おはようと声をかけて、ティファと目が合わなかったのは初めてかもしれない。

 

「……」

 

朝と昼の間の時間。寝坊して起きてきた俺を迎えたのは、誰もいない店内でひとり、読書をしていたティファだった。

 

読書なんて珍しい、と特に何も意図せずに思いながらいつも通り声をかける。でも返ってきたのは、心のどこかで期待していた明るい笑顔ではなく……完全に意識を本に持っていかれたままの「おはよう」だった。

 

「……ティファ」

「………ん?」

「…おはよう」

「うん、おはよう。…………あ、朝ごはん?冷蔵庫にいれておいてあるよ」

「……うん」

「……」

 

もう一度声をかける。さすがにティファは顔をあげてこちらを見る。でも軽く微笑んで俺に朝食の在り処を伝えたあと、また目線を本に戻す。……どうやら想像以上に、ティファを捕まえている本の誘惑は大きいらしい。

 

気に食わないと思いながらティファのもたれるテーブルに目をやる。そばにあるのは、大きさや形が同じのかなり分厚い数冊の本だった。

 

(……あんな本、家にあったか?)

 

「……ティファ」

「……………ん? ……どうかした?」

「…いや、……本、珍しいと思って」

「え? あ……これ? あのね、マリンに借りたんだ。…って言っても、マリンも誰かに借りたものらしいんだけど、いっぱいあって」

「…何の本?」

「なんかね、すごい昔に書かれた物語らしいんだけど面白くて……クラウド知ってる?」

「……いや」

 

ティファが軽く、こっちに本の背表紙を見せる。物語なんてろくに読んだ記憶がないから、その表紙をよく見る前に俺は首を横に振った。

 

そっか、と彼女は何の気なしに声をもらす。それからすぐにまた目線を手元に下ろした。またしても……ティファの意識の奪還は失敗に終わる。

 

(……)

 

まさか、こんな「敵」が家の中に紛れ込んでいるとは想像もしていなかった。

 

今日は俺もティファも仕事が休みだから、適当な時間に起きればいいと思っていたのが間違いだったかもしれない。……当たり前のように、ティファと一緒に過ごせると思って完全に油断していた。

 

楽しそうに口元を緩ませながらまた本の世界に入り込もうとするティファを、気づかれないのをいいことに不機嫌丸出しで見る。

 

このまま「一人で勝手に朝食を食べて終わり」で満足できるわけもなく、俺は冷蔵庫の朝食を無視してティファに歩み寄った。

 

「……」

「………ふふ………、ん?」

 

本を読みながらそんなに笑うことがあるのかと思いながら、椅子に腰掛けているティファの背後にまわる。ティファは流石に俺の変な行動に気付いたのか、顔だけこっちを振り返ってくれた。

 

それをいいことに身をかがめて背中からティファを抱きしめる。細い肩に顎をのせればティファはおかしそうに笑った。

 

「…なあに?」

「……別に」

「……本、読みにくいんですけど、クラウドさん」

「………知ってる」

「…あ。…さては邪魔してるでしょ」

「……ん」

「もー……朝ごはんは?」

「…今はいい」

 

寝起きであるのをいいことに寝ぼけたふりをしながら、すぐ近くにあるティファの頬に自分のそれをすり寄せる。困ったなあとため息をつくティファの声が本当に困っているときのものではないことに…俺はちゃんと気付いている。

 

「ふふ、……もう。困ったお寝坊さん」

 

観念したのか、意識がようやくこっちに向いたのか…ティファが笑いながら少し体ごとこっちを振り返る。それを見計って柔らかい唇に小さく触れるだけのキスを落とした。逃げてしまわないように、しっかり頬に手を添えて。

 

彼女がそれを笑って受け入れてくれたのを確認してから、今度はもう少し長めのキスを送る。こっちだけ見てもらうために、よそ見なんてさせずに済むように。

 

「……、ん」

 

できるだけ優しく啄みながら、薄めを開けてティファの様子を伺う。彼女はいつもそうするように、しっかり瞳を閉じて浸ってくれていた。

 

(……)

 

ごめん、ティファ。つい「今だ」と思ってしまった俺を、「敵」の存在に関しては予断を許せない俺を許して欲しい。

 

ティファがすっかり体の力を抜いていることを確認してから、いまだページを見失わないように手元で開いてある本を、彼女の手からすっと抜き取る。一瞬ティファが驚いてびくりとしたことには気付いたけれど、それを無視して本をぱたんと閉じた。

 

文句を言われる前に、キスの角度を変えてもう少し深いそれを送る。もう一度本なんかに意識を奪われないように。

 

散々味わったあと、このままだと終わりが見えないと思いやっとキスを中断する。

 

流石に怒ってるだろうなと思いながら、睨まれているのを覚悟で恐る恐る様子を伺うと……ティファは予想外に、目をとろんとさせたままだった。

 

(……、)

 

「……」

「……」

「………? ……あ、…本」

「…。うん」

「う、うん…じゃなくて、閉じちゃった?」

「……閉じた」

「もう、なんで……」

「……集中するのは一つだけでいいだろ」

「え?……あ、……クラウドだけってこと?」

「…うん」

 

ティファが…何故かティファが恥ずかしそうに両手で顔を覆う。……おそらく、恥ずかしいことを言ったりしたりしているのは俺の方なのに、いつもティファが俺の分まで赤くなるから、こっちが照れている余白がない。

 

(……とりあえず)

 

読んでいたページが行方不明になったことに関しては、あまりお咎めはないらしい。それにこっそり安堵しつつ、思ったより強敵ではなかった本をそのまま机の上に戻した。……また目を離さない限り、こいつにティファをとられることは暫くないだろう。

 

まだ顔を隠しているティファの細い手を優しく掴んで、そっと剥がす。ティファは今度こそこっちを弱々しく睨んでいたけれど、その頭の中にもう本の存在がないのであれば…それはあまり、俺に効力を示さないものだった。

 

「……。…満足?」

「……うん」

「……本にまでヤキモチ、妬くなんて」

「…悪いか?」

「悪くは、ないけど」

「なら……もう、本のことは忘れてくれ」

「……。…とりあえず、今日はね」

「うん」

「…今度は怒るからね」

「…わかった」

 

絶対わかってない、とおかしそうに笑うティファ。その文句も一緒に受け入れるように、小さな唇にまた自分のそれを重ねる。

 

物だろうが人だろうが、寛容になれる気がしなかった。

 

他の何かを許しても、ティファにいくら呆れられても……ティファのことだけは、諦められた試しがなかったから。

 

 

 

 

おとぎばなしのページを破る

 

 

(きみを満足させられるのは、

    白馬の王子様じゃないだろう)


fin,