こんなにたっぷり、意識を手放していたのはいったい、いつぶりだろう。水の中に沈んでいた体がふと浮き上がるように、意識は現実に戻ってきた。
「……」
ゆったりと目を開けて、光を中に取り入れる。
目が覚めて最初に目に入るのが天井、ということ、目に入るものをただ意識するということすら、久しぶりかもしれない。体がすごく軽い。息がとてもしやすい。たったの1分も夢を見ていないから、体も心もぐっすりと休むことができていたんだと思う。
「………、」
天井をただ一点見つめて大きく深呼吸をした。朝の空気の味がする。誰かが窓を開けてくれたのかもしれない。そっと窓辺に目をやると、真っ白なレースのカーテンが音もなく揺れていた。
今、何時だろう。今日は私、何をする予定だったんだろう。
昨日までは、目が覚めることすら怖かった。今日1日の予定をベッドの中で考えるだけで重い重いため息が出た。ベッドから出たくない、このまま眠ってしまいたいと繰り返し思った。
目を覚ました先に待っているのが、悲しいことだとわかっていたから。それでも、今日も一日、心を明るく保たなければならないこと、そしてそれがいかに苦しいかを、私は知っていたから。
だけど、今日は。
(……そっか…もう、いいんだ)
何度か瞬きを繰り返してから、ゆっくりと上体を起こす。やっぱり、体が軽い。眠っているあいだ緊張をしていなかったんだろう。
ゆっくり静かな室内を見渡した。ここは……宿屋? 誰もいない。そういえば、いつここで眠りに着いたのかもよく思い出せない。
今私にわかるのは、ただただ、沢山眠らせてもらえたこと。
そして……夢じゃないということ。一緒に帰って来ることができた。あの人と、今度こそ、ここに。
「……」
(………起きなきゃ)
そっとベッドを抜け出して、誰かがきちんとベッド脇に並べておいてくれていた履物に足を通す。体温を待っていたそれは、冷たくて少し心地いい。
私は時間をかけて立ち上がった。両足を地面につけて、自分の力で立ち上がった。
心の中は信じられないぐらい穏やかだった。体の中を流れるものは、もうどろどろなんてしていなかった。まるで何かと一緒に…どこかへ、流されてしまったかのように。
「……よし」
のんびりと身なりを整えて、私は鏡の前に立つ。人の、みんなの気配がないからきっと急いだほうがいいことはわかっていたけれど、心の穏やかさに釣られて、準備も遅くなってしまった。
「…うん、顔色もいい」
鏡の中の自分と目を合わせて小さく独り言を漏らす。それから自分に大きく頷いて見せる。
足取り軽く、部屋の出口、ドアの方に向かう。ドアノブに手をかけて大きく手前に引く。そのときに生み出された風さえ心地よく感じた。
一歩、宿屋の廊下に踏み出す。私の耳に、なによりも聴きたかった声が入ってきたのは、そのすぐあとだった。
「あ……」
ぽつりと漏れたその声の主が誰かなんてことを考える隙間もないぐらい早く、私は声のした方に顔を向ける。
そこには、腕を組み廊下の壁にもたれかかり……私をその眼に映す「会いたくて」仕方のなかった人が、いた。
「……あ、」
もっともっともっと、いろんな言いたい言葉があるのに、私の口からはそんな間抜けな音しか出ない。
軽く固まってしまった私に、彼は、クラウドは少し照れくさそうに微笑んでくれた。……ほほえんで、くれた。
「……ティファ」
(…クラウドだ)
いろいろな温かい感情が身体中を駆け巡る。ようやく心が目を覚ましたような、血の巡りを感じる不思議な感覚。
うれしい、うれしい、嬉しい。その感情が強すぎて、他の気持ちが入ってこないぐらいに。
「……、クラウド」
ようやく声を絞り出す。クラウドはそんな私を見て、ほっとしたようにまた頬を緩めてくれた。
「……えっと……おはよう、ティファ」
「お……おはよう」
「…よく眠れたか?」
「あ……うん。…もしかして待っててくれた?」
「うん」
「ごめん、私のんびり……」
「いや、いいんだ。寝かせておこうって、みんなで決めたから」
どうやらクラウドは、みんなを先に行かせてここに残ってくれていたらしい。そんなことも知らずにゆっくり過ごしていたことを少し申し訳なく思う。そして、私を起こすことなくただ待っていてくれたクラウドの優しさに感謝する。
だから気にするな。穏やかに言葉を紡ぐ彼は、確かにこれまでと何かが違うように感じた。幾分か前よりも優しく感じるのもきっと気のせいじゃない。ずっと一緒にいたはずなのに、なんだかとても、懐かしいような。
(……そうか)
本物なんだ。目の前のクラウドは本当なんだ。このクラウドはもう、「私の知っていた」クラウドじゃないんだ。
