「クラウド」
この人に名前を呼ばれるのは、随分久しぶりのような気がした。
いつの間にか閉じていたまぶたを開け、ゆっくりと顔をあげる。どうやら自分は、何もない真っ白な空間に座っているようだった。声の主を探す。その声が誰のものなのか俺はよく知っているから……迷うことは、何もない。
「……エアリス」
知らない間に左隣に座っていたその人は、名前を呼ぶと嬉しそうに笑って頷いた。笑顔を見て、つい香るはずのない花の匂いがしそうだと感じる。その花の香りを、俺はよく覚えているから。
「…元気か?」
何を何から話せばいいのかわからなくて、なんとか見つけた言葉をかける。あのときのように無邪気に隣に座るその人は、俺の言葉を聞いておかしそうに笑った。
「その質問、変。わたし、ここでは風邪もひけないよ」
それもそうかと思いながら、俺はただ苦笑する。エアリスは上機嫌に座り直して、そんな俺に問いを問いで返した。
「クラウドは? 元気にしてる?」
きっとエアリスのことだから、俺が元気かどうかなんてもう知っているんだろう。この人には何を隠しても隠しきれない。彼女が生きていたときも……この世界を離れたあとも。
「……元気だ」
「うーん。全然そんな感じ、しない」
「…じゃあどう言えばいい?」
「笑ってみるとか」
「……比較的笑ってるつもりだ」
「まだまだ、ですなあ」
「……。相変わらず、エアリスみたいには笑えない」
「あ、今褒めてくれた?」
「…どうだろうな」
何の言葉を返してもひらひらと舞うようにかわしていくその人を、懐かしいようなそうでもないような、不思議な気持ちで見つめる。触れることは叶わなくても、その人があたたかいことは何故かわかるような気がした。
聞きたいことはある。伝えておきたいこともある。それはどうしたって、尽きることはない。限られているであろうこの夢の時間の中で、一体何から話そうかと考えを巡らせようとしたそのとき。
「エアリス、俺に慣れちゃったんじゃない」
どん、と急に叩かれる右肩。あまりの衝撃に顔をしかめたけれど、そのあとつい笑みがこぼれた。
すぐにわかったから。その声の主も、右隣に豪快に座るその人も、俺にとってもう忘れることのない、大事な。
「……ザックス」
隣に来た友人は、俺とは違ってエアリスに負けず劣らずの笑顔で返事をした。……なるほど、この笑顔に慣れたら俺のそれが元気に見えないのもよくわかる。
「よっ、クラウド」
「あんたもいたのか」
「まあな。元気?」
「……うん」
ほっとしながら返すと、ザックスの代わりにエアリスが答える。
「この人、おしゃべりでしょ? 独り言多くてかわいそうだから、一緒にいてあげてるの」
「ええー? エアリス、それは俺の台詞なんだけどなあ」
「わたし独り言、話さないもん」
「でも寂しがり屋じゃん」
「一体それは、誰のせいですかー?」
「あたたた、耳が痛い」
俺を挟んで痴話喧嘩をする二人を思わず笑う。不思議だ。二人が一緒にいるところを俺は知らないはずなのに、こんなにも懐かしい。
「あ、クラウド、笑った」
「……笑ったことない人間みたいに言うな」
「そうそう、クラウドはよく笑ってたよなあ」
「ずるい。男の友情?」
「…あれはザックスに釣られてた」
「わたしには、釣られない?」
「エアリスはなー。釣られるというか、可愛くて見惚れちゃうから」
「もう、いい加減なこと言って」
「ほんとのことだよ」
「……よそでやってくれ」
「クラウド、拗ねちゃった」
「悪い悪いクラウド」
そう言いながらも、両隣の二人が一緒にいるのなら寂しさみたいなものとは無縁だと思い、一人ほっと息をつく。この二人はきっと、俺と違って少し騒がしいぐらいの方がいい。
二人に見えないところで俯いて頬を緩めていたとき、ザックスが穏やかな声で俺に話しかけた。
