「すごい筋肉ですねえ」

 

生身の腕をぺちぺちと叩きながら、頬を膨らませて呟くティファが、俺を誉めているわけではないことはすぐに悟った。

 

「……」

 

好きにさせておきつつ様子を伺う。ティファは可愛いしかめ面を中断することなく、何故か俺の腕を睨む。

 

帰宅してからずっと、不機嫌だとは思っていた。だが、鈍い俺は何が原因なのかすぐに察知することができなかった。

 

何とかティファのイライラを鎮められないかと、とりあえず行動に移したのが自分の食べた料理の皿の食器洗い。むすっとしたままのティファが俺の腕を叩きにきたのは、そんな片付けがひと段落したときだった。

 

「……ティファ?」

 

恐る恐る話しかけたのは、叩くのに飽きたのか、ティファが俺の腕を片手で適当に揉み始めたころ。ティファは人より筋肉に興味があるようで、嬉しそうに触れてくれることは度々あったが、少なくともこんな感じではない。これじゃまるで、この筋肉に恨みでもあるような扱いだ。

 

(……)

 

何故だ。何をした、俺。何か壊したか? 何か破いたか? それとも昨夜、力強く抱きしめすぎただろうか。これといった心当たりがなく、身動きも取れないままその場に硬直する。

 

「……。……よかったね」

「……?」

 

いよいよ冷や汗が額を流れはじめたとき、ぽつりと不思議なことを口にするティファ。首を傾げていると、上目遣いで睨み上げられる。

 

「…言ってもらってよかったね」

「………何を?」

「だから……。…筋肉」

「……」

「……褒めてもらってたでしょ? お昼」

「………」

 

(………………あ)

 

昼。褒める。筋肉。そして、不機嫌になるティファ。

 

ここまで情報が揃ったところで、ようやく今の状況を察知する。それと同時に、ここまで全く思い出せていなかった自分に深く呆れる。

 

ティファが言っている「昼」とは、多分、今日のセブンスヘブンの昼営業のことだ。

 

俺は今日の昼間、一件の配達を済ませるため、ティファがせっせと働いているのを横目に家を出た。いつもは裏口から外に出るのだが、働いているティファを一目見ておきたいという下心から、店の中を通って出口に向かった。

 

確かそのときだ。会計を終えたらしい女、四、五人が、高い声を出しながらこっちに駆け寄ってきたのは。

 

「あ! クラウドさんだ!」

「今からお仕事ですか?」

「え、やばい、お店で会えたの初めてなんだけど」

「ていうか筋肉やばくない?」

「確かに〜! すごい筋肉!」

「……」

 

女達は、俺が一言も発する間も無くこちらを取り囲み、何も頼んでいないのに会話を始めた。

店で会ったのがはじめてと言ったお前、お前に会うのは初めてだ。無駄に誤解を招きかねない発言を咎めようとしたが、正直そういった相手をするほど暇じゃないし、時間も無い。

 

「……。触らないでくれ」

 

俺の腕に触れようとしたやつの手を振り払いつつ、わざとらしく大股で店を出る。この状況がどうも居心地悪かったからか、ろくにティファの顔も見ないまま。

 

そこで記憶は途切れている。女がどんな顔だったかも覚えていない。それくらい俺にとってどうでもいい出来事だったから。

 

だが、隣で俺の腕の皮膚を摘むティファにとっては……それで終わる話ではなかったようで。

 

「……」

「……ティ、ティファ」

「……」

「…俺は嬉しくない」

「……なにが?」

「ティファ以外に褒められても、嬉しくない」

「………」

 

(……。違う)

 

慌てて弁明してみたが、おそらくこの答えは正解じゃない。ティファはさらに顔を曇らせただけだ。

じゃあ、どうする。まず、ティファは何に腹を立てているんだろう。あのとき、確かになんとなくティファのほうを見れなかったが、決して鼻の下は伸ばしていない。それだけは断言できる。

 

「……お店で会うの、はじめての子だったんだ?」

「え? ……あ。違うティファ、俺はあの女のことを1ミリも知らない」

「ほんと? あちらはお名前もご存知だったけど」

「……家に配達したことがあるのかも、しれない」

「…知らない子って言ったじゃない」

「本当に知らない。知らないが……忘れてるだけかもしれない」

「…あやしいよ、クラウド」

「ティファ、違うんだ。本当に」

 

(……何を焦ってるんだ、俺)

 

一気にペースが崩れて、だんだん自分が何を弁解しようとしているのかわからなくなってくる。ティファの眉間に寄る皺はだんだん深くなる。だめだ。これ以上ティファにこんな顔をさせてはいけない。これ以上、ティファを不安にさせてはいけない。

どうすればいい。どうすれば。

 

「……ふふ」

 

(……?)

 

硬直してしまった沈黙。楽しそうな笑い声でそれを破ったのは、ティファだった。

ティファはさっきまで爪を立てて攻撃していた俺の腕を、うってかわって抱きしめる。

自然と触れる胸の柔らかさに一瞬目眩がしたが、いつの間にかうまれていた大切な人の笑顔を見ると、そんなものはどうでもよくなった。

 

「…ティファ?」

「…困らせてごめんね、クラウド」

「いや、俺はいいんだが……ティファは平気か?」

「へいき。……本当は、クラウドが嫌がってるのもちゃんと見てたから」

「そうか……よかった」

「ごめん。ちょっとヤキモチ妬いちゃったの」

「……やきもち? ティファが?」

「? うん。クラウド、やっぱりかっこいいんだなあって思って……」

 

えへへ、と照れ笑いをするティファの眉間にはもう皺は寄っていない。

笑顔が戻ってきてよかったと思う自分。だが、それよりも大きい喜びは、ティファが嫉妬してくれたという事実。

 

「…ティファ」

「っ、わ」

 

ほっとしたのと嬉しいのとで体の力が抜ける。その勢いで、自由なもう片方の手でティファを俺の腕ごと抱き寄せると、ティファは驚きつつもしっかり寄り添ってくれた。

ティファ、ごめん。ティファが嫉妬する必要なんて1ミリもないんだ。でも。

 

「……」

「……クラウド嬉しそう」

「…嬉しいからな」

「どうして?」

「…ティファが妬いてくれたから」

「ええ? ……しょっちゅうだけどなあ」

「ん?」

「なんでもないよ」

 

何でもないと言いながらティファはいたずらっぽく笑う。このかわいい人が、何をどうしたら嫉妬する必要があるのかと思う。だが、万年誰かに……時には子どもたちにさえ嫉妬している俺には、何となくその理由がわかるような気がした。ティファがもし、同じ気持ちでいてくれるのなら。同じ想いをもってくれているのなら。

 

結局、相手を欲しいと思う欲望は尽きることがないのだろう。俺たちが人間である限り。俺たちが互いを想う限り。おそらく……この命が終わるまで。

 

「……でも、ほんとにすごいよね」

「ん?」

「……昔は腕、もっと細かったのに」

「…そうだったかな」

「頑張ったんだね、クラウド」

「……じゃなきゃ、ティファに合わす顔がないと思ってたから」

「? どうして?」

「それは……。ティファならわかるだろ」

 

察してくれ。そう告げると、ティファは頬をうっすら桃色に染める。未だに鈍感なところがあるのは多分……俺も、人のことを言えない。

 

 

 

 

キッチンの隅。大の大人である俺たちは、その後狭く体を寄せ合いながら、小さな声で話をしていた。

何の話をしているか、俺たちだけが知っていた。俺の感情はいつだって、ティファだけが独占していた。

 

 

 

冠はきみに

 

 

 

 

 


fin,