと、彼に私は必要ないんじゃないかと、くだらないことを真剣に何度も思った。クラウドが家を出ていって帰ってこなかったあの頃は、色んなことを考えすぎてご飯も喉を通らなかったぐらい。
(…だけど)
今、私たちは一緒にいる。一緒にいるという選択肢を、選ぶことができた。
何よりも今、あの時間が私たちに必要だったんだと思えている自分が、ここにいる。
(…私、何かを、乗り越えられたのかな)
「……あながち間違いじゃないと思うけどねえ」
「?」
ひとり心の中で、自分を見つめていた私をふたたび声が連れ戻す。
彼女はぼう、としていた私を見てから、続きの話をくれる。
「あの配達屋も、最近物腰が柔らかくなったって聞くしね」
「…クラウドが?」
ふと出たクラウド本人の話につい、反応した。
「そうさ。…もともと優しいやつなのは何となくわかるけどね、あたしの知り合いが、この間はじめてクラウドが笑ったのを見たって騒いでたんだよ」
「ふふ、そうなんだ」
「あんたの前だとどうか知らないけど、あたしたちの前ではめったに笑わないのさ、あいつ。仕事は真面目でしっかりしてるんだけどね」
「そっか……」
「だから、みんなでティファのおかげだろうって話してたんだよ」
「え?」
「え?って、それ以外何があるんだい」
「……」
「何があったのか知らないけど……よくよく考えてみりゃあんたみたいな可愛くて、優しい、いい子が家で待ってるんだよ?そりゃ、強くも優しくもなるさ」
(……)
クラウドも、優しくなった?落ち着いた?
普段一緒にいるから顕著に違いがわからないけれど……言われてみれば、微笑んだり、笑う機会は多くなったかもしれない。
「まあ……何が言いたいかと言うとだね」
女性が優しい顔つきで、私に語りかける。
「同じことが、ティファにも言えるのかもしれないって話だ」
「同じこと……」
「きっとティファも、あいつの影響受けてんのさ」
「……、」
「はあー……いいねえ、お互い高め合っていくなんて。なかなかできることじゃあないよ」
「……」
なぜだか照れくさくて頬を染め、俯く。
(…私も?)
ずっと手にしたままのお皿を持つ力を弱めて、考える。
優しくなった?強くなった? しっかりと、ここに立つことができている?
(私がもし、本当に成長できているのだとしたら)
そうしてくれたのは、確かに。
お店の入り口の扉が控えめな音を立てて開いたのは、私がその答えに、ふと気づいた瞬間。
閉店間際にお客さんが入ってくることなんてまずない。だからそれが誰か、顔を上げる前にわかった。
「…クラウド」
ほとんど反射的に名前を呼ぶと、帰ってきた人は……クラウドはすぐ顔をあげ、綺麗な色をしたその目をむけてくれる。
おかえり、と声をかけると、口元だけ小さく微笑んで、頷いてくれた。
「お、噂をすればご帰宅じゃないか」
「噂?」
「中身は聞くんじゃないよ、女同士の秘密だからね」
クラウドは怪訝そうな顔をしてから私を見る。特に隠す理由もないんだけど、私は悪戯っぽく笑って見せた。
クラウドと、この常連さんは顔見知りだ。私のお客さんでもあり、彼のお客さんでもあるから。多分仲もいい。たまに二人して遠慮なく、ずけずけ言い合っているのを見るのが私のささやかな楽しみでもある。
「…どうせろくでもない噂だろ」
「なんだい、せっかく褒めてやってたのに。ねえ、ティファ」
「ふふ、そうだね」
「…ティファ」
「ティファから聞き出そうったって無駄だよ」
「…あんたに聞いてない」
二人のやりとりがおかしくて一人くすくす笑っていたら、クラウドも私にほんの少し笑みをこぼす。
女性は私たちの様子をみて満足そうに息をついたあと、お金を置いて立ち上がった。
「さ、そろそろ帰るとするかね。ごちそうさまティファ」
「ううん、こちらこそありがとう」
「…この時間歩いて帰るのか?」
「他、何で帰れってんだ」
「…今更俺が言うまでもないが、この辺の夜道は危険だ。……送る」
「なーに言ってんだい。あんたみたいな色男と二人で歩いてごらん、あとで何言われるかわかったもんじゃない」
「…人をゲテモノみたいに言うな」
(…クラウド)
優しいなあ。相変わらず言葉は乱暴だけど。
「こちとらスラム歴何年だと思ってんだい。こんな婆さんの心配しなくていいから、ティファの傍にいてやんな」
「それは言われなくてもそうするが……」
口籠るクラウドのそばまでいって、私も彼女に声をかける。
「じゃあ、私が送ってくね」
「え?」
