同じ部屋で夜を過ごした日の翌日は、いつもより早起きをしようとティファに言われた。

デンゼルたちに、寝坊して同じ部屋から出てくるところを見られたくない、と俯きながら恥ずかしそうにするティファ。

別に構わないけどな、と思いながらも、上目遣いでお願いをされ、何も考えられないまま了承したのを覚えている。

 

「……」

 

だからあの約束以降、ティファと同じベッドで過ごした日の朝は、自然と早くに目が覚めるようになった。

まだぼんやりする頭。窓の外から柔らかく光が差し込んでいるのがわかる。それから朝の匂い。少しだけ目を開け、今が早朝だということと、隣にまだティファがいることだけ確認してから再び目を閉じた。

 

……隣にまだティファがいる?

 

 

「……、」

 

 

すぐに目を開ける。

ティファは俺の視線に気づくわけもなく、隣で体を丸め、俺に寄り添うようにして眠っていた。

 

ティファが俺よりも長く眠っているのは珍しい。大抵は早起きしようとしている俺よりも更に早い時間に起き、身支度をし終えているか、俺の寝顔を見学しているかのどちらかだ(後者はいろいろな意味でやめてほしいと思っているが、本人に伝えても止める気配がない)。

そんなわけで、目が覚めたら隣にティファがいないこともある。……仕事の都合で、逆に俺が夜中にベッドを抜け出していることも多い。

 

ずれていたシーツを引っ張って、ティファの、朝が似合う真っ白な肌を隠す。

それから、いつもの仕返しというわけではないが、無防備な寝顔を改めて覗き込んだ。

 

ティファは綺麗だ。と、いつも思う。

自分の思いを伝えるのが恐ろしく下手な自分でも、これだけはしょっちゅう口にしている自覚がある。あまりにもかける言葉の種類に偏りがありすぎて、この間ついに「顔か体目当てじゃないか」と冗談半分に言われた。それだけは断じてないと全力で否定したつもりだったんだが、本人にちゃんと伝わっている自信がない。

 

俺は、ティファへの気持ちを、好きだとか、そういう単純な言葉で表すことが苦手なんだと思う。

好きかと言われたら答えるまでもないし、家族になりたいと思えた人も、一緒に眠りたいと思える人も、ずっとそばにいたいと思っている人もティファだけだ。

 

いつかシドだったか、バレットだったか、酒を飲んでいた時に「それは愛ってやつなんじゃねえのか」と言われたことがある。きっと、そうなんだろうと思った。それから続けて言われた。「どれだけ想ってても、言わねえと女には伝わらねえぞ」。……それも、その通りなんだろうなと思った。

 

 

「……ティファ」

 

 

自分にしか聞こえないぐらいの声量で名前を呟く。それから指の裏で柔らかい頬を撫でた。

ティファが眠っているということは、時間的にもまだ起きる必要もないだろう。自分自身に二度寝の理由を言い訳してから、ティファを抱きしめ直して目を閉じる。

 

彼女がすぐそばにいるというだけで、安心する。ティファは優しい香りがする。思えば、特に、ライフストリームから戻ってきて以来ずっとそうだった。ティファがいると思うだけで、何にでも立ち向かえるような気になれた。

 

それとは打って変わって、あの頃から変わらず、俺はティファを不安にさせるのは得意でも安心させるのが下手だ。

こうしているときぐらいは、伝わるだろうか。大切だということ、守りたいということ……まだまとまった形になりきれない愛のようなものも、伝わるだろうか。

 

 

もう一度だけ名前を呼ぶ。起こさないように気を使いながら、少しだけ強くその身体を抱きしめる。

まだ慣れていないせいで、真っ直ぐに感じることはできないけれど……心の中が優しいもので溢れていた。

 

俺は、酷く、幸せだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

部屋を照らす日差しの明るさ具合からすると、朝が来てから、多分まだ「寝坊」と言えるほどの時間は経っていない。

 

 

(……どうしよう)

 

 

私は今、身動き一つでもしてやるもんかという意地と共に、クラウドの腕の中で丸まっている。たった今起きた、というと嘘になる。正確にいうと10分は前から起きていた。

 

 

クラウドが珍しく、早朝から仕事があるわけでもないのに先に目を覚ましていた。

 

