朝日が部屋を照らす時間。私よりも少しだけ高い体温とシーツに包まれながら、左手の薬指を見つめていた。
指の角度を変えるたび、光を反射しきらきらと瞬いてみせる、細くシンプルなシルバーの指輪。どこのお店に行ったんだろう。どうやってデザインを決めたんだろう。どうしてこの色にしたんだろう。知りたいことはたくさんあったけれど、昨日は貰った喜びが大きすぎて、何も訊くことができないまま眠りについた。
「………」
右手の人差し指で、左の指に触れる。私の体温とすっかり同化した指輪をなぞる。ほうとため息をつくと、私を背中から抱きしめるようにして眠っている人が、少しだけみじろぎをした。
クラウドが眠っているのを確認するために頭だけそっと後ろを向く。彼はとても穏やかな表情で、静かにすやすや寝息を立てていた。綺麗な人だと……何度思ったかわからないことを、今朝は新しい気持ちで思う。
昨夜、泣いたり笑ったり忙しい私をクラウドはただ嬉しそうに、幸せそうに見つめて微笑んでいた。私のようにわんわんと涙することはなかったけれど、珍しくその綺麗な瞳も潤んでいたような気がする。
クラウドがこれを用意してくれていたことに、私は全く気づいていなかった。隠し事が苦手なクラウドだからこっそり準備するのは一苦労だったはず。どんな気持ちで贈ってくれたんだろう。どれぐらい緊張しただろう。いつから考えてくれていたんだろう。次々に浮かんでくる知りたいこと、訊きたい気持ち。真面目で計画的なクラウドのことだから、思いつきで衝動買いしたわけではないことくらい想像がつく。
たくさん、考えてくれたんだろう。忙しい中、今日のために。
「……」
再度視線を左の薬指に戻す。何度も何度も繰り返し触りすぎて、指輪の部分だけ腫れてしまいそう。
クラウドは最初、この指輪を右手にはめてくれようとした。これまで私たちを繋いできてくれた、家族でお揃いの狼の指輪の代わりに……私たちが次に進むのだという証のために。だけど私は欲張りだから、どちらも残しておきたいとお願いした。本当は振り返らず進むべきなのかもしれない過去という存在。それでもそれは私にとって、抱きしめて生きていきたい、脆く大切なものだったから。
(……)
特に理由もなく指を口元に運び、愛しい贈り物にキスをする。
「家族」という、私たちの大切な関係に差し込んだ新しい色。見えないけれど確かに目の前にある、経験したことも体感したこともない……生まれたての今日。
「………ぴったりでよかった」
「…!」
ひとり夢見心地になっていたとき、背後から少し掠れた低い声が聞こえた。
その人の名前を呟きながら反射的に振り返る。すると頬に落とされる、まだ目が半分しか開いていないクラウドからの柔らかいキスの挨拶。嬉しくて頬を緩ませればクラウドも満足そうに笑みをこぼしてくれた。
「クラウド」
「…おはようティファ」
「おはよ…」
「…眠れたか?」
「うん。……ちょっと目が腫れてる気がするけど」
「……沢山泣いたからな」
「…誰かのせいでね」
ほんのちょっぴり余裕でいたくて冗談まじりにする返事。クラウドは小さな声で笑いながらあちこちにキスをくれる。それが嬉しくて同じように私も声に出して笑う。
そうやってクラウドに見守られながら、私はまた指輪を見つめる。クラウドも自身の左手を、私の左手を包み込むように重ねてくれた。
(……)
私よりも少し太いクラウドの指にはまる、お揃いのシルバーリング。自分の指にそうしたように、クラウドの薬指に優しく指で触れる。指輪の触感を確かめる。私たち二人、同じものをつけている事実を感じる。
「ティファ。………昨日、言うのを忘れてたけど」
「…?」
「…指輪の裏に名前を掘った」
「え、そうなんだ。見な、きゃ…………」
「………ティファ?」
「……。…やっぱり見るのは、今度にする」
「…どうして?」
「…お楽しみは、先に残しておきたいから」
「…そうか」
「うん」
(……なんて、)
クラウドがはめてくれた指輪を、自分で取るのが嫌なだけ。……そんな下らないことを考えてるなんて、クラウドはきっと想像もしていない。またはめてもらえばいい、それだけの話なのかもしれない。でも、それだけのことだとわかっていても、今日という日にクラウドがくれた指輪の効力を、私はもう少しだけ感じていたかった。
「……、」
