「珍しいじゃん、楽しそうなの」
背後から調子のいい声がしたのと、カウンターに座って一人水を飲む私の隣に彼女が勢いよく腰掛けたのは、ほとんど同じタイミングだった。
なんのこと? ニヤニヤしているジェシーの、ニヤニヤの理由を「気づかないふり」して、私は首だけ傾げて見せる。
「?」
「ティファもあんな顔するようになったかー。さすがのあんたもあれくらいド級のイケメンには負けるんだ」
「なんの話してるの?」
「あははは。とぼけるの下手すぎ」
それなりのポーカーフェイスをしたつもりだったけど駄目だったみたい。なんだか、からかわれるのが悔しくて無意識に自分の顔がむっとするのがわかる。こういう顔するたびに、ジェシーが喜ぶこと知ってるのに。
案の定彼女は歯を見せて笑い、腰掛け直してこちらに身を乗り出す。私の飲みかけの水は、勝手に彼女におすそわけされた。
「ふう、水はいつだっておいしい」
「……」
「…なーにー? もう拗ねちゃった?」
「拗ねてません」
「ごめんって。ばかにしてるわけじゃないから許してよ、ね?」
「…楽しんでるでしょ?」
「それはまあ否定しない。……あーもーほら、かわいい顔が台無し」
つんつんと突かれる頬。わざとらしくため息をついたあと、観念して彼女の方に少し体を向ける。経験上これは、ちゃんと話すまで逃してもらえないパターンだから。
じろり。ニヤリとする人を見つめながら頭の中で必死に作戦会議をする。何を答えるのが正解か、自分の中でも出ていない答えを探す。ああ、そう遠くない未来でジェシーに勘付かれるだろうとは思っていた。私は物事を隠すのが決して上手な方じゃない。特に機嫌はすぐにばれる。子どもの頃から……大人になった今でも。
(…さあ、こういうとき)
普通の女の子は一体、どんな顔して話をするんだろう。
「……なんで楽しそうだってわかったの?」
「お、認める気になった?」
「質問してるのは私」
「ティファのお尻から尻尾見えてんだもん、ブンブンブンブン! っつって」
「もう、ジェシー」
「あははは、ごめんごめん。あんた、さっきクラウドの話しかしてなかったでしょ。たまに上の空だったし。おかげさまでバレットの機嫌は最悪」
「それは……心配だから、色々」
「わたしに取られないか心配?」
「ジェシー」
「ごめんってば」
(ああ、だめ)
ジェシーを誤魔化そうとするのは間違い。一筋縄じゃいかないことを私はよく知っている。気を取り直して深呼吸。カウンターに肘をつき、ニヤニヤを加速させているお姉さんに改めて向き合う。
「……そ」
「ん?」
「そんなんじゃないよ」
「どんなん?」
「私とクラウドは、ただの幼馴染だから」
「はいはい、ただの幼馴染ね。……ってなんの答えにもなってないから却下」
「うう……何の答えだったら満足するの?」
「惚れた?」
「わー! しーっ」
「いいじゃんいいじゃん、久しぶりの再会なんでしょ? 好きになっちゃうじゃんねえ、昔の知り合いがあんなイケメンになっちゃってさあ。中身はボーヤって感じだけど、見た目は王子様じゃん。むちゃくちゃ強いし優しいし?」
「わ、わかんない」
「ん? 好きじゃないの?」
「そうじゃないけど」
「なら、あの人空き物件? わたし貰っていい? あとちょっとって感じなんだよねー」
「そ、それは待って」
「なんで」
「……」
「くー! このお姫様もなかなか難解ですな」
茶化しているだけなのか、本気なのか、あるいはただ楽しんでいるのか。それとも私を気遣ってくれているのか。おしゃべり上手なジェシーに翻弄されながら、私は眉間に皺を寄せ眉をハの字にするばかり。
