クラウドと猫がお話しているのを見つけたのは、洗濯物を干し終えたあと。
みゃあみゃあと聞こえたかわいい声。バルコニーから家の周りを見下ろして探していたら、フェンリルを停めてあるお店の裏口近くに、彼とまっしろな猫を見つけた。
「……わあ」
あまりにも珍しい光景を壊したくなくて、あえて声をかけずにそのまま見守る。
クラウドはわざわざ腰を下ろして、猫に手を差し伸べていた。彼が何を話しているのかは聞こえない。だけど猫の機嫌のいい鳴き声からするに、きっと優しい声で優しい言葉をかけているんだろう。
(……)
クラウドが裏口にいるのは、これから配達に出かけようとしていたから。
フェンリルを出そうと思ったとき突然この子が現れたのか、お腹をすかせたこの子が離れなくなってしまったのか、本当のところはわからない。だけど猫とお話しするために出発時間を先延ばしにしていることだけは確か。
その優しい事実が愛しくて、私はバルコニーの手すりにもたれかかり、つい一人で頬を緩ませる。何でも屋をしていたときのクラウドは猫に逃げられてばかりだったから、猫の彼に対する対応の変化に驚きつつ、過去にも思いを馳せる。
猫には、わかってしまうのかもしれない。その人の中に、どういう人が入っているのか。
(…あのときのクラウドは、本当のクラウドじゃなくて)
「……あ」
ぴょんと。猫が一目散に駆け出したのは、あたたかい風がびゅうと吹いて洗濯物を揺らしたときと一緒だった。
そのときに見えた、その子に巻きつけてあった青い首輪。クラウドの背中で死角になっていて見えなかったけれど、どうやらあの子は誰かの家族らしい。やけに真っ白で綺麗だったもんなあと……もっと昔の、自分の記憶の中にいる「あの子」のことも思い出す。
あの子は、マルは多分、クラウドと仲が良かった。ニブルヘイムにいた頃、私とクラウドが並んでいたら彼に駆け寄ってしまうんじゃないかとやきもちを妬いたこともある。遠い記憶。私とクラウドしか覚えている人のない……記憶。
「……ティファ」
「…!」
青い首輪のあの子が走り去っていった方向を、ぼうっと見つめていたとき。私を見つけたらしいクラウドに呼ばれてはっとする。慌てて裏口の方を見下ろせば、クラウドもまっすぐこちらを見上げていた。
「……あ」
「どうした?」
「ふふ、見つかっちゃった」
「…ずっと見てたのか」
「うん。ごめんね、覗き見しちゃって」
「声をかけてくれればいいのに」
「楽しそうにお話ししてたから、邪魔したくなくて」
クラウドは笑う。猫に対して笑顔を見せていた名残だろうか。仕事前にしては柔らかい笑顔。猫に逃げられてばかりだったあの頃のクラウドは見せることのなかった、優しい……。
(……)
「クラウド」
「ん?」
「何のお話ししてたの?」
「…腹が減ってるのかと。あと、あんたの家はどこかと聞いていた」
「ふふふ、どこって?」
「お前には教えないと」
「あはは」
それで逃げられちゃったのかと、苦笑するクラウドに笑いかける。だけどどうやらクラウドには、猫とお話ししていた自覚はあるらしい。返ってきた返答の内容も何となくわかっている様子。
子どもの頃、動物とお話できるのは心が綺麗な人だけだと読んだ本に教わった。マルを見守ってくれていたあの頃から思っていたことだけれど、クラウドは自分が思っているよりもきっと、透明な心を持っている。一緒にお話ししているとき、たまに少年のような純粋さを感じるのは、私の気のせいではないだろう。
クラウドの中にはずっとずっと生きている。他の誰にも汚すことのできない、給水塔で約束したあの頃の、星空のような美しさが。
「…ティファ」
「…なあに?」
「………。…なんでもない。綺麗だなと思って」
「へ? あ、空? そうだね、いい天気だね」
「いや、それもそうなんだが……」
「?」
後半は声が小さすぎて聞き取れなかった。でも、耳を澄ます素振りを見せたら、クラウドはおかしそうに微笑むだけ。もう一度声にするつもりはないらしい。
「クラウドごめん、聞こえないよ」
「いや、いいんだ」
「でも、」
「…ティファ。今晩は少し遅くなるから、戸締りを気をつけてな」
「え? あ、気をつけるね」
「いってきます」
「…うん! いってらっしゃい。クラウドも気をつけて」
「ああ」
ひらり、と挙げられる片手。ようやくフェンリルのもとへと踵を返したクラウドは、見えなくなるぎりぎりまで私を見上げ続けてくれていた。
好きな人に、いってらっしゃいと言える。好きな人のただいまを受け取ることができる。幼い頃神様か誰かにお祈りした夢のような生活のなかに、今自分がいるのかと思うと、急に不安になるけれど……それでも私の両足は、しっかりとここに立っている。
失ったものはたくさんある。変わってしまったこともある。
だけど確かに変わらない光が、いくつも私たちの中に残ってる。
だから、大丈夫。何があっても、私は、私たちは。
「……。…いってらっしゃい、クラウド」
静かにひとりでつぶやいた一言は、春を告げる風にのってどこかに飛んでいく。
洗濯物の柔軟剤の香りに包まれながら、大きく深呼吸をした。私にも、この世界のどこかから、かわいいあの子の鳴き声が聞こえたような気がした。
白い靴をえらんで
(汚したって構わないから)
fin,