クラウドが私の左手を彼の口元に運んで、私がしていたのと同じように薬指にキスをする。クラウドの唇が触れたとき、心の外を包む柔らかい愛のようなものが膨れ上がる。魔法は重ねてかけられる。
とはいえ、心の中は大泣きだ。昨日からずっと、泣きすぎて過呼吸を起こしている。
「ふつう」とは違う、私たちの家族の形。私たちの間には何の契約もない。私たちがいっしょに生きなければいけない理由もない。だけど、たとえ血が繋がっていなくても家族は家族。形式上で繋がるよりも、形式上の家族になることよりも、私たちみんながそう信じていることが大切だった。それでいいと思っていた。それがいいと思っていた。
だからクラウドにこれからの関係のことを聞いたとき、自分の心の動きに驚いた。嬉しいって……よかったって、確かに感じた素直な自分の心に。同時にほんの少しの恐怖を感じた。「今」以上を求めていいのか。「今」以外の幸せを重ねていいのか。
『ティファ』
でもそうやって怯える私に、クラウドは言った。
一つじゃなくていいんだと。幸せの形も……私たちを繋ぐ、約束の数も。
『俺たちはこれまでも、そうやって重ねてきただろ』
(……)
「……ねえ、クラウド」
「ん…?」
「…子どもたち、喜んでくれるかな」
「…ああ。……それに」
「?」
「きっともう、気づいてる」
「…え? どうして…」
「……俺が準備を隠すのが下手だったから」
「…ふふ」
「マリンに、秘密にしてあげると言われた。……つまり」
「…デンゼルはもう知ってるね」
「…そういうことだ」
きっとまだ夢の中にいる、私たちの大切な子どもたち。指輪のことを、私たちの関係のことをどう説明しようか考えていたけれど……あまり悩む必要もないみたい。
あの子たちがいなかったら今の私たちはいない。私たちがいなかったらあの子たちは今ここにいない。上も下もない大切な繋がり。守り抜きたい大事な家族。
この、私たちの新しい約束は力になれるだろうか。あの子たちを守るための……私たちみんなで生きるための。
「……ティファ」
「…?」
「…こっち向いて」
穏やかな声に導かれて、クラウドの腕の中、体ごと振り返る。変わらず私を抱いてくれているクラウドと向かい合う。
クラウドの大きな左手が今度は私の頬に添えられる。唇にくれる触れるだけの柔らかいキスに顔を綻ばせると、クラウドも私と同じような表情をする。
朝日と一緒に私たちを包む、大きな声を出せば飛んで消えてしまいそうなほど繊細な時間。心が震えて、泣きたくなるぐらいの幸せ。
クラウドがくれた。クラウドが、守ってくれた。
「…ティファ」
「…?」
「……ティファも、子どもたちも……ティファの幸せも、俺が守る」
「…うん」
「…幸せにする」
「……。もう今、幸せだよ……私」
「…まだ足りない。ティファはもっと幸せになっていい」
「……そんなに、欲張ってもいいのかな」
「…いい。誰かが駄目だと言うのなら……俺も一緒に罰を受けるから」
「……。じゃあ……私は、クラウドを守ってもいい?」
「…。……必要ないと言いたいところだが……ティファにしか頼めないな」
「ふふ。私、強いから」
「うん……知ってるよ」
クラウドの優しく強い言葉がひとつずつ胸の中に溶けていく。目には見えないけれど、確かに私の力になる。
幸せは、怖い。来たと思っても次の瞬間には何かを奪い去ってしまうから。苦しみが残るから。悲しみが生まれるから。
だけどもう……その幸せの余波に一人きりで耐えていた私とは違う。一人きりで耐えて、涙を我慢しなければならなかったあの頃とは違う。
私は一人じゃない。私には家族がいる。どんな苦しみがあったとしても、乗り越え守りたいと思える人がいる。
誰かを幸せにする喜びを、教えてくれた人がいる。
「ティファ」
その温かい親指は、いつの間にか瞼からこぼれ落ちていた私の涙を拭った。その人差し指と中指は、愛情をもって私の髪を耳にかけてくれた。
「…誕生日おめでとう」
小指は絡まる。薬指が、重なる。
「……生まれてきてくれて、本当にありがとう」
いつも私を繋いでいてくれる、優しいその手を握り返しながら、私は心に誓いを立てた。
もう逃げたりなんかしないと。
この人のくれる幸せから。
私がここに、生きている意味から。
プラチナ・ハート
(全てが朽ちても、ここにいる)
fin,