私がそれに気づいたのは、一度少し身体を起こしたクラウドが再びベッドに身を預けたとき。狸寝入りしている理由は特にない。ただ、意識が目覚めてからすぐ感じた、目を開けずともわかるクラウドの視線に、つい目を開けるタイミングを逃してしまったというだけ。

 

私の寝たふりに気づいていない様子のクラウドの大きな手が、優しく何度も私の髪を撫でる。わ、私が寝ている時こんなことしてたんだ。あまりに手慣れている感じだったから、嬉しいのか恥ずかしいのか、つい息を止めてしまう。

 

 

「ティファ」

 

 

(わ……、)

 

 

一体、どこでそんな声の出し方を覚えてきたんだろうと思う。優しく優しく呼ばれた名前。少しだけ声がかすれていて、おまけに、やけに色っぽい。声の小ささからすると、多分私を起こすために呼んだものではなかった。

 

私の頬に触れるクラウドの指。何かすごい見られてるな。大丈夫かな、私。よだれとかついてないかな。ほとんど息を止めた状態で、目を閉じているせいで見えないクラウドの一挙一動に全神経を集中させる。いっそのこと、私の狸寝入りに気づいてくれないかな……とさえ思い始めた。

 

クラウドは大きく息をつきながら、私の肩を優しく自分に引き寄せる。

まるで自分の中にしまい込むような抱きしめ方。逃げるつもりなんてないけど、まるで逃さないようにと包み込まれる。

 

 

「…………ティファ……」

 

 

それからとどめに、もう一度呼ばれる名前。このあたりで、私の何かが朝からショートした。

 

硬直する私に気づかないまま、クラウドの規則正しい呼吸が始まる。二度寝するつもりだな、ということはすぐにわかった。一方私は寝たふりを止めるタイミングを見失っただけじゃなくて、完全に目が冴えてしまった。二度寝なんてしている場合じゃない。

 

 

(……、)

 

 

私はどうも、クラウドに名前を呼ばれることへの耐性がつかない。クラウドは口数が少ない分、私の名前にいろんな意味を込めて呼んでくれている気がするからだろう。

 

自惚れでしかないけれど、私の名前を呼んでくれる時、クラウドの声はいつにも増して柔らかくなる。たまに名前を呼ばれて返事をすると、満足そうに「何でもない」と小さく微笑むだけのときだってある。何かを、伝えようとしてくれてるのかな、と思う。名前に何かをのせようとしてくれてるのかな、とも。

 

 

(……考えすぎかな)

 

 

朝からなんて、贅沢な考え事をしてるんだろう、私は。

 

まだ目が覚めて数十分しか経っていないのに、心の中が温かいもので溢れかえっている。こんな調子で今日、普通にお店できるかな。他人からしたら惚気にしか聞こえないようなことだけど、真剣に心配になるぐらい……そう、私は今幸せだ。

 

ゆっくりゆっくり、目を開ける。視界いっぱいにクラウドの何もまとっていない上半身。わかってたことだけど恥ずかしくて、誰に見られているわけでもないのにまた目を閉じてしまった。

 

とりあえず力を抜こう。このままだと私の息がもたないし、きっとクラウドも気づいてしまう。

 

何度か深呼吸を繰り返す。酸素を胸の中に取り入れながら、ゆっくり体の力を抜く。緊張を解いていったら、クラウドのあったかい体温を感じることができるようになってきた。枕にもなっている……私を抱きしめる、逞しい腕。見た目通り少し重くて苦しいけれど、それが何故だか嬉しくて、安心できる。

 

 

(……)

 

 

目を開けて、すやすや寝息を立て始めたクラウドの顔を見上げた。

こっちの気も知らずに、クラウドはあどけない表情で眠っている。これだけ長い間一緒にいるけれど、クラウドがこんな子どものような優しい顔をするのは、眠っている時ぐらいだ。

 

ゆっくり頭の位置を変える。せっかくだから、と、私からもクラウドに寄り添う。そっと胸に手を添えてみる。小さい音だけれどちゃんと、心臓はとくとくと動いている。

 

クラウドも、安心してくれてるんだろうか。どんなことを思って、何度も名前を呼んでくれたんだろう。

温もりとクラウドの存在からくる安心感が、さっきまで「目が覚めた」と思っていた私を再び眠りに誘う。

 

