そんなに遠くに行くなと、地平線の向こうへ歩いていく友人に手を伸ばす。
友人は振り向くことなく、大きく腕だけ上げて、大股で進む。その一歩は、この膨大な海の上ではちっぽけだけれど、確実なもの。一日、一分、一秒と、ここから距離を広げていくもの。
思い出せなくなってしまうと、友人を引き止めるため呟く。
友人は一瞬立ち止まり、再び足を進める。それからガシガシと、あの頃のように自分の頭を乱暴にかいてから、振り向かないまま返事をした。
『俺が格好いい男だったこと、忘れなきゃそれでいいよ』
わざとなのか、相変わらずなのか。欲しい答えをよこさない友人は、調子のいい声だけ残して離れていく。そんなもの、忘れるわけがない。あんたが俺の目標だったのだから。あんたのようになりたいと、俺はあのとき、ずっと。
『なあ、クラウド』
静けさしかない水平線の上。友人は一度だけ振り返る。友人のうしろから、俺には眩しすぎる太陽が昇る。
ザックスは笑う。俺の記憶の中で、一番に輝く笑顔で、俺を見る。
『お前はもう……俺を追い抜かしていいんだ』
「…………」
朝の光に肩を叩かれたような感覚で、目が覚める。思い出したように息をすると、冬独特の新鮮な空気が肺の中に入ってくる。何か夢を見ていたような気がするけれど、思い出せない。ぼんやりとする思考回路。うつろのまま、はっきりしない視界。
だけど俺の目の前に、何よりも大事な人の寝顔を見つけて……心は簡単に、夢のなかから意識を起こした。
「………ティファ」
ぽつりと無意識に名前を呟く。手を伸ばすのは、あどけない子どものような寝顔をみせるその人の頬。触れるとそれは、柔らかく、あたたかい。確かに目の前に、現実として在るのがやけに嬉しくて、ほっと胸を撫で下ろす。
「……んん…」
ティファは寒さを感じたのか、もぞもぞと身じろぎをする。慌ててシーツの中、ティファの腰を抱き寄せ、腕の中にしまい込む。一瞬眉間に皺を寄せていたティファは、ぬくもりを認識したのか、またほんのりと笑顔に戻り、息をついた。
(……)
ティファを抱きしめながら、考える。さっきまで自分は、何の夢を見ていたのだろうと。
いつもなら気にせず、忘れた夢のことなど忘れたままにするが、きっと今朝のそれは大事なものだった。胸の中がやけに明るく、あたたかい。泣き疲れて眠って、目覚めたときのような、何とも言い難い清々しさ。天使の夢でも見たのだろうか。まっしろで、真っ青で……眩しい。
俺は、その風景を知っている。いや、正しくは、それほどまでに広い心を持っていた人を知っている。
(………ザックス)
脳裏に浮かんだ名前を、心の中で呟く。それから思う。あの元気な友達が、こんな清々しさを人の夢に置いていけるだろうかと。あいつはきっと、もう少し暑い。そうだ。冬の空なんかじゃなくて、夏の空に近いような。
(……)
失礼だ、と。どこかで声がしたような気がして、俺は一人口元を緩ませる。誰も脳天気だなんて言ってない。言い返せば、本音が漏れてると更に叱られる。
いつまで経っても、変わらない。あんな別れ方をしてもなお……あの人は俺の心で、太陽として存在し続ける。
「……クラウド」
「!」
腕の中で聞こえた声に、力を緩める。そっと顔を覗き込むと、そこにはまだ寝ぼけているのか、ぼんやりと俺を見上げるティファがあった。
普段のしっかりとした感じとは違う、無防備な姿を愛おしく思いながら、乱れた前髪を整える。ティファはそんな俺に、力なく微笑み返してくれた。
「……おはよう、ティファ」
「うん……おはよ、クラウド」
「…今朝は冷えるな」
「ん……そうだね」
控えめにあくびをするティファ。それをただ見つめていると、ティファは俺を見て、何かに気づいたように瞬きを繰り返した。
「あれ……クラウド」
「ん?」
「…いい夢、見てた?」
心臓が、図星をつかれた音を立て、俺に知らせた。ティファと同じように瞬きを繰り返す俺に、ティファはまた微笑みかける。ふと優しく、撫でられる頬。払い除けてくれる前髪。心の中で聞こえる……明るく笑う声。
「……。ああ」
「……」
「……いい夢だった」
俺の返事を聞いて、ティファが大きく頷く。誰かが……他の誰でもないティファが、この今を一緒に受け止めてくれることが嬉しくて、俺は目を細める。
なあ、ザックス。あんたの声はいつまで、俺の心の中で聞こえ続けるのだろうか。
いつかあんたの顔も、忘れてしまうかもしれない。声も、思い出せなくなるかもしれない。喋り方も癖も、遠くの記憶に吸い込まれてしまうかもしれない。
それでもきっと、あんたは消えたりしないんだろう。たとえ姿形がわからなくなっても、その眩しさとあたたかさと、残してくれた沢山の想いは、忘れることができないから。俺の、俺たちの一部になって、この先も生き続けるのだから。
だから……頼む。
俺がザックスの隣に、胸を張って並べるそのときまで……どうか。
クラウドは競争に向いてないなと、ザックスは呆れたように笑った。
それが俺なのだと、今度はちゃんと、返事ができるような気がした。
ふゆのあさの地平線
fin,