「……でも最近、よく笑うようになったじゃん」
顔をあげる。ザックスを見る。真面目な顔で微笑んでいるその人を見て、何のことを言われているのかを察する。
「……ああ」
ちゃんと目を見て応えるとザックスは安心したように何度か頷く。そのあとすぐに、反対側にいるエアリスが優しい声で呟いた。
「…誰かさんのおかげだね」
エアリスの方を見て頷き返せば、彼女は目を細めて微笑んだ。
「……彼女覚えてるかなあ、俺のこと」
「…忘れるわけない」
「でもあのとき、ティファとのこと教えてくれたら、俺なんとかうまいこと二人きりしてやったのにさ。……まあ仕事中だったけど」
「……。ザックスも、一度もエアリスの名前、教えてくれなかっただろ」
「そうなの?」
「まあ、それは……な。…な、わかるよな、クラウド」
「……まあ、わかるけど」
「んん? どういうこと?」
「大事なことほど、秘密にしときたいもんなのよ、男ってのは」
「…ふーん。大事なこと、ねえ」
どこか嬉しそうに、俯いて笑みをこぼすエアリスに……ずっと思っていたことを伝える。
「……エアリス」
「ん?」
「…ティファのところにも遊びに行ってやってくれ。……会いたがってる」
それだけ伝えると、彼女は微笑みながらも顔を逸らしてしまった。その横顔に切なさが混ざっていることを見つけて、少し驚く。
「………うん。知ってるよ」
「なら…、」
「でもね……まだなの。まだ会いに、行けない」
「…どうして」
「うーん。………会いたい、から?」
「…会いたい人と会えないルールでもあるのか」
「ふふ、ないない。夢だもん、なんの決まりもないよ」
じゃあ、なぜ。次いで質問したくなるのを堪える。助けを求めるようにザックスの方を向き直れば、友人は全部わかっているような顔で、穏やかに微笑んでいるだけだった。
「……クラウドはさ、いいのよ。俺たちに慣れてるから」
「……」
「…まあ言い換えれば、俺たちもクラウドに慣れてる」
意図を汲み取れず首を傾げれば、黙っていたエアリスが口を開いてくれた。
「………きっと、わたし、だめなの」
「…だめ?」
「そう。………泣いちゃうと思う、ティファに会ったら」
「……エアリスが?」
「うん。……もっと、会いたくなっちゃうと思うんだ」
「……」
「たとえ夢でも……ティファとは笑って会いたいの。だからわたし、時間あけてるの。我慢できるかなって、思える日まで」
エアリスの声に呼び起こされるように蘇る、二人が……俺たちがまだ一緒にいたころの記憶。
二人はたまに、旅の途中とは思えないぐらい楽しそうに笑い合っていた。新しい街に着く度時間が許せば二人で出かけて行ったり、たまに俺に隠れるように小さな声で話していたり。二人の間に、俺には入る隙間もない絆か何かのようなものがあったのは明確だった。……そんな二人を見守ることは、決して嫌なことではなかった。
「……クラウド」
昔のことを思い出しているうちに、エアリスに名前を呼ばれる。顔をあげて彼女の方を向けば、エアリスはまっすぐに俺を見ていた。
「ティファに、たくさん触れてあげて」
「……」
「あなたしか、彼女をあたためてあげられないから」
「……エアリス」
「…わたしたちには、できないことだから」
ね、と、確かめるように呟くエアリスに、ただ静かに頷き返す。想いは受け取る。これが、ただの夢であることをわかっていても。
「…エアリス」
隣にいるザックスが落ち着いた声で彼女を呼ぶ。彼女は優しく頷き軽々と立ち上がる。
もう時間なのだと……二人が俺に教えてくれる。
「……クラウド」
「…?」
「こっちのこと……エアリスのことは心配すんな。俺がついてる」
「……うん。わかってる」
「ザックスのことも、心配いらないよ。わたしがついてる」
「…頼もしいな」
「それに……ボディーガード、一人で十分」