今二度寝しちゃったら、確実に寝坊するなあ。子どもたちに起こされたら恥ずかしいな。

そんなことを、うつらうつらと考えながら、私はクラウドの腕の中、そっと意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目が覚めたら、クラウドはそこにいなかった。

 

今朝のあれこれは夢だったのかと、ぼぅっとする頭を抱えながら身体を起こす。きょろきょろとあたりを見渡してみるけれど、部屋の中に隠れてるわけもなく。

 

散らかしっぱなしだったクラウドの衣服もきれいになくなっていることから、恐らく彼はすでに身支度を整えて、部屋を出ている。寂しいな、残念だな……なんて思っている自分をちょっと無視して時計を見た。……あ、これは寝坊だ。

 

 

(……起こしてくれたっていいのに)

 

 

クラウドは別に何も悪くないんだけど、ついつい心の中で八つ当たり。ごめんね、許してね。

簡単に身支度を整えてから部屋を出る。一階から子どもたちの声。下に降りる前にクラウドの部屋を覗いてみたけど、昨夜確かに置いてあった荷物もなくなっていた。

 

 

(あれ?)

 

 

今日、朝早かったっけ。いや、朝早かったら昨日の夜はあんなに……。

そこまで考えて一人ぶんぶんと首を振る。ダメダメ、朝から脳内をお花畑にしちゃダメ。火照りかけた顔を手でパタパタとあおぎながら、子どもたちのところへ降りていく。

 

 

「あ!ティファおはよう」

「おはようティファ!」

「おはよう。ごめんね、ちょっと寝坊しちゃった」

「ううん。マリンが朝ごはん作ってくれたんだ」

「みて、ティファの真似したの!ハムとね、レタスとトマトのね、サンドウィッチだよ」

「わぁ美味しそう!すごいねマリン。この間隣で見てただけなのに、こんなの作っちゃうなんて」

「へへー」

 

 

私がマリンやデンゼルぐらいの年齢の時、こんなにしっかりしてただろうか。……いや、そんなことない。というか、何なら今のクラウドよりもずっと生活力がある。私が何も言わずとも、協力して朝ごはんの支度までしてしまう二人。しっかりしすぎてて、切なくなってしまう。

 

まだ二人には淹れられないコーヒーの準備をする。デンゼルはちょっとお兄ちゃんぶっていらないって言うけど、二人とも甘いカフェオレが大好きだから。

きょろきょろと無意識にあたりを見渡していると、子どもたちは「わかってるよ」というようなしたり顔で私に声を掛ける。

 

 

「ティファ、クラウド探してるんでしょ」

「え?……バレたかぁ」

「へへ、ずっときょろきょろしてるもん」

「そう?ごめんね、なんか恥ずかしいな……」

「クラウド、朝誰かと電話しながらばたばた出て行ったよ」

「そうなの?」

「ティファに手紙書いてた。ほら、そこに置いてったと思う。お寝坊さんによろしくってさ」

「……」

「…ティファ顔真っ赤だよ、大丈夫?」

「デンゼル、女の人にそーいうこと言ったら、でりかしーがないって怒られるよ」

「でりかしー?何で?」

 

 

二人の可愛いやりとりを、あえて聞かないふりをさせてもらいながらデンゼルが指差した戸棚をみる。本当だ、メモ書きが置いてある。これ以上大人の恥ずかしい顔を見せるわけにもいかず、キッチンを背もたれにして、二人に背中をむけた。にやにやしちゃってるのもこれで隠せる。

 

その辺にあったいらない伝票をメモがわりにしたんだろう。クラウドらしい、丁寧ですらっとした文字がそこにあった。

 

 

『急用の依頼が入った 数日戻らない』

 

 

(……相変わらずシンプルな……)

 

 

何の魂も篭ってないように見える言葉たち。だけど、クラウドがメモを残そうと思ってくれただけで、喜んでいる自分がいる。

 

 

「ねえ、ティファ、クラウドなんて?」

「お仕事だって。何日か帰ってこれないみたい」

「ええー、そんなの聞いてない!」

「今回はどこまでいくのかなあ」

「そうだね……また、帰ってきたらたくさん聞かせてもらおうね」

「この前みたいにお土産買ってきてくれるかな?」

「あとで留守電入れてみようぜマリン」

 

 

いつだって楽しそうな二人に心の中でお礼を言いながら、カフェオレを淹れる。

 

