いってらっしゃいなんて、本当に言うつもりがあったろうか。
開けたばかりの玄関から入ってくる風が冷たい。さすがは冬、夜2時の空気。これからこの寒空の下出掛けていくクラウドと違い、私は寝巻き姿だから、防寒なんてしていないも同然。
少しでも暖を取ろうと……ううん、暖を取りたいという言い訳のもと、クラウドの体に自分の体をすり寄せる。それを察したクラウドは気づかぬふりをしたまま、抱きしめる腕に力をこめてくれた。
「……」
玄関先で二人きり、キスをし始めてからどれくらい経っただろう。もはや挨拶レベルではなくなってきた口付け。
でも、最初は本当に挨拶のつもりだった。二人であたためたベッドを抜け出して、これから仕事に行かなければならないクラウドの頬に、おまじないのつもりで軽くキスをした。そんな背伸びの口付けが、火を灯すマッチ代わりになるとも気づかずに。
「……、」
まぶたをぎゅっと閉じたまま、まだあたたかい頬に両手を添える。もっと深くに感じたくて、少しこちらに引き寄せる。
こうしていると、時間が無限にあるように感じる。おそらく一秒刻みで終わりは近づいているのだろうけれど、それに気づかないふりをしていられる。
頭ではわかってる。クラウドがこれから外へ出るのは仕事のため。少しでも早く出発させてあげられたら、クラウドは慌てずに済むし事故のリスクも減るだろう。だから今すぐ解放し、背中を押してあげなければいけない。クラウドのためにも。クラウドの、ためにも。
「ん……」
「……。…ティファ」
キスの合間、ささやくような声で呼ばれる名前に背筋がぞくぞくとする。理性と呼ばれるものがまた一つ音を立てて切れていく。
頭の中でいけない考えが芽生え、育ち始める。とつぜん仕事がキャンセルになればいいのにとか、仕事が今日でなくて明日であればいいのにとか。
仕事よりも私を選んでくれればいいのに……とか。
「……、ティファ…」
「……」
「………もう、行かないと」
「…、……うん」
お互いの息継ぎのためようやく唇が離れても、私はまだ目を開けることができなかった。目を開ける、それはつまり現実を見るということ。出発しないととつぶやくクラウドの瞳を見て、諦めなければならないということ。
だから私はそのまま、クラウドの首筋に顔を埋める。喉の奥の奥にまだ封じ込めている「行かないで」という気持ちを、頬擦りすることで表現する。
なんていう、同居人だ。これは立派な営業妨害だ。クラウドが優しいのを知っていて、こういうことをしている。これはクラウドのためじゃない。私のためだ。ときどき突然現れる子どもじみた独占欲を持つ私のためだ。
いけないこと、わかってるのに。困らせているのもわかっているのに。そんなこと、いとも簡単に吹き飛ばしてしまう、膨張したクラウドへの重い熱情。
「……いかないで、クラウド」
その言葉を呟いたのが私でなければいいのにと思った。だけど確かにこの体の奥から飛び出した、あまりに自己中心的なお願い。
クラウドがごくりと息をのんだのが伝わってくる。二人の心臓の音がだんだん重くなっていく。ちくたく、ちくたくと理性は壊れていく。自分たちでこの首を絞めていく。
「…ティファ。……今、その言葉はだめだ」
「……、」
ゆっくりとこの瞼を開けたのは、ばたんと玄関が閉まる音がしたから。ようやくその目を見つめられたのは、私を諭すクラウドが、私を突き放そうとするのではなく更に抱き寄せてくれたから。
「……クラウド」
性急なキスがはじまる直前、こぼした笑みはどうか見なかったふりをしてほしい。まだ素直になりたくないの。きっと素直になってはいけないの。癖になってしまうから。こんな悪いこと、これっきりにしないといけないから。
心の奥で出番を待つ「ごめんね」の言葉をよそに、私たちは必死になってお互いを求める。数十分前、せっかく着替えた外行きの服を、クラウドは一つずつ剥いでいく。
それを止めず見守る私はどうしようもない子どもだ。それに見惚れる私は……どうしようもない、大人だ。
しんと静まり返った家の中。私たちは声もあげずに一生懸命両手を伸ばしあった。
ふくらんでいく罪悪感は、私の中に感じたことのない喜びを残していった。
門限破りのシンデレラ
(もう、純粋は置いてきた)
fin,