「いってらっしゃい」
支度を整えた、我が家の男の子たちにそう声をかけると、二人は同じタイミングで頷いた。
水曜日、定休日、今日は二人のデートの日。段々似てきたクラウドたちを微笑ましく見つめながら、見送るためにマリンと一緒に玄関に立つ。クラウドのフェンリルに乗せてもらうんだと、朝から興奮気味に話していたデンゼルは今すぐにでも出発したかったようで、のんびり準備するクラウドを起きてからずっと囃し立てていた。
「いってきます!」
「ティファ。…留守中気をつけてな」
「ふふ、気をつけてはこっちの台詞だよ」
「そうか……」
「クラウドのことはおれに任せて大丈夫だよ、ティファ」
「ありがとう。お願いね」
まるで自分が子守りをしてやるんだと言わんばかりのデンゼルに、クラウドは文句も言わず微笑むだけ。いつの間にそんな表情をするようになったんだろう。眼差しから、子どもを愛おしく思う気持ちが伝わってくる。
「……いってきます」
玄関の外に飛び出すデンゼル。それを追うためにクラウドは私たちに背中をむける。
振り向きざまに小さな声でそう告げたクラウドの背中を、私はずっと見ていた。遠くになるまで見ていた。
「いっちゃったね」
玄関の戸締りをしてから話しかけると、マリンは私の言葉に何度も頷いてみせた。
「ね! 二人でどこにいくのかな」
「あれ、マリンも聞いてないの?」
「うん。訊いたけど、ひみつーって教えてくれなかったの」
「そっか。クラウドも教えてくれなかったし、ほんとに秘密のデートなんだねぇ」
「ふふふ、デンゼル嬉しそうだったもんね〜」
二人で二人を思ってくすくす笑い合う、愛おしい時間。
家族の話を家族とできることは、私とマリンにとってこの上なく幸せなこと。ミッドガルでアバランチとして活動していたあの頃は、マリンがしてくれるバレットの話をよく聞いていたっけ。
いつの間にか増えた私たちの家族の数。大切な人の数。忘れられない……人の数。
「……。……さて、と」
「?」
「おやつでも食べよっか、マリン」
「うん!」
家の中に落ち着きが戻ってきたところでおやつの時間の提案をする。元気よく返事をしてくれたマリンはカウンター席に、私はキッチンに立つ。それから、男性陣がいなくなってから二人でこっそり食べようと思っていた色とりどりのマカロンに手を伸ばす。最近近所にできたという洋菓子屋さんから、昨日お客さんがお土産で買ってきてくれたもの。
「……わあ、マカロンだ!」
「ちょっとしかないから、クラウドたちには内緒ね」
「うん! ないしょ」
足をぶらぶらさせて喜ぶマリン。小さな小さなマカロンを、勿体ないからちょっとずつ食べようとする姿を愛おしく思いながら、私はキッチンで息をつく。
(……幸せだなあ)
週に一度のお休みの日。午後一番のこの時間帯、何もしないのも勿体無い。
お騒がせ者のクラウドもデンゼルもいないことだし、私たちも二人でどこかに出かけようかと……マリンに話を持ちかけようとしたときだった。なんだかんだあっという間にマカロンを食べてしまったマリンが、照れくさそうに……だけどどこか嬉しそうに私に話を振ってくれたのは。
「あのね、ティファ」
「ん?」
「えっとね……」
「…どうしたの?」
「…今日ね。おねえちゃんの夢見たの」
「……え?」
思わず、食器を洗おうとしていた手を止める。マリンはかわいらしくはにかんだまま私を見ていた。
「…エアリス?」
「うん! いーっぱい、お話ししたんだよ」
言葉通り両手をいっぱいに広げて、そのお話の数を表現するマリン。夢の中とはいえ、よほど楽しかったんだろう。その笑顔が二人が過ごしただろう時間のあたたかさを物語っている。
その姿に微笑みを返しながら脳裏に浮かぶのは、ついこの間のクラウドのこと。クラウドの夢の中に遊びに来ていた……エアリスのこと。
(……)
「…エアリスは」
「?」
「……エアリスとは、どんなお話ししたの?」
「家族の話!」
「家族?」
「うん。ティファとクラウドと、デンゼルととーちゃんと」