「ん?」
「ティファ、だめだ。それじゃ意味がない。話聞いてたか?」
「聞いてたよ。私だってまだまだ現役です」
「…それは知ってる。だが危ないっていうのは、モンスターが出るとかそういう意味じゃない」
「人間とも戦えるもん」
「…はあ……。……わかった、俺も行く」
「なんだい仰々しいねえ、あたしの意見は無視かい?」
「無視だ。行くぞ」
クラウドが盛大にため息をつきながら、先に外に出る。私たちは顔を見合わせて笑った。
ごめんねクラウド。あとで謝るね。ありがとうね。
いろいろな言葉をその広い背中に心の中で呟きながら、私も女性と一緒に店の外に出た。
きっちりお店の施錠をしてから、空を見ようと振り返る。
視界に入った夜の空。故郷より街が明るいせいで、あの頃より星の数は多く見えなかったけれど、それでも広くて大きくて、懐かしいものだった。
「…ティファ」
名前を呼ばれて、彼を見る。クラウドは優しい表情のまま私を見ていた。
当たり前のように差し出された手に、私は、当たり前のように自分のそれを重ねる。
(……)
私は、胸いっぱいに深呼吸をした。
とてもとても、心地がいい夜だった。
*
三人で歩く夜の散歩は、とても楽しいものだった。常連の女性は、私の知らないクラウドの話をたくさん教えてくれた。
クラウドが、仕事で立ち寄ったお店でたまたま強盗と鉢合わせて、退治した話。お宅に荷物を預かりにきたはずが、依頼主である親が帰ってくるまで子守をするはめになった話。10も年下の女の子に告白されて、振り方がわからずに頭を抱えていたという話。彼があまりに強いから、配達屋じゃなくて退治屋かなにかだと勘違いされることが多いという話。
情報通である彼女が知り合いから仕入れてきた彼の話は、どれもこれもとても面白い。なぜって、クラウドが私に報告しないような話ばかりだから。クラウドはいろんなことを暴露される度「どこからその話が漏れてるんだ」と始終嫌そうな顔をしていたけれど、それでも私たちの話を無理やり終わらせたりはしなかった。
もちろん、私の知らないクラウドの世界を知るときはいつだって、ちょっと寂しさを感じてしまう。だけど、彼が確かにこの街で生きているという事実が、寂しさよりも大きな喜びを私に授けてくれる。
誰かが、私たちを知ってくれている。それは故郷を失った私たちにとって、とてもとても、大きな意味をもつことだから。
「ありがとさん。気をつけてお帰り」
「うん、またね。おやすみなさい」
楽しい時間をくれたそのひとに別れを告げる。おうちの扉がしまったのを確認してから、私たちは手を繋いで、帰路に立つ。
クラウドの隣で自然と見上げた星空は、私の明るい気持ちを反映するみたいに、きらきらと輝いていた。
「ふう……楽しかった」
「…よかったな」
「ごめんね、わがまま言っちゃって。お客さん送ってくれてありがとう」
「いや……これぐらい、我儘に入らない」
「…ありがと。でも、クラウド仕事中いろんな体験してるんだね。楽しそう」
「……。楽しんでるのは俺というより、周りの人間だけどな」
「ふふ」
改めて、思う。この人は本当に優しいひとだ。
一見こんなにぶっきらぼうだけど、いつだって気づけば彼の周りにはたくさんの人が集まってくる。
ニブルヘイムにいたときの記憶の中のクラウドからは、想像できないこと。おそらくクラウド自身も、想像していなかったこと。
きっと、たくさんの出来事がクラウドを変えた。たくさんの人たちがクラウドを支えてきた。くじけても折れても諦めてもおかしくない、悲しく辛く痛いことが、何度も彼を襲ってきたはず。だけどそれでも、旅の途中、この街に住む前、そしてきっと住み始めてからも……ずっとクラウドは前を見ようとしてきた。
(……、)
そうやって歩き続けるクラウドの傍に、今もこうしていられることは……きっと私の人生における、一番の奇跡なんだろう。
「…ティファ?」
物思いにふけっていた私を、ふとクラウドが覗き込む。
星の光に染まるきれいなきれいな目を見つめ返すと、彼は少しほっとしたように微笑んだ。
「…眠いか?」
「え?」
「ぼーっとしてる」
「あ……ちょっと考え事してた。眠くないよ」
「…そうか」
じゃあ、とクラウドが言葉を続ける。
「…ちょっと遠回りして帰ろう」
「遠回り?」
「…特に何かがあるわけじゃないが……せっかく店を抜け出したんだ。たまには、いいだろ」
(それは、つまり……)
二人でいたいって、思ってくれてるってこと?
