「…すまないティファ。時間が来てしまった」

 

体温のない冷たい指先が、おなじくらい冷たい私の頬をなぞる。

まっしろなベッドの上。大人しく横たわる私に、クラウドはぎしりと音を立て覆いかぶさる。月明かりに映える美しい人を見上げながら、これから自分は何らかの方法でこの人に食べられるのだと、乏しい本能で悟った。

 

「…クラウド」

「…?」

「クラウドは……ドラキュラ、さん?」

「……似てるけど、その類の生き物じゃないな」

「…じゃあ、魔法使い?」

「……ごめん。そんなにかわいいものでもない」

 

今更すぎる質問。数年前、はじめてクラウドが私のいる病室に忍び込んだときにすべきだった質問。

クラウドも同じことを思ったのだろう。優しく私に返事をしながらおかしそうに苦笑する。その表情に全く緊張感がないものだから、私は自分の身にいわゆる「危険」が迫っていることを自覚しながらも、構えることができずにいた。

 

「…。クラウド」

「…うん?」

「……これから何をしようとしてるの?」

「…何だろうな。知らない方がいいかもしれない」

 

ごまかされる答え。代わりにするすると解かれていく、今朝看護師さんが丁寧に結んでくれた胸元のリボン。

涼しい顔をしたクラウドは慣れた手つきで衣服を剥ぎ、私の肌を露出させていく。生まれてこの方、病院の人以外誰にも見られたことのない柔らかな胸元。温もりを忘れた体のなかできっと、この場所が一番あたたかい。

 

幼い頃から病弱だった自分の体で唯一、力強く動きつづけている感じがする場所。クラウドの指を、はっきり冷たいと感じる場所。そう……ここにあるのは。

 

「………心臓…」

「……」

「…クラウドが欲しいのは、心臓?」

「……」

 

月明かりだけが頼りの真っ暗な部屋の中。ゆらりと揺れた星空を、凝縮したような瞳と目が合う。無言はイエスの代わりだと……幼い頃読んだ物語で、誰かが言っていたことをふと思い出す。

 

 

 

 

 

 

クラウドは死神なのかもしれないと、本当は、初めて出会ったときから思っていた。

 

真夜中。とある曇りの日の夜に、音も立てずに現れた不思議な男の人。開かれたのは病室のドアではなく、何十階もある建物の、海に面した大きな窓。翼もないのにその人は、涼しい顔で窓を開け、ベッドに横たわる私のもとへとやってきた。

 

『…やっと会えたな、ティファ』

 

このあたりの地域では珍しい金髪に青目。身を包む真っ黒なローブ。なぜか私の名前を知っているその人の、明らかに人間のものではない、どこか神々しささえある気配。

驚き、ベッドに横たわったまま動けなくなった私に、クラウドと名乗るその人は小さな声で言った。

 

『…たまに様子を見に来る。時が来たとき、守れるように』

 

守る? 何から私を守ってくれるの?

そう尋ねた私にクラウドは目を細めて答える。それはこの状況下、私を安心させるのに十分過ぎる答えだった。

 

『……俺よりも先に、ティファの命を奪おうとするものから』

 

 

 

 

物心ついた頃から、私は原因不明の病に侵されてきた。

 

どこかが激しく痛むわけではない。だけどお日さまに当たるとすぐに体力がなくなって、体のどこかがだめになる。

両親はいない。気づいたときには一人ぼっちだった人生。親切な大人に助けられながら、世界中のお医者さまを訪ね歩いたけれど、病気を治す方法はどこにも見当たらなかった。すべての人がお手上げ状態になったとき……原因が見つかるまでの辛抱だと、最後に出会ったお医者さまは私をこの淋しい建物に置いていった。

 

 

 

『…まだ、ピンチじゃなさそうだな』

 

ある日、体調がとてもよかった夜。いつものように窓辺に座り、穏やかな表情で呟いたクラウド。首を傾げる私に、彼は何も言わず微笑んだ。

その見慣れない笑顔をみたとき、私は静かに悟った。この人は私の命を見張りにきているのだと。この人にはきっと、私の命がどう尽きていくのかすべて見えているのだろうと。

この人はもしかすると……私を食べるのに一番良い瞬間を、見計らっているのかもしれないと。

 

 

 

 

「……クラウド」

 

ぽつりと名前を呟いてから見上げる美しい人。クラウドによってすっかりはだけてしまった胸が、とくとくと鼓動を鳴らす。感じたことのない高揚感と、クラウドに生肌を見られているという羞恥が、珍しく私の頬を色付ける。

