クラウドが、受け取りたいと思う贈り物を決めてくれたのは、誕生日の三日前だった。
一ヶ月くらい前から続いていた、私の質問攻め。欲しいものはないか。ことあるごとに尋ねる私に、クラウドはいつも困ったように頭をかいて「考えておく」と答えた。彼は、欲しいものがあっても人にねだるタイプではない。それをわかっていたから、クラウドの反応は想定内だったけれど、どうやら今回は本当に思いつかない様子だった。
「……昼間だけでいいから、セブンスヘブンを貸し切りたい」
どこか恥ずかしそうにぽつり、クラウドがそう告げたのは、お祝いの日がいよいよ目前に迫ったとき。夜の営業を終え、お皿洗いをしていた私は思わずぽかんと口を開ける。クラウドに言われるまでもなく、誕生日の日はお店をお休みにしてある。だけどクラウドが望んでいるのは、単なるお休みではないようだった。
「…貸し切り?」
「…うん」
「いいけど、誰か呼びたい人がいるの?」
「いや……いない」
「?」
「…客は俺だけだ」
「……」
瞬きを繰り返し、こちらをじっと上目で見る彼を見つめる。
クラウドは、お皿洗いを中断し無防備になっていた私の冷たい手をとって、ようやく欲しいものを告げてくれた。
「…ティファの時間を、貸し切りたいんだ」
「おまたせしました」
ふだん、がやがやと賑やかな店内に唯一響く自分の声。それを聞くのは、おとなしくカウンター席に座って待つクラウドだけ。
クラウドの誕生日当日。彼のお願いに従って、セブンスヘブンはお昼の営業からお休みをとっている。「客は自分だけ」がいいと言うささやかな我儘を叶えるため、子どもたちは今朝帰ってきたバレットが外に連れて行ってしまった。今夜は仲間たちがクラウドをお祝いするため集うから、ふたりきりになれる時間は実質、今だけ。
外は快晴。暑いけど、湿度も低くてからっとしている。外から入ってくる風だけで十分涼しいから、窓をほんの少し開けただけでお店の中は快適。私が料理する姿を静かに眺めながら、時折窓のほうを振り返るクラウドがとても心地良さそうで、私は今日という日におひさまを運んできてくれた世界に感謝せざるを得なかった。
「セブンスヘブン、特製シチューです」
そんな中。ぐつぐつとひとり汗をかきながら煮込んだのは、お店で出すよりずっと少量のシチュー。
シチューは言わずもがなクラウドの大好物。それを知ったのは、こうして一緒に暮らし始めてからのこと。基本的に何でも美味しそうに食べるクラウドだけれど、シチューのときは目の輝き方が違う。子どもたちがハンバーグを見て大興奮するのと同じような感じで、クラウドはこの料理の登場をいつも静かに喜んだ。あまりにも嬉しそうだったからつい本人に確かめると、彼は穏やかな表情で、どこか懐かしそうに目を伏せながら、ゆっくりこくんと頷いた。
「…ありがとう、ティファ」
行儀よく座って待っていてくれたクラウドの前に、シチューと、買ってきたばかりのパンをのせたプレートを出す。それから私もクラウドの右隣に腰掛けて、同じプレートを自分の前に置く。
「…いただきます」
クラウドが、変わらず嬉しそうな表情のままシチューを見つめ、呟く。私も、そんな彼を見つめながら返事をする。
「……」
上機嫌の私に見守られながら、クラウドはあつあつのシチューをスプーンで掬い、ゆっくり口元に運ぶ。ふうふうと、熱いそれを冷ますため何度か息を吹きかけてから、彼はようやくシチューを口にする。ほんの少し見開かれる綺麗な瞳。美味しさを吸い込むように、そっと上下する肩。もう飲み込んでしまったのか、彼は矢継ぎ早にパンに手を伸ばす。そして一口サイズにそれを千切る。ぱく、ぱくと料理はクラウドの口の中に消えていく。美味しそうに、食べられていく。
これって。なんだか、私の方が……。
(…嬉しいなあ)
「……。ティファ」
「ん?」
「…すごく美味い。ありがとう」
「よかった。おかわりもあるからね」
「…うん」
一言、律儀に感想をくれてから、クラウドはまた黙々と食べ始める。クラウドの好みに合わせ、お店で出すものより甘くしているのは、今は自分だけの秘密。
「…久しぶりだよね、シチュー」
「ああ。……ずっと食べたいと思っていた」
「ふふ、クラウドがリクエストしてくれるの、珍しいから嬉しかったよ」
「…急にすまなかった。手間じゃなかったか」
「だいじょうぶ。……実は、クラウドに言われなくても作るつもりだったんだ」
「どうして?」
「どうしてって、クラウド好きでしょう? シチュー」
「…覚えてたのか」
「当たり前じゃない。何年、クラウドのご飯作ってると思ってるの」
「……そうだったな」
クラウドは心底嬉しそうに、はにかむ。その眩しさは、つい私まで恥ずかしくなるほど。