こっそり、メモをポケットに入れた。まだ、今朝の夢のようなひとときが、頭の大半をふわふわと漂っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

結局クラウドは、4日経ちセブンスヘブンの定休日になっても帰ってこなかった。

何となく、クラウドの言う「数日」が1日や2日じゃないことはわかってきたけど、いつになっても、どうしたって、長い期間帰ってこないのは不安になってしまう。

 

曇り空が多いエッジの街、今日はからっとした晴天。暑さにやられてしまわないように、帽子を被ったマリンとデンゼルを玄関で見送る。

どうやら今日は、最近できた友達と一緒に街の中の探検に行くらしい。子どもって、この子たちってびっくりするぐらい簡単に友達を作ってしまう。……どこかの誰かとは大違い、って思ったことは本人には秘密。

 

 

「はい、これハンカチ。……デンゼルもちゃんと自分の持って」

「えー、走り回ってたらまた落としちゃう」

「落とさないの。マリンのこと、守ってあげてね」

「……うん!」

「ティファ、さみしくない?遊びに行っても平気?」

「ありがとうマリン、だいじょうぶ。その代わり二人は怪我せず戻ってきて」

「うん。……クラウド、今日帰ってきたらいいね」

「そうだね。二人が帰ってくる頃にはもうおうちかもよ?」

「ティファ、クラウドが帰ってきたら、今日は晩ご飯一緒に食べるから寝かせちゃダメだぞ!」

「あはは、うん、わかった」

 

 

仲良く手を繋いで街の中に繰り出していく、二人の背中を見送る。

いっぱいに深呼吸すれば、懐かしいような新しいような、この街の空気の香りがした。

 

 

(……さてと)

 

 

一人になって、感傷に浸らないように久しぶりに本でも読もう、そうしよう。最近本を読めてないという私の話を聞いてくれたお客さんが、たくさん貸してくれたんだった。

ふう、と一息ついてからお店の扉を閉める。頭から追い出そうにも、長い間住み着きすぎて離れない人のことを、どうしたって考えながら。

 

二度寝の幸せを味わったあの朝は、本当に夢だったんじゃないかとさえ思い始めた。

怪我してないかな。誰かに喧嘩ふっかけられたりしてないかな。また道端で渋々って顔しながら人助けしてるのかな。ご飯食べてるかな。

 

……会いたいなぁ。

 

 

「……こればっかりは、慣れないや」

 

 

これは、ずっと逃れられない……人を好きになってしまった人間の宿命だ。

一人、自分にそう諭しながら、私は自室へ戻るため階段を上がった。

 

 

 

 

 

 

ウータイから急な依頼がきたあの朝から、気づけば4日が経過していた。

今日は暑い。いい天気だ。ティファや子どもたちと休みが合えば、こういう日に出掛けるべきなんだろうなと思いながら、フェンリルから降りる。

 

荷物運びのついでにちょっとしたモンスター退治も行ってきた……ことは、気づかれるまでティファには秘密にしておこう。回復をする、という申し出を断り急いで帰ってきてしまったから、傷が多少残っているのは仕方ない。

 

適当にケアルをかけ大体の傷が塞がっていることを確認してから、CLOSEDのプレートがかかっている扉を開け、家に入る。店の中は……家の中には、想像していた賑やかさはなく、珍しく静まり返っていた。

 

 

(……いないのか)

 

 

早く帰ろう、と思った時から続いていた緊張感がゆっくり解かれていく。

 

心のどこかで、残念に思っている自分に気付く。優しさと、慣れというものは恐ろしい。あんなに長い間根無草のような生活をしていたのに、脳はもう、すっかりここを家だと認識している。

 

 

(……)

 

 

静けさ具合から子どもたちはまず家にいないとして、ティファはどこだろう。一緒に出掛けたのか。

 

あまりにも静まり返っている家の中に、胸騒ぎを覚える。何かを失うことへの恐怖は、俺がどんな安らぎの中にいたとしても、いつでもフラッシュバックと共に引きずりおろす力を持っているから。

 

無意識に、早足になる。何を恐れることがある。まだ日が落ちるまで時間があるから、買い物に行っていてもおかしくはない。荷物を適当に部屋に置いて、子ども部屋を少し覗く。やっぱり誰の姿もない。

 

大丈夫だ。最近はそこまで治安の悪い話も聞いていないし、何なら今日は休みだ。おかしな客が来ることもない。でも、もしこの静けさが昨日の夜からだったら?俺がいない間に何かが起こっていたら?