「ふふ…楽しそう。エアリスはどうだった」
「うんうんって、全部ちゃーんと聞いてくれたよ。あとね、おねえちゃんいつも、えらいねって褒めてくれるの」
「…エアリスは、マリンが頑張ってるのちゃんと見てくれてるんだね」
「うん! へへ…」
(……)
褒めてくれる、というマリンの言葉にぼんやりと蘇る記憶。エアリスの笑顔と笑い声。
エアリスは人を褒める名人だった。人が何を頑張って、何に苦しんで、何を乗り越えようとしているのか。彼女はそれにいち早く気づき寄り添って、励ます事のできる人だった。
あの花のような優しさに、何度も何度も救われた。私も……クラウドも。
(……エアリス)
「……ねえ、マリン」
「ん?」
いつの間にか俯いてしまっていた視線をあげて、マリンを見る。エアリスが守ってくれた、私の大切な家族を見つめる。
「…提案があるんだけど、聞く?」
「なあに?」
「あのね。……せっかく二人だし、教会にお花摘みに行かない?」
「あ…行きたい!」
「よかった。お店に飾る分と、マリンたちの部屋に飾る分、そろそろ替えたいなあって思ってたんだ」
「そうだね、そうしよう!」
「ね。そうと決まれば、準備しなくちゃね」
「うん! わーい! ティファと教会!」
椅子から降りて、マリンが両手をあげ喜ぶ。出かける準備をするため慌てて二階に駆け上がっていく姿に、つい笑みをこぼす。
「……」
マリンを見送ってから、ふと窓から外を見た。大きく深呼吸して吸い込んだ空気は、部屋の中にいても美味しく感じた。
この教会は本当に、太陽がよく似合う。
長い長い年月の中で朽ちた天井や壁から差し込むお日さまの光。本来であれば修復するべきなのかもしれないこの建物は、太陽という何よりあたたかい灯りのおかげで、今が一番美しい姿であるかのように立派に、そして静かに、この廃墟の中に佇んでいる。
「ついたー!」
「マリン、走ってこけないでね」
「はーい」
広く天井の高い教会に響く、マリンの声。唯一の来客である私たちの音を、この大きな建物は柔らかく包み込み、反響させる。
何故だか懐かしい、不思議な感覚のする教会を改めて見渡しながら足を進める。何度も足を踏み入れた場所ではあるけれど、やっぱり最初に目につくのは、あの日できた湖の側に、わずかに残る中央の小さな花畑と……それに寄り添うように立てられた、ザックスの剣。
クラウドが、バスターソードを教会に移動させたいと言い出したのは一連の事件が終わってすぐのことだった。
エッジに住み始めてから間もなくの頃、誰にも何も言わず、彼の亡くなった場所だというミッドガルの外に剣を置いてきたクラウドを知っているから……相談を持ちかけてくれたとき、嬉しく思ったことを覚えている。
「どのお花にしようかなあ」
一足先に花畑に辿り着いたマリンがしゃがみこんで花を選びはじめる。エアリスを習ってか、エルミナさんと一緒に暮らしていたときに教えてもらったのか、マリンは私よりも花の種類に詳しい。だからいつもどの花を教会から貰って帰るかはマリンにお任せしている。
(……)
楽しそうなマリンのそばに立ちながら、ふと上を見上げる。花畑の真上、空まで一直線に突き抜けた天井の穴。まるで花たちのために開けられたように見えるこの大きな穴は、一体いつ開けられたんだろう。花が自生するぐらいだからずいぶん前だろうか。答えはきっと……彼女にしかわからない。
「ティファ」
マリンの呼ぶ声に、視線を下へ戻す。既に花を選び終えていたらしいマリンは、私の服の裾を掴んだままこちらをじっと見ていた。何か聞きたいことがあるときの顔だと思って身を屈めたら、彼女はもじもじとしながら質問をくれた。
「…どうしたの?」
「あのね……ティファ」
「うん」
「…クラウドはあのとき、どうしてこの教会にいたのかな」
「……」
あのとき、とは、あのときのことだろう。クラウドが家を出てここで生活していたことを知ったのは、今日のように二人で教会に遊びに来ていたときだったから。
