「おかえり」
かけてもらった言葉に驚いて、思わずぽかんと瞬きを繰り返してしまった。
目の前の私を出迎えてくれた張本人も、つられて瞬きを繰り返す。突如うまれた不思議な間。私は、両手に抱える買い物袋の重さも忘れ、ついその場にたたずむ。
「……」
「…ティファ? どうした?」
おそるおそる様子を伺ってくれたのはクラウド。今起きてきたばかりなのだろうか。寝癖も直っていないし、格好もパジャマのままだ。コーヒーでも飲もうと思っていたのか、片手にはからっぽのマグカップが握られている。
「ご……ごめん! ぼーっとしちゃって」
慌てて返事をしながら、裏口の扉を閉める。鍵をかけようとしたとき、ようやく荷物の重さを思い出し、よいしょと思わず声が出た。そんな私の辿々しい動きを、クラウドが見逃すはずもなく。
「! 重いだろ、持っていく」
「あ、ありがとうクラウド」
「全部キッチンでいいんだよな?」
「うん」
あっという間に私の両手から抜き取られる荷物。クラウドは器用にからっぽのマグカップも持ちながら、荷物を抱き抱えてキッチンに歩いていく。その頼もしい後ろ姿と、かわいいパジャマ姿にギャップがあって、愛おしさに思わず笑みがこぼれた。手伝ってもらっているのに薄情者と、心の中で自分を叱りつけながら。
「……ただいま」
小声で呟き歩く、お店兼自宅。おかえりをくれた本人に聞こえないようにしたのは、単に恥ずかしかったから。
だって、今更すぎるじゃない。おかえりって言われて嬉しくなっちゃうなんて……そんなこと。
「…さっき」
「ん?」
「さっき、何に驚いてたんだ?」
「あ……」
(……ばれてたか)
隠そうと思ったのも束の間、キッチンから聞こえてくる追及の声。クラウドの探知能力はすごい。私が隠し事下手なのもあるけれど、少しのごまかしにもすぐ気づく。
「……ばれてた?」
冗談っぽく、キッチンを覗き込むようにしながら尋ね返す。買い物袋の中身を不思議そうに見ていたクラウドは、私に気づき、微笑んでくれた。
「…わかりやすく固まってたからな」
「ふふふ」
「俺の顔に何かついてたか?」
「ふふ、ううん。寝癖ついてるなあ、とは思ったけど」
「…起きて、まだ十五分だ。許せ」
「あはは」
笑顔をくれるその人の近くに行きたくて、すこし駆け足でキッチンの中に入る。隣に並び、一緒に買ったものを袋から取り出しながら、私は観念してクラウドに真相を打ち明けることにした。
「……びっくりしちゃったの。言われるの、慣れてなくて」
「…言われるの? ………おかえり?」
「そう」
「……確かに。俺も言い慣れてないような気がする」
「ふふ。言うのは、慣れてきたんだけどね」
「…そうだな」
なんだか懐かしいものを想うような目をしたクラウドが、ふわりと口元を緩める。いつの間にか「慣れた」という表現ができるまでになった日常が、あたたかく世界を包む。
家族を見送るのも、家族を出迎えるのも、基本的には私の役割だった。それは、女は家にいるべきだという古い考えによるもの……というよりは、偶然家が職場になった珍しい環境のため。だけど、その役割は自分に合っているような気がした。誰かの無事を願って見送ることも、疲れて帰ってきたその人にあたたかい食べ物を用意することも、確かに自分の喜びへと繋がっていたから。家族のいなかった自分に「ここ」に帰ってきてくれる家族ができたということは、これ以上ない幸せそのものでもあったから。
だからつい、びっくりしたんだ。滅多にかけてもらうことのない言葉を……クラウドに言ってもらえたことに。
(……)
「…なんか、嬉しいね」
「ん?」
「おかえりって言ってもらえるの、思ってたよりも嬉しい」
買ってきたばかりのりんごを手元で遊ばせながら、ぽつりと本音を伝える。普段、喜んでほしいと思ってみんなに伝えているわけではないから、予想外の感情が嬉しかった。大切な言葉だとは思っていたけれど、これは自分が想像していたよりも大事なものなのかもしれない。意味が大きいのかもしれない。
「……嬉しいよ、すごく」
同じく、隣でかぼちゃを不思議そうに触っていたクラウドが、穏やかな声で返事をくれた。
「…ティファに言ってもらう度、ここに帰ってきていいんだって……ここが帰る場所なんだって、実感できる」
「クラウド……」
「…初めてのときは、まだ家族でもなかったけどな」
「ええ? いつだっけ?」
「…セブンスヘブンで。七番街スラムのときの」
「……あ! 何でも屋さんしてた頃?」
「うん」
「ふふ、よく覚えてるねぇ」
「……うん」
恥ずかしくなってきたのだろうか。心なしか小さくなるクラウドの声。そんなクラウドとは対照的に私の笑顔は大きくなる。クラウド、そんなことまで覚えてくれてたんだ。あの頃は、自分を守るだけで大変だったはずなのに。記憶なんて、無くなってもおかしくないのに。
(……クラウドにとっても、大事な言葉の一つなんだ)
「……あ、そうだ」
「?」
「コーヒー、いれたんだ。……ティファと飲もうと思って」
「クラウドがいれてくれたの?」
「ん。……この前、マリンに教わってな」
「ふふ。嬉しい。ありがとう、クラウド」
「……ああ」
「あ。クラウド、朝ごはんまだだよね? せっかくだから作っちゃおっか」
「…手伝う」
「ありがと。じゃあ……サンドウィッチにするから、食パン持ってきてくれる?」
「…わかった」
仕事を与えられたクラウドは、どこか嬉しそうに食パン探しの旅に出かける。私はその姿を見守りながら、料理の準備に取り掛かる。
ふと横目に映る、できたてのコーヒーがたっぷり入ったコーヒーサーバー。私がつくるものよりも濃い気がするのは、クラウドの丁寧な性格の表れ。あの人は、優しい。出会った頃からずっと。今に至るまで、ずっと。
幸せのお裾分けをしてくれた神様か誰かは、私に一番を選んでくれた。それは家族。そして、そこには心から大事に想う人がいた。その人の帰る場所になる役割を……その人のもとに帰ってもいい権利を、私は受け取った。
本当はわかってるんだ。言葉に意味があるのではなく、クラウドがくれる言葉が意味を持っているんだということ。クラウドのくれる「おかえり」が……私はずっと、欲しかったのだということ。
「ティファ」
「…ん?」
「パンはあった。他に何かいるか?」
「ありがと! じゃあハムとレタスをお願いしてもいい?」
「……」
「ふふ、大丈夫。いま冷蔵庫にキャベツはないよ」
「…よかった」
間違えずに済むと、ほっとしたように呟く様子が愛おしくて、私はこっそり微笑む。クラウドが手伝ってくれるなら、おいしい朝ごはんになるに違いないと期待を膨らませながら。
さあ。クラウドが冷蔵庫の食材を持ってきてくれる前に、買ったばかりの食材を片付けなきゃ。持っていたりんごを朝ごはん用に避けてから、台所の整理を始める。
私を受け入れてくれたこの家は、今日もあたたかかった。私を待っていてくれたクラウドは、いつだってそうだった。
このゆび、とまれ
fin,