愛ってすげーなという話

EDまでのネタバレを含みます。ご注意ください。

また、とてつもなく個人的な16の物語の解釈を呟いております。こちらは決して正解ではございません。どうか適当にお読みください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

16に限らずだけど、FFをしていると「愛ってすごいなぁ・・・」としみじみ実感して心が健康になる。

 

最後に必ず愛が勝つ!愛最強! みたいに言うと安っぽく聞こえるかもしれないけど、どんな力、魔法をもってしても、究極的に矛となり盾となってくれるのは、誰かを愛する気持ちだったりする。

 

ラスボスと戦う前、キャラクターは何度も倒れそうになる。だけどいつも心の中で 「誰かが自分を待っているんだ」 「誰かに勝つと誓ったんだ」 「自分が誰かを守るんだ。だから勝たなくちゃいけないんだ」 という、能動的な、何かの記憶や思いに奮い立たされて、立ち上がって戦って勝つ。 ほんとうにだめかもしれない、と感じる時に思い出したり実感する 「誰かとの記憶、誰かとの約束」 はすさまじい力を発揮して、ラスボスに「なぜだ・・・どうして私が人間如きに・・・」という言葉を発せさせる。

 

もちろんキャラクターによっては 「勝たなくてはならない」 理由が、「敵討」だったり「罪滅ぼし」だったりすることもあると思うけれど、主人公として置かれるキャラクターの多くは、ラスボスの頃にはもっと、あたたかい理由になっていることが多いような気がする。

 

 

 

今回16をプレイし、EDまで見て、クライヴには最後戻ってきほしいなあと思ったいちばんの理由が、この物語がそんな「愛の物語」として完結するものだったらいいなあ、という個人的な願望からだった。

 

 

 

 

クライヴの、ジョシュアに対する、愛が反転した復讐から物語がはじまり、その渦中でクライヴは、シドの持つ世界への太っ腹な愛を隣で見ることになる。そうして人と関わり、人としての心を取り戻す過程でふと、ジルが隣に立つ。シドを失い再び喪失を感じるけれど、器を無意識下で大きくできていたクライヴは、今度は「復讐」というより「想いの継承」を選べるようになっている。

 

そうやってがむしゃらに進むうちに、彼はそういった大衆的な愛ではなく、極めて個人的に誰か(ジル)を愛し、愛されるという経験をする。クライヴの中に、人類へのそれ、ジョシュアへのそれとはまた別の、本当の意味で自分のための 「戦う理由」「生きる理由」 が生まれる。そしてその経験はやがて 「最後の戦い」 のときのための最強の矛盾になる。

 

 

(クライヴだけがED後生存している説、の前提で考えているけど)今回、ジルへの愛、ジルからの愛が、本当に丁寧にきちんと描かれた理由のひとつに ジョシュアが「ラスボス」との戦いの前に亡くなってしまう、ということがあったんじゃないかと思う。

 

この物語が「兄弟愛」を描くものだけであったならば、ジョシュアが亡くなるタイミングはもう少し遅かったかもしれない。そうでないと、クライブにとっての 「生きる理由」「戦う理由」 がラスボス前に朽ちてしまうことになるから。「お前の意思をつぐ!」というジョシュアへの愛で戦い、勝てたとしても、クライヴは最後、生きて戻ってきてくれないかもしれない。「勝たなければならない」「生きなければならない」 個人的な理由が、この世からなくなってしまったのだから。

 

クライヴが、いくら隠れ家や人類そのものを尊く大切に思っていたとしても 「愛する」 ということとはやっぱりすこし違うと思うし、「人類のために戦う!!」 という人類愛は、神様か仏様にでもならない限り、そこまで強い力を発揮しないような気がする。 FF7でクラウドが 「星のために、ではなく、みんな個人的な想いのために戦う」 と言っていたのがまさにそう。

 

なので、もし 「ラスボス後、クライヴを生かしたい」 と、この物語を作った人が考えるのであれば、ジョシュアへのそれとは違う愛が必要になる。クライヴが 「生きたい」 と思える別の柱が必要になる。それがジルだったのではないかなと思う。ラスボス後、クライヴが 「世界を救った、だがもう自分は生きている理由がない」 と絶望し絶命しないために、ジルは用意されたのかなと思う。そしてそのために 人によっては「必要以上」と感じるかもしれないほど 「ジルに愛され、ジルを愛する」 という描写が濃く在ったのかな、と思ったりしている。

 

 

 

クライヴは、最後の戦いの前に、ジルに対して 「俺は必ず戻る 愛してる」 と自分の言葉を伝えた。このことって、ものすごい、本当にものすごいことだと思う。わああ〜!クラジル素敵!という意味ではなく。一度、愛を失ったクライヴは、ものすごい時間をかけてゆっくり人々から愛を受け取り、そしてジルからも特別な愛を受け取り続けていた。それが、ここでようやく、誰かを愛するという能動的な立場に立った。 「愛される」 のでなく 「誰かを愛している」 自分を確保したことで、クライヴにとっての最強の矛盾が出来た。

 

 

 

物語はいくらでも残酷にできる。残酷にしなければ伝わらないメッセージもあるし、それは時にとても尊いから、それでもクライヴはジルの元に辿り着けなかった、戻れなかったという展開は大いにあり得ると思う。

 

だけどもし、この物語が素直な「愛」の物語であったならば、クライヴの、「ミュトス」としてではなく「人間」として生きる第一歩のために、ジルは待っているし、彼はジルのもとに戻るのではないかと思いたくなった。

 

ジョシュアを失うという喪失に、冒頭で負けてしまったからこそ、最後は生き続けるという形で勝ってほしいと思った。そのための、唯一の力になりうる愛こそ、クライヴがFF16の物語で手に入れた一番の武器のはずだから。

 

 

 

唐突におわり。