(…嬉しい)
私は彼の提案に対して、子どものように、こくこくと何度も頷いた。
クラウドは穏やかに微笑んでくれた。滅多に笑わない人とは思えない、優しい優しい笑顔だった。
*
クラウドと歩く、真夜中のエッジ。
こんな時間に外に出ることは少ないから、私は心の中、少しはしゃいでしまっている自覚がある。
クラウドは、私の手を繋ぎ、夜の街を歩きながらぽつぽつと案内してくれた。
仕事柄荷物を届けることが多いから、いろんな情報が入ってくるんだろう。彼の話を聞くのは、とても楽しくて、嬉しい。
「あ、こんなところにバーがあったんだ」
「最近できた」
「そうなの? いったことある?」
「いや、俺には必要ない」
「行けばいいのに。今、うちにはないダーツがあるかも」
「……。…興味ないね」
「ふふ、ほんとかなあ」
まだ廃材や工事途中の建物の方が目立つエッジ。いまだ街灯は少なく、お月様の光を強く感じるけれど、確かに街は生きている。
静かでも穏やかではない不安定なこの街は、私にとって少し落ち着く環境だ。きっとそれは、短くない時間を過ごした七番街と、ほんの少しだけ雰囲気が似ているから。
クラウドは、危ない人がいないかさりげなく見渡しつつ、ずっと私の手を握ってくれていた。
酔っぱらった人たちから遠ざけてくれたり、車道と反対側を歩かせてくれたり、そんな些細なことが、私にとってはとても、嬉しいことになる。
「…クラウド」
「ん?」
「夜のお散歩、楽しいね」
「そうか」
「うん。やっぱりお昼の姿とは全然違う。知らないことがたくさん」
「……。…だからといって、一人で夜中外に出るなよ」
「どうしようかなぁ?」
「…ティファ」
「冗談だよ。心配してくれてありがとう」
「俺は冗談で言ってない。ティファに何かあったら……」
「だいじょうぶ。勝手なことしない」
「……夜、外に出たいなら、俺を呼んでくれ」
「うん。そうするね」
困った顔をしていたクラウドが、私がちゃんと返事をするのを確認して、安心したように微笑み、前を向く。
(……)
夜の光に照らされた……あの頃からずっと私の心を捉えて離さない、綺麗な横顔をみて、思う。
こうして大事にしてもらえることの喜びを。当たり前のように隣を歩いてくれる今を。
私は、クラウドに出会って、守られるということの本当の意味を知った。人に心配してもらうことが、人に想ってもらうことがどれほどありがたくて、嬉しいことなのか、全部全部クラウドに教えてもらった。
誰かを頼っていいんだ。ひとりで頑張って立とうとしなくたっていいんだ。そうやって、生きていってもいいんだ。ずっと意地を張り肩に力を入れて生きてきた私にとって、この事実は何よりも大きく、温かいことだった。
(……)
そんなクラウドは時々、もし私がいなかったら自分はいない、という話をする。
それはきっと、私が本当のクラウドを知る唯一の人間だったからという意味もあると思う。私にとってもそれは同じ。あの事件のことも含めて、クラウドは私の過去を知ってくれている唯一の人だから。
でもそんな、予期せず重く、強い意味を持ってしまった過去から、私たちは前に歩いてきた。私たちが一緒にいる意味は、もう一度出会った意味は、きっと「そのため」だけじゃないという答えを探すように。
私が傷つき落ち込んで動けないときは、いつもクラウドが隣で「大丈夫」だと支えてくれた。クラウドが何かに怯え立ち竦んだときは、私はクラウドにもらった勇気を、クラウドのために使ってきた。
二人して不器用で、言葉にするのが苦手で……うまくいかないことの方が多かったし、これからもきっと多いのだろうけれど。
それでも、それでも、私は。
(…かなうのなら、これからも)
「…あ」
「?」
クラウドがふと空を見上げて、声を漏らす。
私は反射的に、彼と同じように夜空に目をむけた。
「…あ」
「…三日月か」
「ほんとだ。…綺麗」
私たちの目線の先には、さっきまで雲に隠れて見えていなかった大きなお月様。
嬉しい夜も悲しい夜も、いつも変わらず今目の前にあるお月様があったんだと思うと、不思議と温かい気持ちになる。
「…うん」
クラウドの優しい声に導かれるように、私は空を見上げていた目線を彼に戻す。
クラウドもゆっくり、私を見た。とてもとても……綺麗な瞳だった。
「…きれいだ」
(……、)
つい、胸が高鳴ってしまって、慌てて目を逸らす。
今のが勘違いじゃなければ……その言葉はどんな人に言われるよりも、嬉しい意味を持って私に届く。
空いた右手を胸元に置く。心臓がどきどきと、私にその存在を知らせるのがわかる。
胸につまったものを抜くように、大きく、大きく息をはいた。繋いだ手にぎゅっと少しだけ力を込めたら、クラウドは優しく握り直してくれた。
「……」
「……」
優しくて、くすぐったい沈黙が私たちを包む。
この夜道がずっとずっと続けばいいのにと思ってしまうほど、お月様がくれる今が、クラウドの隣を歩いているというこの時間が、愛しい。
「……」
「…クラウド」
「…ん?」
「……何でもない」
「なんだそれ……」
「……クラウド」
「…うん」
「……。…ありがとう」
「……何が?」
「…うーん……たくさん」
「たくさん?」
「うん。…たくさん」
そっと、クラウドを見上げる。クラウドも私を、優しく見つめている。
ぜんぶぜんぶ、伝えられたらいいのに。感謝も、想いも……確かに根付く、愛おしさも。
「……。…礼を言うなら、俺の方だ」
「……」
「…ありがとう、ティファ」
「…なにが?」
「…全部」
「……、」
「今も、昔も……ティファが生きている、全部」
クラウドは、恥ずかしがることも、何の迷いを抱くこともなく、真っ直ぐ私にそう告げる。
私は、どういたしましてなんて言えるわけもなく、ただもう一度その手に力を込めることしかできない。
(…クラウド)
私、あなたに願ってもいい? 伝えても、いい?