ジェシーが何のことを話しているのかはわかってる。自分のどんな態度のことを言われているのかも心当たりがある。「これまで」と違う自覚はある。浮き足立ってる自分の心のことも把握してる。誰が原因かも……わかってる。
だけどこの感情をどうやって認めてあげたらいいかはわからなかった。昔の気持ちの延長線にあるのか、全く新しいものとして私の中に降りてきたのか。考えても考えても答えは見つからない。見つからないから考えないようにする。ふわふわとした気持ちは風船のように風に揺られて行ったり来たり、着地する様子を見せないまま浮かんでいる。
だけどただ一つ、はっきりと明確に私が理解しているのは。
「ティファ、いるか」
「!」
「おっ、来たきた」
全く警戒していなかった声が、セブンスヘブンの入り口あたりから突如背中に刺さる。思わずびくりと跳ねる体。振り返らなくたって、いつの間にか「記憶」より少し低くなった声が誰のものかはわかる。その証拠に隣のジェシーが猫撫で声で名前を呼んだ。
「クラウド、おかえり!」
「ああ……あんたもいたのか」
「あんたも、って。わたしに会いに来たんじゃないの?」
「ティファに用があってきた」
「あーあ、乙女心がわからんやつめ」
「?」
「だって、ティファ。王子様のご指名入ってるよ」
「ちょ、ジェシー! だからそういうことは……」
「? ティファ、何かあったのか」
「何もない!」
「そ、そうか……」
思わず強い口調で言ってしまったことを後悔しつつジェシーを弱々しく睨むと、彼女は思っていた通りのしたり顔で私たちを見て、口元を抑え笑っている。状況を把握していないクラウドはただただ首を傾げて様子をうかがっているようだった。
「むふふふ。じゃあ空気の読めるジェシーちゃんはそろそろお暇しようかな?」
「え……ご飯食べていくんでしょ? 作るよ、待ってて」
「もーお腹いっぱい。こんなとこで食事したら息できない、酸欠」
「体調悪いのか」
「心配してくれるんだ、やっさしー! ねえ、やっぱり約束通りわたしの部屋でピザ食べない?」
「いや、だからそれは…」
「約束してたの?」
「ティファ違うんだ、これは……」
初耳の「約束」につい反応してしまっているうちに、ジェシーはひらひらと私たちの間を切り抜けて、あっという間にお店の出口まで歩いていく。もう一度引き留めようと名前を呼びかけたけれど、彼女は美しく大人びた優しい笑みを浮かべて、私に「しい」とポーズをした。
「じゃあね、お二人さん。……あ、それとティファ」
「?」
「あんた、わたしが知ってる中で今が一番かわいい」
「…! も、もう! まだからかうの?」
「あははは」
クラウドの前で茹で蛸のようになる私と正反対で、ジェシーは風みたいに軽々と笑ってお店の中から出ていってしまう。余韻なんて何もなく、残っているのは彼女の優しい香りだけ。
そして私の中に残るのは、からかわれて悔しい気持ちと……彼女のくれるちょっぴり難解な優しさ。
「……ティファ」
「…あ! はい、ごめんね。用があってきたんだよね」
「ああ……でもいいのか? 話してたんだろ」
「それは、だいじょうぶ。続きは今度、話すから」
「そうか……ならいいんだが」
ほっとしたような表情を見せてくれる、目の前の人に心臓の鼓動は高鳴り続ける。それは、クラウドのことを一人で考えているときよりずっとずっと早いペース。まだ名前をつけたくはない、だけど心は覚えてる、懐かしいような新鮮なようなとても脆い感情。
口数少なく「用事」を話し始めるクラウドの穏やかな声を聞きながら、一人勝手に約束を取り付けた、彼女と「続き」を話す次の時間のことを考えた。胸の中に溢れる聞いてほしいという初めての感覚を、じっくり大切に感じながら。
半熟までのアフタヌーン
(ねえそれでも、私は生まれたばかりなの)
fin,