「……うん。ザックスには敵わない」
「…お前も十分、強いよ」
「……。ありがとう」
頭上で二人が微笑み合う。俺の体はここから動けない。彼女たちと一緒に行くことは、俺にはまだできない。
視界から消える二人の姿。引っ張られるように重くなっていく体。なんとか振り返れば、二人はもう俺に背中を向けてどこかへ歩き出しているところだった。
「……。…エアリス、」
もうすぐ失われる力を振り絞って、彼女の背中に声をかける。
なんとか伝えておきたいと思った。俺自身のために……いや、彼女たちのために。俺ができることは決して多くはないから。せめて、せめて、言葉を伝える機会があるのなら。できることがあるのなら。
「……」
エアリスは振り返る。こっちを見て、言葉を受け取る準備をする。
「……泣いたって、いいと思う…」
「……、」
「だから……」
がくんがくんと、重りがのしかかるように下へとひっぱられる意識。その中で目をこらして彼女を見つめる。
エアリスは少し驚いたように目を見開いたあと……静かに、ただ静かに微笑んだ。
「…………うん」
まっしろに包まれて遠くなっていく意識の中で、彼女は確かに俺の目を見て、頷いてみせた。
「………ありがとう、クラウド」
「…………」
音のない、静かな部屋の中で目を覚ます。
意識があがってくるのを感じながらまぶたを持ち上げると、見慣れた天井が最初、視界に入った。この部屋に音をもたらさないように無音のため息をつく。しばらく呼吸を繰り返しながら、改めて自分が戻ってきたことを認識する。
右隣に感じる俺とは違う人の体温。そっと頭を傾けて、その人を探す。ティファを見つける。
ティファはまだベッドの中にいたものの既に体を起こし、どこか遠くを見つめていた。
「……………ティファ……?」
まるでこちらに気づいて欲しいと言わんばかりに、その名前を呼んだ。ティファがゆっくり俺を優しく見下ろす。目が合えばそのまま優しく微笑んでくれた。
「……おはよう、クラウド」
ずっと聞きたかった声が、俺の中に届く。
優しい声に安心し挨拶を返しながらまだ重い腕を持ち上げる。未だ夢と今の間でぼやける意識の中、この人に触れたいと思った。
(ティファに、たくさん触れてあげて)
ティファの頬に触れる。意識の中で確かに聞いた声がこだまする。微笑んでくれるティファを見つめながら、触れられる、触れてやれるということの意味を……考える。
「……ティファ」
「…ん?」
「いや…。………夢を見てた、気がする」
「…夢?」
「うん……」
「……優しい夢?」
「……ああ…。……優しい夢…」
本当だったのか、ただ単に俺の頭の中で起きていたことなのか。誰も答えは知らないけれど、大切な二人が俺に何かを伝えようとしていたことは確かだった。たとえ夢であったとしてもきっと、意味のないことは起こらないから。
ふと、目線をティファに戻す。ティファはまるで俺が考えていることがわかっているように、穏やかな表情でこちらを見守ってくれていた。
(……そういえば)
さっき俺が目覚めたとき、ティファは一人で遠くを見ていた。考え事をしているようにも見えた。
(……)
「……ティファは?」
「…え?」
「…どうかしたか? ……起きたら、遠くを見てた」
「…そうだったかな」
「……うん」
「…なんでもないよ。………ちょっと早く起きちゃったから、ぼーっとしてた」
そう呟きながら、ティファが俺の頬を同じように優しく撫でる。
本当に何もなかったときの顔ではないと思いつつ、その心地よさに目を細める。もう少し聞いてみようかと思ったが、今はやめておいた。この優しい時間を守ることの方が大切なような気がした。
ティファに触れて、ティファに触れられて、ひょっとするとさっきの夢よりも夢に近いような感覚の中で漂う。