照れ隠しも兼ねて、私も自作のシチューを口にする。優しいミルクの風味が口の中に広がって、否が応でも心は安らぐ。素直にその美味しさに頬を緩ませながら、ちらりとクラウドの方を見ると、彼は何とも言えない満ち足りた表情で私をじっと見つめていた。
「……ふふ」
「ん?」
「……。食べられてるところ見られるの、恥ずかしい」
「…すまない。でも、見ていたくて」
「もう。冷めないうちにちゃんと食べてね」
「うん。……ティファ」
「なあに? クラウド」
「…ありがとう」
クラウドはこちらを見たまま、自惚れてしまうほど幸せそうに呟く。
その笑顔は、照れかくしの言葉を続けられなくなるほど……想いに満ちたものだった。
「…この時間が、欲しかったんだ」
「ごちそうさま」
ふたりきりの昼食は、あっという間に終わりを迎える。少ないとはいえお鍋たっぷりに用意していたシチューも、あっという間にクラウドが平らげてしまった。飽きないのかと問いかけても、彼は嬉しそうに首を振るだけ。多めに買ってきていたパンも残さず食べてくれたから、今日のランチは残り物ひとつ出ずに閉められる。
「本当にこれだけでいいの?」
私がそう尋ねたのは、お皿洗いを終えたあとも、カウンター席に座って待ってくれているクラウドに対してだった。
これだけでいい、とは誕生日プレゼントのこと。唯一欲しがってくれたことを与えられはしたけれど、正直なんだかこちらの方が物足りないくらい。
クラウドは私が何を言わんとしているのかわかっているようで、素直にこくんと一度頷く。私を見つめる澄んだ目は、彼が本音を伝えてくれていることを教えてくれる。
「…ああ」
湿り気を帯びた手を乾かしてから、私は再びクラウドの元に向かう。でも今度腰掛けるのは、両手を広げて私を待ってくれているクラウドの脚の上。お行儀は悪いけれど……ふたりきりのときにしかできない、私だけの特等席。
「…これだけでいい」
クラウドは、自分の脚に腰をおろした私をしっかりと抱きしめる。
穏やかな時間。静かで心地いいお昼下がり。ここにいるのはただ、私とクラウドふたりだけ。
(クラウドが……欲しかった時間)
「…いろいろ」
「……?」
「いろいろ、考えたんだ。……欲しいものを、ティファが聞いてくれたとき」
私の髪をゆっくりと撫でながら、クラウドがぽつり、ぽつりと口を開き始める。ぴったりと体を寄り添わせているから、すぐ近くで聞こえる声が嬉しくて、私はうっとりと目を細めながら耳を傾けた。
「…でも、全く思い浮かばなかった」
「ふふ……」
「それで、一周回って……どうして何も欲しくないのかを、考えた」
「……」
「…答えは簡単だった。欲しいものは全部……もう持っていたから」
「……、」
思わず、そっと顔をあげる。クラウドは私と目が合うと、それを細め、優しく頬を撫でてくれた。
「…ティファがいて、マリンがいて、デンゼルがいる。そして俺は、ティファのいる場所に帰ってくることができる」
「……」
「ずっと……これを望んでたんだ。ティファと一緒に生きることを願ってきたんだ。だから……これ以上の何かを求めるなんて、俺にはできない」
「…クラウド」
クラウドは真っ直ぐ本音を語ってくれる。彼が本心を伝えてくれていることは、美しい瞳の輝きが裏付けてくれる。
もしかするとクラウドは「今」が欲しいのかもしれない。「今」が続いて欲しいのかもしれない。
彼は、ここに至るまで多くの大切な人を失い続けてきた。それは私自身にも言えること。でもクラウドが何度も味わった「守れなかった」という経験は、私の感じる後悔や痛みとは少し、次元の違うものだった。その経験はおそらく、彼を臆病にさせた。彼に……「お前は無力だ」と思い込ませる呪いをかけた。
それでも、決して無力なんかじゃなかったクラウドには、今こうして家族がそばにいる。
ここに辿り着くまで、決して簡単な道のりではなかった。手を伸ばして、掴んで、何度も離しそうになった。一緒に生きるということに、どれだけの覚悟が必要なのかを知らなかった私たちは、「わかりあえた」と思ってから幾度も互いが見えなくなった。そんな多くの山を越えて、ようやく繋ぎ直せた今だから、クラウドがこれ以上を望まない理由も、私には痛いくらいわかる気がした。
ねえ、クラウド。あなたの言うとおり、今以上を望むのは欲張りなのかもしれない。
だけどね。クラウドよりも欲張りな私は……大好きなあなたにもっと、望んで欲しいと思ってしまう。
もっと先の未来をいっしょに想像してみたいって、それでも尚、願ってしまうんだよ。
「…クラウド」
大切な名前を呼ぶ。それから少し勇気を出して、細い唇に自分のを重ねる。あなたを好きだという想いを、キスにのせる。