ニブルヘイムのクラウド。私と約束をしたクラウド。約束を、守ってくれたクラウド。そのクラウドが生きて、目を開けて、立っている。私を見つめている。
(…目の前に、いる)
「…ティファ」
ぼうっとしていた私に、クラウドがおずおずと尋ねた。
「それより、平気か? 体は……」
「うん、おかげさまですごく楽。元気だよ」
「本当か? なんともないか?」
「うん、本当。大丈夫」
「…よかった。ずっと心配だったんだ」
「クラウドこそ、大丈夫?」
「え? ああ……俺は、体が鈍っているだけで、なんともない」
困ったようにそう呟いて笑って見せた彼に、微笑み返す。
そうだよね。ずっとずっと、自分の力で動けなかったんだもんね。筋肉だって落ちてるはずだから、むしろ今みたいに普通に立って過ごしているだけで相当な負荷になっているはず。本来であればクラウドこそもう少し安静にしていて方がいいんだろう。
だけどそれでも、クラウドが元気そうで本当に良かった。心の底からそう思って大きく息をつく。
そんな私に彼は、申し訳なさそうに言葉を続けた。
「ティファ、その……」
「?」
「……本当にごめん。……みんなに聞いた。信じられないぐらい迷惑をかけた」
「いいの、謝らないで。私がしたいと思ってしたことだから……」
「……」
「それに……。……私の方こそごめん。私がもっと早くに、」
「いや、ティファこそ謝らないでくれ。ティファが謝らなければならないことなんて一つもないんだ」
「…クラウド」
お互いに必死で謝ることを阻止する。二人で「謝るな」合戦をする。優しい気持ちが入り混じる。
少し…この状況が嬉しくておかしくて、思わず微笑んでみたら、クラウドも困ったようにそれをかえしてくれた。
沈黙が私たちの周りに流れる。一体何から話せばいいのか分からなくて、くすぐったくて、恥ずかしくて……やっぱり、嬉しい。
「……クラウド」
「…?」
何度も何度も呼んできた、呼びかけてきた名前を呼ぶ。クラウドが表情だけで私に返事をする。そうやって名前を呼べば応えてくれることが奇跡だということを、私はもう痛いほどに知っていた。
「……おかえりなさい」
「……。うん……ただいま、ティファ」
「…………なんか…恥ずかしいね」
「…ああ。……ティファ」
「…?」
私たち以外誰もいない廊下に、朝の光がとても似合う彼の優しい声が溶け込む。
「……ありがとう」
「……、」
「どこからお礼を言えばいいのかわからないけど…何もかも、ティファのおかげだ」
「…ううん、そんなことない。クラウドが頑張ったんだよ」
「…うん。でも、頑張れたのも……今、ここに立ってるのも……これから前を向こうって思えるのも、生きてるのも、生きようって思えるのも全部……」
「…クラウド」
「あ………ごめん。色々、話したいことがありすぎて……」
「あ、ううん、嬉しい。……ありがとう」
いつも以上に……ううん、もう、いつもという言葉は使わないでおこう。これまで以上におしゃべりなクラウドが愛おしくて…たくさん話そうとしてくれることが嬉しくて、私はただ頬を緩める。
また、私たちの間に沈黙は流れていく。優しい温度をもつ沈黙は、私たちの関係がほんの少し色を変えたことを教えてくれる。
「……」
「……、」
ふと、お互いに目を彷徨わせていた二人のそれが合う。なんだかやっぱり照れくさくて、つい逸らしたくなってしまうけれど、私はその瞳を見つめた。
私たちは、ちゃんと微笑み合った。もう……何も、ごまかす必要なんてなかった。
「……そろそろ、行こうか」
「…うん。みんな待ってるもんね」
「うん」
そっとクラウドに歩み寄る。クラウドはそれを確認してから小さくうなずいて、歩き始める。
私は隣を歩く。クラウドの隣を歩く。何も躊躇わずに、この先に怖いものが待っていたとしても、恐れずに歩く。
「…ティファ」
「…ん?」
「今度……少し落ち着いたらまた、ゆっくり話がしたい」
「…うん、私も。…クラウドとお話ししたい」
「うん。……でもその前に、みんなと話さないとな」
「これから話すの?」
「うん、集まってもらってるんだ。……嘘も本当も全部…知っておいて欲しいから。言わないと前に進めないから」
「……そうだね」
きらきらと。朝日の中、輝くことを光に許されたクラウドの横顔を見上げる。
何度も何度も綺麗だと感じてきたはずの美しいその人の光を……力強いものだと、私は初めて感じていた。
「…ティファ」
その光は、彼がここまで、彼自身の力で生きていたことを証明していた。
「……一緒に聞いていてくれるか?」
クラウドは、ここにいた。
「うん…クラウド」
彼がこの世界にいなかった瞬間なんて、一秒もなかったんだ。
「一緒にいる」
めざめ
(きみは今、心臓を鳴らす)
fin,