どれぐらいの時間が経っただろう。いい加減起きてしまわないとここからずっと抜け出せなくなりそうだと思い、ようやく上体を起こす。俺がまだ寝ぼけたような顔をしているのか、ティファはこちらを見ておかしそうに笑った。
その笑顔をただ愛おしく思いながら微笑み返す。何も変わらないいつも通りの朝。ティファがここにいる、朝。
(……)
「……。…起きるか…」
「うん。起きよう」
「……今日はティファ、休みか」
「そう。……クラウドは帰り遅い?」
「ん……そうだな。…ごめん、休み合わせられなくて」
「いいのいいの、気にしないで」
「…すまない」
今日のことを謝りながら、ふと来週のことを思い出す。
(……そうだ、確か来週は…)
「……あ…、それと来週の定休日、俺も休みは休みなんだが…」
そこまで言いかけると、ティファはどこかいたずらっぽい表情をしながら、俺の言葉を遮った。
「知ってる。……デンゼルとデート、でしょ」
「…聞いたのか」
「ふふ…。うん。昨日、私に申し訳なさそうな顔しながら、デンゼルが言いにきてくれたの」
「…なんて?」
「ごめんティファ、来週はおれがクラウドを予約しちゃったんだ…って」
「ふ……まあ、確かに、そうだな」
「いいなあって返したら、嬉しそうだったよ」
「……そうか…」
目に浮かぶようなデンゼルの様子。俺に約束を取り付けに来たときも、確かに嬉しそうにしていた。
何故俺と二人で出かけるのかまでは、ティファに伝えていないようだと確認しつつ……知らない場所で起こっている家族の微笑ましい光景を思い、頬が緩む。
そんなときだった。下からどたばた賑やかな物音が聞こえたのは。
「クラウドー」
聞こえてくるマリンの声。どうやら俺の部屋の前にいるらしい。
名前を呼ばれたこともあって耳を立てて様子を伺う。それからすぐ、マリンが俺の不在を確認した声が聞こえた。
それに応えるデンゼルの声。……俺の居場所が、ティファの部屋だろうと推測する無邪気な声。
「……」
「……」
思わずティファと顔を合わせる。それから互いを見て、昨日の夜のあとから服を脱いだままであることを確かめる。
「…まずい」
「大変」
二人、息を合わせたかのように一斉に動き出す。散らかっている服を集めて着ていると、ティファが堪えきれずおかしそうに笑った。
「…余裕そうだな」
「ふふ、だっておかしくって……悪いことしてるみたいだね」
無邪気に笑うその人に見惚れながら、笑って頷き返す。そんな時間も気にせず開かれる部屋の扉。
飛び込んでくる子どもたち二人を、俺たちは嬉しいこととして受け入れる。
「あ、やっぱりクラウドここにいた! おはよう!」
「…おはよう。朝からお尋ね者だったか」
「ふふふ、うん。お部屋にいなかったから」
「おはようティファ、クラウド」
「おはよ。今日は二人とも朝から元気だね」
「今日は朝からティファと一緒に買い出しだからって、マリンが」
「そうだね、よろしくね」
「うん! あ、クラウドはおしごと、がんばってください」
「……早く終わらせないとな」
「そうだよ、みんなで待ってるからね」
どたばた入ってきたと思った子どもたち。俺たちの姿を確認して満足したのか、「朝ごはんだ」と嬉しそうに話しながら、あっという間に部屋を出ていく。
小さな体のどこにそんな元気が詰まっているのかと思いながら、ティファを連れて部屋を出ようと振り返る。ティファは何も言わず、窓の外の空を見つめていた。まるで、何かを探すように。何かを確かめるように。
「……ティファ」
名前を呼ぶ。ティファが俺を見る。
「…いこう」
手を伸ばす。ティファは……この手をとってくれる。
「…うん」
はぐれないように、俺はティファの手を繋ぐ。
遠くを見つめる彼女に、どうしたら伝えられるのか考えた。
みんな、ここにいることを。誰も遠くには、いないことを。
あの子の夢
fin,