 

「……怖いか? ティファ」

「ううん。……どきどきするだけ」

「……。大丈夫、すぐ済む」

 

クラウドは微笑む。私の胸の膨らみにそっと手を添える。それから美しい目を伏せ、胸元に顔を埋めた。

どきどきと高鳴る鼓動は恐怖からくるものではない。このままクラウドは心臓を取り出して私を食べてしまうかもしれないというのに、私の心を包む緊張は、どちらかというと心地のいいものだった。

 

「……っ…」

 

胸の少し右側に感じる、針を刺すようなちくっとした痛み。クラウドが歯を立てたのかもしれない。それか私にはわからない魔法か何かを使ったのかもしれない。ちくりとしたその痛みは、じんじんと余韻を残し、やがて消えていく。

 

何が起こったのかわからず、瞬きを繰り返す。クラウドはそんな私に構わず身を起こし、指先で今痛みを感じた場所に触れ、確かめる。その仕草に誘導されて自分の胸に視線を向けると、そこには赤く美しい紋章のようなものが咲いていた。

 

「……綺麗」

 

思わずぽろりと出た本音。私のはだけた衣服を整えてリボンを結び直していたクラウドは、拍子抜けしたみたいな顔をしてから珍しく笑った。

 

「…綺麗か。はじめて言われた」

「だって……。…もう、食べられちゃうのかと思ってたから」

「挨拶もなしに? そんな鬼畜に見えたか」

「ふふ……」

 

思わずこぼれる笑い声。クラウドはまるで私を寝かしつけるように、優しく髪を撫でてくれる。

 

「……クラウド今、何をしたの?」

 

純粋な気持ちで尋ねる。クラウドの瞳は色を変えないまま、私をじっと見つめ返した。

 

「…よく言えばマーキング。悪い言い方をすれば呪い」

「…呪い?」

「うん。この痣がある間、他の誰にも、ティファの命を奪えない呪い」

「……ほんと? …病気にも?」

「ああ。病気にも」

「……。奪えるのは、クラウドだけってこと?」

「……理解が早くて助かる」

 

ティファは賢い。クラウドはそう言ってまた私の髪を撫でる。私はそんな、これから自分を食べようしている人に安堵の笑みを向ける。いまだ訪れない怖いという感情。むしろ私が今感じているのは……救われたという、安心感。

 

「…ごめんな」

 

クラウドは謝る。今夜謝られるのは何度目だろうと、呑気なことを思いながら私は首を傾げた。

 

「…なにが?」

「……できればもう少し長く、ティファを生かしたいと思っていたんだが……俺より先に、病が寿命に手を伸ばしてしまった」

「…私の寿命に?」

「うん」

「…私、もうすぐ死んでしまうところだったのね」

「……何もしなければ、明日には」

「……。…クラウドが守ってくれたんだ」

「…いい捉え方をすれば、そうかな」

 

いい捉え方。つまり悪い捉え方をすれば、私がもうすぐいなくなるという現状に変わりない。私の命を奪う権限が、病気からクラウドに移行しただけ。死ぬ方法が少し、変わっただけ。

 

そう、やっぱりクラウドは見張っていたんだ。私の病気が命を奪おうと動き出すまで、じっと待っていたんだ。

 

「…クラウド、ありがとう」

 

口から言葉になって出た気持ちは本当のもの。クラウドは一瞬、何を言われたのかわからないとでもいうように、目を今夜のお月さまのようにまんまるにする。だけどすぐ真剣な眼差しに戻して、そっと私の手を握った。冷たい冷たい、手を握った。

 

「……。礼を言われる筋合いはない。俺は自分のためにやったまでだ」

「…でも、助けてくれた」

「…俺が今ティファのために作った寿命は、持ってせいぜい一ヶ月だ。月が再び満月になるとき、この呪いは病よりも残酷にティファの命を食べてしまう」

「……」

「…だから俺はそれよりも先に、ティファを食べなければならない。……残念だが、ティファの運命は変わらない」

 

口を開けながら他人事のように聞く、とんでもない話。クラウドがあまりにも穏やかに話すものだから、私の心も落ち着いてしまっているのかもしれない。心にはまだ、恐怖が生まれない。

 

ふと、ほんの少し開きっぱなしの窓の外を見る。ちょうど目が合ったまんまるのお月さま。クラウドは、月が欠け再び満ちるまでの時間のことを言っているのだと、優しい風の音を聞きながらようやく理解する。