明確な回答が存在しない問いに、少しの間黙ってしまう。きっとクラウド本人に聞いてもはっきりとした答えは返ってこないんだろうとも思う。わかっているのは、答えは単純じゃないということ。クラウドがここに求めていたことは、シンプルなことではないだろうということ。
もう一度マリンに目線を戻す。マリンはきれいな目でまっすぐ私を見つめていた。
「……。…ここは、クラウドにとっても大切な場所なんだと思う」
「…どうして?」
「…クラウド、エアリスとここで出会ったんだって」
「おねえちゃんと? ……初めて会ったのかなあ」
「うーん、どうだろうねえ」
「ティファも知らないんだ」
「うん。……クラウドの大事な思い出だろうから、あんまり訊かない方がいいかなと思って」
「ふーん…」
マリンにそう答えながら、自問自答する。きっと理由はそれだけではない。あの頃のことをクラウドに聞くのが、あの頃のことをクラウドに思い出させるのが、私はきっと怖いんだと思う。クラウドがどんな声で、どんな顔をしながら話すのかわからないから、昔話をすることから逃げたい気持ちがあるんだと思う。
クラウドはすすんで自分のことを話さない。私もすすんで、過去のことを無闇に掘り起こそうとはしない。今という時間を一緒に大切にするために、私たちはお互いに甘えあって生きている。振り返れば振り返るほど真っ暗闇の絶望がそこにはあるから、思い出さなくても大丈夫なように、思い出してしまっても大丈夫なように、私たちは側にいる。
だからこうして「これまで話さなくても済んできた」お互いの過去に触れるとき、どうしても心はブレーキをかけたがる。どんな感情になるのか見当がつかないから怖くなる。過去というものに触れたあと、底へ誘導するように引っ張ってくるその力の強さを私たちは体験しているから。なくなってしまった場所のことを、いなくなってしまった人のことを考えて、想って、乗り越える勇気を十分に備えられるほど、私たちはまだ強くはないから。
わかってるんだ。一緒に生きると決めたのだから、生きているのだから、怖いと思うのは当たり前のことなんだって。
どんなに辛くても、心が痛くても……前に進むために、いつまでも過去を放置することはできないんだって。
(…わかってるんだけどな)
「…ねえ、ティファ」
そうやってつい、黙って一人考え事をしていたら、マリンが再度私の名前を呼んだ。
マリンもマリンで何か考え事をしていたんだろう。さっきの純粋できらきらした瞳とは違って、その目はどこか不安を抱えながらもしっかりと意思をもったものになっていた。
「…私ね」
「…うん」
「……おねえちゃんのお話、もっと聞きたいの」
「……エアリスのこと?」
「うん。…ごめんね。……ティファは、思い出すのが悲しいかもしれないけど……やっぱり知りたい」
(……)
マリンはエアリスのことが大好きで、何でも興味を持つ好奇心旺盛な女の子。それはわかっているけれど、マリンがここまで頑なに「知りたい」というのには別の理由があるような気がした。
「…どうして?」
ちゃんと話を聞こうと思って、マリンの目線の高さに合わせてしゃがみこむ。マリンはまっすぐ私の目を見ていた。
「あのね……。ティファは、おかあさんのこと、覚えてる?」
「………お母さん?」
「うん。ティファのおかあさん」
思ってもいなかった人のことに、心が動揺する。
だけどすぐ、マリンが何を言おうとしているのかがわかって、私は多くを語らずに話を聞くことにした。マリンにとっての「お母さん」がどういう存在なのか……私は知っているから。
「…うん。ほんの少しだけど、覚えてる」
マリンは少しだけ目線を落としてから、話を続けた。
「……。私ね、本当のかーちゃんと、とーちゃんのこと、全然知らないの」
「……うん」
「赤ちゃんだったからね、覚えてないんだ。二人のこと知ってるの、とーちゃんだけなの。とーちゃんが知っている二人のことしか、私、わからないんだ」
「……マリン」
『ダイン!!』
蘇る記憶。コレルで見た、マリンの本当の「お父さん」の姿。泣いているバレットの背中。