 

 

(……ティファ)

 

 

相変わらず、悪い妄想が頭の中を取り囲むスピードは早い。幸せに慣れてきた代償なんだろうか。仕事の疲れも傷の痛みも完全に忘れて、まだ覗いていない……ティファの部屋へ足を早める。

 

半分しまっている部屋のドア。慌ててドアノブに手をかける。

 

頼む。どうか。

 

 

「ティファ、」

 

 

ドアを開けたら、すぐに目に入る見慣れたベッド。

そこには……明らかに、本を読んでいる途中に睡魔に襲われて眠りに落ちていた……ティファがいた。

 

 

(…………)

 

 

思わず、ドアノブを掴んだままぽかんと立ち尽くしてしまう。それから、自分でも少し驚くぐらいの……安心から来る大きなため息が出た。

ティファは奇しくも、俺が数日前慌てて家を出た時と同じ場所で眠っていた。

 

 

(…………よかった、)

 

 

普通のスピードに戻っていく心臓の鼓動を感じながら、ゆっくりティファに近く。そしてつい、へなへなとベッド脇に座り込んだ。

 

ティファは、恐らくひどい顔をしている自分とは対照的に、とても穏やかに眠っていた。俺より細い手からこぼれ落ちていた本を、ベッドの隅にやる。それから代わりにその手を握りしめた。

 

数十秒前まで忘れていた疲労感と眠気がどっと全身を襲う。よかった。本当に。何もなくてよかった。ベッドに上がる力もなく、脇に座ったまま顔を突っ伏す。それからまた大きく息をつく。

 

我ながら身勝手な話だ。詳細も告げず家を数日開けといて、これだ。もしかすると、自分はいつもこんな気持ちをティファに感じさせているのかと思うと……顔を上げられない。

 

急に襲ってきた安堵に、思考を持っていかれていたとき。小さく、俺の名前を呼ぶ……誰よりも聞きたかった人の声がした。

 

 

「…………くらうど?」

 

 

見せる顔がない、と思っていた顔を反射的に上げる。

そこには、薄ら目を開けてぼんやりしているティファがあった。

 

 

「……、」

「…………の、ゆめ?」

「…いや。夢じゃない」

「……本物?」

「ああ」

「……よかった……本物かあ……」

 

 

ふにゃ、と微笑むティファ。恐らく寝ぼけているんだと思うが、釣られて顔が緩む。

握り締めていない方のティファの手がゆっくりと上がって、俺の頭にぽんぽんと触れる。

 

感情が入り乱れて、うまく説明できない。だが、どうしようもなく、俺は確かに愛しいと感じていた。

 

 

「おかえり……クラウド」

「ああ……ただいま、ティファ」

「おつかれさま……」

「うん……」

「……顔、疲れてる」

「そうかな……」

「……?顔、怪我してるよ」

「ん……」

「ケアル………………、なーんて、」

 

 

「マテリアなんかつけてなかったや」と、ティファがはにかむ。

 

その笑顔で、何かの我慢ができなくなり、少しだけ残っていた力を使って身を乗り出す。

きょとんとするティファの頬に手を添えて、今の自分に残ったギリギリの理性で勢いを制御し、できるだけ優しく口づけをした。

 

 

「……、ん」

 

 

我慢できない、なんていうことは今までもあった。だけど今日はいつも以上に理性が働かない。もし仮に家に子どもたちがいても、自分を制御できていなかったかもしれない。

何度も何度も味わうように、ティファを食べるようにそれを重ねる。一瞬呼吸を整えて、また重ねる。嬉しいのと、ほっとしたのと、苦しいのと……心の中が、いろんなものでごちゃ混ぜだ。

 

そろそろティファが苦しいかと思い、名残惜しくゆっくりと離れる。放っておいたら自分を本当の意味で止められなさそうだった。

上目でティファの様子を確認する。ティファは頬を赤めながら、熱のこもった眼でこっちを見ていた。

 

 

「…………、平気か」

「うん…………」

「……悪い、たがが外れた」

 

 

恐らく、今ので完全に目を覚ましたらしいティファがゆっくりと上体を起こした。

俺はただその様子を……ティファが生きて、動いて、恥ずかしそうに笑っている姿を見つめる。

 