 

(……つぎの満月の夜までに、私は)

 

目の前のうつくしい神様に……心を奪われるのだと。

 

(……)

 

「…ねえ、クラウド。……ひとつだけ教えて」

「…何?」

「……最後、私は……あなたにどうやって食べられるの?」

「……」

「…心臓、取り出したりする? ……痛い?」

「……知りたいか?」

「…うん。知りたい」

 

さわさわと部屋の中に入ってくる、海の香りが混じった優しい夜風。クラウドの目の色が、ゆらりと音も立てずに変わる。それは星空とはまた違う、この世の命を集めたような綺麗な緑。

 

「……」

 

クラウドはそれ以上返事をすることなく、再び身をかがめる。胸元ではなく、今度は私の顔の方に。

頬に再び添えられる大きな手。近づいてくる宝石のような肌や髪、まつ毛。魔法にかかったように勝手に止まる、私の呼吸。

 

キスをされると気づいたのは、唇が触れる一秒前だった。

 

「……、ん」

 

ほんの一瞬のできごとだった。唇が重なって、まるでクラウドとひとつになったような感覚に襲われるまでは。

 

(……、)

 

感じたことのない心地のいい感覚。ゆっくりと、ゆっくりと、クラウドがついばむように私にキスを贈るたび、心が、体が、体の奥が、どくんどくんと疼き出す。

無気力だった体に力が入り、夢中になって彼を求めはじめる。名前も知らない感情が、両手を伸ばしてこの人を捕らえようとするのがわかる。

 

熱い、そう、熱い。身体の中が熱くなる。熱いなにかが流れ込んでくる。

これは、命を食べられるというよりも……まるで命に、火を宿されているような。

 

「………、…」

「……」

「…クラウド……」

 

唇がふと、前触れなく離れたとき。口からこぼれ落ちたのは、自分の声とは思えない掠れた声だった。

クラウドは目を見開いて自分を見つめる私を、穏やかな表情で見下ろしている。まるで私がこうなってしまうことを知っていたかのような様子に、息をのむ。

 

「……これは練習」

「…練習……?」

「本番……一度目を閉じれば最後、そのままティファは目覚めない」

「……、」

「…大丈夫だ。……ティファに痛い思いはさせない」

 

真剣な眼差しでそれだけ呟き、クラウドは軽々と身を起こしてベッドから離れる。それからあっという間に窓辺へと移動する。

私もつられ、同じように身を起こす。まだどくどく脈打つ体に、気づかないふりをして。

 

「…っ、クラウド」

 

いびつな音を立てて大きく開かれる窓。そこに足をかけたクラウドが、静かにこちらへ顔を向ける。

瞳の色は、最初の青。だけどくっきり脳裏に残る、命を宿した緑色。

 

「…クラウドはどうして、ここまで私を?」

 

どうして私を守ってくれるの? どうして私にこだわるの? いつかは食べてしまうのに、どうして少しの間でも、私を生かそうとするの? 次々と生まれる聞いてみたいこと。それを心の中にしまって、目の前の人にただそれだけを尋ねる。

 

クラウドはまっすぐに私を見つめた。その瞳には確かに、なにかの想いが込められていた。

 

「…俺がティファを選んだ。ただそれだけのことだ」

 

言葉が終わった途端、強く吹き込んでくる冷たい風。びゅうびゅうという、そのあまりの音の勢いについ顔を背けてしまう。

クラウドが行ってしまう。そう気づいたときにはもう遅い。慌てて顔をあげたけれど、すでに部屋の中に彼の姿はなくて、ただ寂しく開きっぱなしの窓がゆらゆら揺れているだけだった。

 

「……」

 

いまだ続く高揚感からだろうか。それとも、ようやくこの身に訪れた恐怖からだろうか。ベッドから出たあと小さく震える足を引きずり、時間をかけてようやく窓辺に立つ。

 

見下ろしたって何もないことをわかっているのに確認してしまう窓の外。風の音は怖くて、今にも引っ張り下ろされそうになる。クラウドはここからどうやって出ていったんだろうか。彼はどこからくるんだろうか。空? それともこの真っ暗な海? 私はそれさえ知らない。それさえ知らないのに。

 

 

 

 

「……クラウド」

 

その夜私は初めて、誰かの名前を空に向かって口にした。

胸に灯る呪いに縛られたりしなくても、この心をささげる先はきっともう、行き先を決めていた。

 

 

 

天使は後悔を夢にみる

 

 

 

 


fin,