そっと太い首に腕を絡めると、クラウドもしっかり腰を抱き直してくれる。落ちないように、離れないように。
何度か甘くついばんだあと、ゆっくり唇を離すと、クラウドは何も言わずに微笑んで私を見てくれていた。
「……ねえ、クラウド。約束して」
「…約束?」
「うん。……また、こうやって二人でお昼ご飯を食べるの。できれば、一年以内に」
「…一年以内? いつでもいいのか」
「いつでもいい。どっちかが……もしくはお互いが、ゆっくり話がしたいなあとか、一緒に過ごしたいなあって思ったときに、お店を貸し切るの」
「……いいな」
「それでね、そのときに……また約束するの。次も一年以内に、お昼ご飯を食べようねって」
クラウドがしてくれたのと同じように、私もクラウドの頬に手を添える。心を奪われたあの頃から変わらない、強くて優しい人に願いを届ける。
「…クラウド。私、嬉しかった。今を大事にしたいって思ってくれたのが、嬉しかった」
「……ティファ」
「でもね……私は我儘だから、次はもっと、未来のことも一緒に考えてみたいって思ったの」
「……」
「私たちまた、お互いのことがわからなくなる日が来るかもしれない。また、道に迷うかもしれない。それはきっと仕方ないんだと思う。私たちが人間で……私たちが生きている限り」
「……うん」
「だけど……ううん、だからこそ、怖がらずに先に進めるように、クラウドと一緒に歩きたいの。もっと、たくさんを望めるようになりたいの。……私、クラウドと一緒なら平気だってこと、十分学んだから……きっともう、大丈夫」
「…ティファ」
「……だめ、かな。クラウドの誕生日なのに……私が欲張りすぎちゃった?」
黙って私の話に耳を傾けてくれていたクラウドが、ゆっくり首を横に振る。それからまるで、私の存在を確かめるように強く、きつく、体を抱きしめる。それはさっきまでの抱擁と違い、ほんの少し苦しみを覚えるもの。クラウドが……遠慮というものを、していない証。
「…ううん、ティファ。欲張りなんかじゃない」
「…クラウド」
「……ティファ。俺は、まだ少し怖い。この先いつか、ティファを……家族を失う日が来るんじゃないかと思うと、ここから一歩も動きたくなくなるときがある」
「…うん。わかるよ」
「でも……きっと、それじゃいつまで経っても動けない。またいつか、過去にしがみついてしまう」
「……」
「あんな思いはもう……したくない」
「……」
私の耳元で気持ちを打ち明けてくれるクラウド。その声を聞きながら、私はまるであのときのようだと思っていた。
ライフストリームの中に落ちた私を助けるために、クラウドが招き入れてくれた世界。クラウドが見せてくれた、優しすぎるこの人の心の中。そして……そこで打ち明けてくれた想い。
「……ティファ」
クラウドがすこし腕の力を緩めて、私の顔を覗き込む。
その目は決して、怯えたものではなかった。視線を逸らすことなく、まっすぐ前を見つめていた。
「……俺は、メテオが消滅したあの日、思った。ティファが一緒なら、もう大丈夫なんだって」
「…クラウド」
「でも、それだけじゃだめだ。俺一人が思うだけじゃ、だめなんだ」
「……」
「…ティファ。また、失敗するかもしれないけど……それでも一緒に、先を見てもいいか」
「……、」
「…隣に、立たせてくれるか」
きらきらと、クラウドの願いが輝く。その願いは決して穏やかなものではなくて、まだ未完成で、どこかぎこちない。
だけど私はクラウドに向かって大きく頷いた。私も同じだから。誰も先のことなんてわからないのだから。下手でもいいから。失敗してもいいから。何度躓いたって、私たちはいつも、お互いに助け合ってこれたのだから。
大丈夫だよ、クラウド。クラウドはずっと、変わらない。あなたの優しさは、ずっとずっとここにある。
あなたが、たくさんの人たち貰った優しさが……あなた自身が育てた強さがここにある限り、未来なんて怖くない。未来で待ち受ける不安なんて、今のクラウドには敵わない。
クラウド。そのために私は、私たちは一緒になったんだから。
一人じゃ立ち向かえない困難を乗り越えるために、今、一緒にいるのだから。
やがて、お昼の臨時営業の時間は終わる。バレットと一緒に、クラウドに秘密のプレゼントを探しにいった子どもたちは、もうすぐここに帰ってくる。とびきりの笑顔とともに。とびきりの、幸せとともに。
そして、私たちは大切な人を祝う。この世界に生まれてきてくれたことへの感謝をもって。そして……明日を一緒に迎えられる喜びを感じて。
珍しく声に出して笑う愛しい人の隣で、私は誓った。
この手だけはもう二度と、離さないでいようと。例え、過去が押し寄せてきても。今が、形を変えたとしても。
ラスト・オブ・ファンタジー
fin,