彼らを見守りながら、私はあのとき無責任に思った。これはマリンに見せられない。マリンはこれを知らなくてもいい。少なくとも「今」はまだ伝えるべきではない、と。
当の本人も……バレットも同じことを思ったんだろう。あのあとすぐ、バレットは私とクラウドに「このことはまだマリンに言うな」と口止めをした。もちろん最初からそのつもりではあったけれど、バレットの悔しそうな表情からマリンと彼女の父親を思う気持ちが痛いほど伝わってきて、何も言えなかったことを覚えてる。
「……でもね」
あの頃に思いを寄せているうちに、マリンが言葉を続ける。
「そうやって、かーちゃんたちのこと話してくれるとき、とーちゃんいつも言うんだ」
「……」
「…一番悲しいのはね、いなくなっちゃうことじゃなくって、みんなに忘れられちゃうことだって。だーれも覚えてる人がいなくなるのが、一番悲しいことなんだって。だから知ってる人から、お話を聞いておかないとだめだって」
(…バレット)
一体彼はどんな気持ちで、マリンにそれを告げたんだろう。どんな覚悟を持ってその言葉を残そうとしたんだろう。
マリンの言葉を聞いたとき、バレットはいつかマリンに全てを話すつもりなんだろうと思った。バレットには家族に、身内に、自分の弱さを見せる強さがある。がむしゃらに大声を出していたあの頃とは違う。マリンを誰よりも大切に思っているバレットだからこそ、彼はおそらくいつか、真実を話すことでけじめをつけようとしている。
バレットには勇気がある。過去を曖昧にしない勇気がある。
(そして……きっと、マリンにも)
「…だからね、ティファ」
「……うん」
「私、たくさん聞きたいんだ。いなくなっちゃったおねえちゃんの話、おねえちゃんのこと知ってる人から、教えてもらいたいの。それでね、私の知ってるおねえちゃんのお話もしてあげるの。そしたらおねえちゃんのこと、みんな覚えていられるから」
マリンの真剣な、だけど優しい目を見つめながら思う。マリンの言う通りだと。バレットの……言う通りだと。
大事にしなくちゃいけない思い出はある。自分だけが覚えていたらいい思い出だってきっとある。
だけど、そうやって誰にも話さないでいたら、思い出があったことさえ消えてしまう。誰も何も知らないまま、その人の欠片がなくなってしまう。私が、過去を恐れている間に……その人が……エアリスが生きていた時間が、ひとつずつ溢れていってしまう。
『ティファ』
それはあまりにも……悲しくて、寂しい。
「……うん」
「……」
「…そうだね。その通りだね」
「…ティファ」
「………ねえ、マリン」
「…?」
「…帰ったらいっしょに、クラウドに聞いてみよっか。エアリスのこと」
「…うん!」
「あと…」
「?」
「……よければ、マリンのお父さんとお母さんのこと、私にも教えてくれる?」
「……うん!」
マリンが笑顔になってくれるから、私も笑顔になれる。過去を共有してくれる人がいることは、きっと私たちを強くしてくれる。一人じゃ難しいことでも、誰かが側にいるから前に進む勇気が生まれる。
私たちには家族があるから。たくさんの人たちが……彼女が、寂しくないようにと残してくれた……家族があるから。
教会の中に差し込む太陽の光が、オレンジへ色を変える頃。家へ変える時間だよと、空が私たちに教えてくれる時間。
「……じゃあ、そろそろ帰ろっか」
「うん! ……あれ?」
「? ……あ…」
マリンと帰路にたとうとしたときに、ふと教会の外から聞こえてきたのは……聞き慣れたバイクの走る音。家族が乗っているだろうバイクの、段々と近づいてくるそのエンジン音は、彼らの目的地がこの場所だということを私たちに暗に知らせてくれる。
「…あれれ? どうして?」
「…行ってみよっか」
マリンと目を合わせる。それからくすくす笑い合う。予期せぬ家族のおでましに、二人揃って笑顔になる。
たわいのない会話をしながら、私たちは手を繋いで歩いた。家族に会うために。家族に、抱きしめてもらうために。
あの子の夢
fin,