携帯が鳴る度、ディスプレイに表示される店の名前を見つめていた。
震えている間俺を襲う、自分はまだ家族と繋がっているんだという安心感と、まだこれを「置いて」はいけない自分の弱さに対する絶望感。
たったひとつボタンを押すだけでその声はここに届くのに、届くから、俺は押せなかった。届いてしまえば最後、俺はまた守られてしまうから。この世で一番守りたかった人を、自ら盾にしてしまうことになるから。
ティファなしで暮らそうと思った。俺は確かに自分で、彼女から離れることを選んだ。
ティファのいないところでいなくなろうと思った。彼女を悲しませる勇気が、俺にはなかった。
そうやって覚悟を決めたはずなのに、俺の手が本当の意味でティファの手を離すことは一瞬たりともなかった。
「俺」はどんなときもどこかでティファとの繋がりを守っていた。「俺」は俺がどんな行動に出ようとその繋がりを捨てることはなかった。ティファにつながる一本の線が切れたそのとき、本当の崩壊があることを……死よりも怖い孤独があることを、「俺」は知っていたから。
携帯が鳴る度、ディスプレイに表示される店の名前を見つめていた。
毎度ワンコールで出られないのは、我が家の名をいつまでも見つめてしまうから。
たまにわざと出損ねることもあった。そうすれば履歴に赤くその名が残る。永遠なんてあるはずのないこの世界で、半永久的にその声を傍に置くことができる。
「……」
呼び出し音に応えないままでいると、ぷつんと切り替わる画面。だけどそれでも、電話主が俺への留守電を残している間、画面は点り続ける。
『———』
留守電、およそ15秒。メッセージを受け取ったあと、ようやく光を落とす携帯。
繋がりを絶とうとする端末に今度こそ自分で光を灯す。すぐ浮き上がるのは店の名前。今の時刻、留守電の知らせ。
(……)
「……………」
『………、あ、もしもしクラウド?』
「…ああ」
『ごめんね、お仕事中に電話しちゃって』
「いや、問題ない」
『よかった。折り返しありがとう。あ……さっき留守電残したんだけど、聞いた?』
「まだだ」
『そっか。あのねクラウド、今日早く帰ってくるんだよね』
「ああ」
『よかった。ちょっとお願いしたいことがあって……』
ティファの声に耳を傾けながら、電話を肩で挟みメモを取り出す。きっと今晩店で使うものが足りていないんだろう。聞き覚えのある食材と、自信のない食材を書き残す。
『……以上です。だいじょうぶかな』
「…、問題ない」
『ありがとう。じゃあお願いね。クラウド』
「あ、」
『え?』
「ティファ」
『なあに?』
「……………」
『え…どうしたの? …………お腹痛い?』
「ふ……違う」
『あはは、急に黙っちゃうから』
「…何を話そうか考えてた」
『話すこと、決めてなかったの?』
「……うん」
ティファに会うために早く電話を終えなければいけない。早くティファの頼みを叶えてやらなければならない。わかってる。……わかってるけど。
『ふふ』
電話の向こうの笑う声。柔らかいその声が、ティファが嬉しそうにしてくれていることを俺に教えてくれる。
『…困ったねぇ』
「……困った。早く帰りたいんだが…」
『電話切らないとフェンリルにも乗れないでしょ』
「…押して歩く」
『あはは、フェンリルが怒るよ。ご主人ちゃんと乗ってくださいって』
「こいつは俺のことをわかっているから、大丈夫だ」
『もう、調子いいんだから』
「………。…ティファ」
『…ん?』
「……今日は忙しくなりそうなのか」
『えっとね………うん、予約がいくつか入ってるから』
「そうか…。………なら長電話してたらだめだな」
『…じゃあ、切る?』
「………。あと五分」
『もう、クラウド』
「…ごめん」
『ふふ…』
耳元で響く、優しい笑い声に目を閉じる。自分を待っていてくれる大切な人のことだけを想う。
ティファなしで暮らそうと思った。俺は確かに自分で、彼女から離れることを選んだ。ティファのいないところでいなくなろうと思った。彼女を悲しませる勇気が、俺にはなかった。
そんな消しようのない闇の中にいた俺を丸ごと包み込んでくれた人に……闇を許してくれたティファのために、俺にできることが残されているのなら。俺にまだ、約束が許されているのなら。
「……ティファ」
『ん?』
「…いや。……帰ったら、今頼まれてたものと別に、渡したいものがある」
『渡したいもの? なんだろう。楽しみにしてるね』
「…ああ」
『…早く帰ってきて』
「……うん。すぐ戻る」
やがて途切れる電話にもう怯える必要はない。いつかは消えてなくなる未来を恐れる必要もない。大切にしなければならない時間も、大切にしなければならない人も、今ここにある。
ティファの言った通り機嫌を損ねて待っていたフェンリルにエンジンを入れてから、ポケットにある小さな箱に手で触れる。帰りを待ってくれている人を想いながら、存在を確かめる。
ふと見上げた……すでに夕暮れを思わせる空の中に、真っ白な月が浮かんでいた。
月は俺たちを見つめていた。この先は白色だと。すべてはその手次第だと。
ムーン・プラチナ
fin,