情けない顔をしている自覚はあったが、嬉しそうに俺の頭を撫でるティファに、何も言えなかった。

今は全部疲労のせいにしよう。そう思って、少し潤んだ赤茶色の瞳を見つめた。

 

 

「……、クラウド、わんちゃんみたい」

「……」

「…………、我慢できなかったの?」

「……、うん」

「……そっか。……なんか、恥ずかしいな」

「……ティファ」

「……うん?」

 

 

恥ずかしがっているのか、耳に髪をかけて目を逸らすティファを、ただ見つめる。

俺の視線に気づいたティファは、何を求められているのか察してまた目を逸らす。

 

ティファ。溢れそうな何かを伝えたくて、もう一度名前を呼んだ。

ティファは散々目を泳がせてから……少しだけ怒ったような表情をしつつ、身をかがめてキスをしてくれた。

 

 

「……、」

 

 

さっきのよりずいぶん短いそれ。でも、俺を満たすには十分すぎるもの。

ゆっくり離れたティファは、さっきよりも顔を赤くしながら……さっきよりも怒った顔をしていた。

 

 

「……、クラウドずるい」

「……?何が」

「…………今の…………、そうやって、名前呼ぶのとか」

「……、」

「…………前から思ってたけど……変なこと聞くけど、クラウド、名前呼ぶの好き?」

 

 

自分で意識していなかったことなのに、図星を突かれたような感覚。

好き?好きかと言われたら、好きだ。大事な人の名前だ。この世にたった一人の、ティファの名前だ。

 

でもきっと、俺がティファの名前を大事に……無意識に大切にしているのは、他の理由があった。

 

 

「……いつも」

「?」

「…ティファに言葉をかける時、なんていう言葉だったら伝わるのかって考える」

「……」

「…ティファが大切で……でも、だから、簡単な言葉じゃ伝えられそうになくて、大体諦める」

「…もう」

「でも」

「……、」

「……うまく言葉が見つからなくても、それでも伝えたい時に……いつも、ティファの名前を呼びたくなるんだ」

「…クラウド」

「だから……」

 

 

そこまで言ってから彼女を見上げると、ティファは顔を赤めたまま口も開けていた。

ティファ?と呼びかけると慌てて我に返る。それからその辺にあった枕で慌てて自分の顔を隠した。

 

 

「…うー……」

「…大丈夫か」

「だいじょばない……」

 

 

何かまずいことを言ってしまったか、と一人ハラハラしていたら、ティファがゆっくりと顔を見せてくれた。

その表情はさっきと違って……いや、さっきよりもずっと幸せそうで……綺麗だった。

 

 

「………………。……伝わってるよ」

「え?」

「…クラウドが名前、呼んでくれる度……クラウドの気持ち、伝わってくる」

「……、」

「……って、自分の自惚れだと思ってたから……は、恥ずかしくて、嬉しくて」

 

 

最後の方は言葉になっていなかったが、ティファはそのまま再び枕で顔を隠した。

 

そうか、伝わってたのか。よかった。一瞬ほっとする。……だがすぐに突然羞恥心が襲って、俺も思わず俯く。伝わってた?どのあたりから?

 

二人の間に急に流れる沈黙。まるで、今、生まれて初めて気持ちが通じたかのような感覚。言葉は難しい。武器と同じで、使おうと思ったらいくらでも使えるはずなのに。それでも、伝えようとしなくちゃいけない。俺はきっとこの先も、表現することを得意とできないけれど。

 

ティファは、ちゃんと受け取ってくれる。今までも、これからも。だから甘えずに、ごまかさずに言葉を選ぶ、伝える努力をしたい。これまでできなかった分も、せめて。

 

 

 

ずっとおかしな体勢だったから、痛んで軋む体を起こし、立ち上がる。

それから、未だ枕で顔を隠すティファを、枕ごと抱きしめた。

 

 

「……ティファ」

 

 

名前を呼ぶ。それから今までで一番、何もつっかえることなく、伝えたかった言葉を伝えた。

ティファは目を丸くした。そこには泣きそうな嬉しそうな、くちゃくちゃの……綺麗な笑顔があった。

 

 

 

ラピスラズリもかなわない

 

 

 

(だからさ、大事に呼ばせてくれよ)

 

 


fin,