これからも一緒にいたい、って。あなたの傍にずっといたい、って。
いつだって臆病な私には、とても言えないと思っていたけれど。クラウドへの想いが大きすぎて、言ってしまったらきっと、何かが壊れてしまうと思っていたけれど。それでも、いいのかな。おこがましいかもしれない。欲深いのかもしれない。それでもクラウドの隣にいる未来を、想像してもいいのかな。
これからも前を向いて成長していくあなたの隣を、私も同じように歩きたいと……願って、いいのかな。
ねえ、クラウド。
(…あなたはこんな私を、受け止めてくれる?)
夜道はずっとは、続かない。
クラウドのくれる優しい温もりに甘えているうちに、私たちは、気づけば家のすぐ近くまで来ていた。
(……、)
帰る場所がいっしょなのに、これで最後じゃないのに、まだ帰りたくないなんて思う私は、クラウドに関して筋金入りのあまえんぼだ。
「…あっという間だな」
「え?……うん」
「とはいえ、結構歩かせた……疲れてないか?」
「うん、平気。楽しかった」
「そうか。ならよかった」
クラウドは私が微笑んだのを確認して、安心したように前を向く。
そして手を繋いだまま玄関に足を向ける。このまま、家の中に入るんだろうなと思った。
「……、」
(…このまま、いつも通りの生活に戻っていいの?)
甘えてばかりで……もらってばかりで、まだ言いたいことを何も伝えられていないのに。
クラウドがせっかく、チャンスをくれているのに。時間を分けてくれたのに。
(……、私は)
「……、…ティファ?」
クラウドが不思議そうに私の名前を呼んだのは、私が彼の手を握ったまま立ち止まったから。
彼は首を傾げながら、玄関にむけていた足をすぐこちらに向けて、俯く私のそばに歩み寄る。
そしてそっと身をかがめ、私の顔を覗き込んだ。
「……」
「…どうした、ティファ」
穏やかな、安心する声に導かれて私はそっと顔をあげる。
クラウドは変わらず私のことを見てくれていた。私の目を見つめていた。
「……クラウド」
「ん…?」
そしてまるで、ちゃんとここにいると私に伝えるように、しっかりと手を握りかえしてくれた。
(……)
「……。…また」
「…」
「またお散歩……連れて行ってくれる?」
「…ああ。連れていく」
「…また……お仕事のお話とか、聞かせてくれる?」
「うん。話すよ」
クラウドは、私が、お願いをしなくたって。
「……。…明日も、一緒にいてくれる?」
「…ああ」
「…、明後日は?」
「明後日も」
「……。…明々後日も?」
「明々後日も」
ずっと、ここに。
「…ティファ。大丈夫」
ここに。
「一緒にいる」
クラウドに抱きしめて欲しくて、ゆっくり歩み寄る。クラウドは手を伸ばして、私を抱き寄せた。
優しい匂いが、体温が私を包み込む。気持ちが溢れて涙が出そうだったけど、私はぎゅっとそれを我慢する。
「……、」
彼の広くなった背中に腕をいっぱいいっぱいにまわして、私なりの力で抱き寄せた。クラウドも少し苦しく感じるぐらいに、抱きしめる腕に、力をこめてくれた。
「……クラウド」
「…」
「……、…そばにいて」
だから私は、クラウドに体を預けることができた。
「…離さないで」
誰のためでもなく……自分のために、優しい気持ちで願うことができたんだ。
生まれたての春を抱く
(あなたが運んできてくれた季節を
もう、蔑ろになんてしないわ)
fin,